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42 獅子王エイリス

 黄金城(パレス)には一つだけ、鷲を象った座具がある。

 ――大鷲の玉座。王の座である。


 大鷲は魔導皇国の象徴。

 始祖レオニードが旗印である獅子ではなく大鷲をモチーフに選んだのは、獅子王がそれを尻に敷くことで、帝国への反抗と王国の独立を示すためである。


 今、玉座に座る男は、その気概を体現するかのような顔立ちをしていた。

 眼光鋭い目。

 燃えるように逆立つ髪と口髭。

 太いあごも髭で覆われ、まさに怒れる獅子そのもの。

 男の名はエイリス=ユーネリオン。

 当代の獅子王である。

 エイリス王は王冠も被っていなければ、王笏も持っていない。

 仕立ての良いシャツにズボンだけ。

 傍らに剣を置き、足を組んでいる。

 ただそうしているだけで、王の威厳に満ち満ちていた。

 そして、玉座に座るエイリス王の前にもう一人。

 王の右腕、コクトー宮中伯だ。


「――以上がロザリー=スノウウルフについての報告となります、陛下」

「ご苦労」


 エイリス王は、足元の大鷲の頭をコツンと蹴った。


皇都(バビロン)の反応は?」

「アトルシャンの独断であると。君主である公妃は自害、アトルシャン領は北部諸国へ分割。アトルシャン公国は消滅し、これをもって独断であった証左としたいと」

「手回しが早いな」

「我が国と事を構えたくはないのでしょう」

「それにしても早すぎる。コクトー、そちの仕業か?」

「はて、私は何も。皇国評議会にいる知人に情報を流しただけです」

「どのように?」

「学生を狙った卑劣な犯行。動機は復讐欲、名誉欲。王国の被った被害状況。これらを数々の証拠を添えて伝えました。……ああ、こちらの死傷者数は脚色しましたな。偽ったのはそれくらいです」

「やはりそちではないか」


 エイリス王は鼻で笑ったあと、大きなため息をついた。


「お気に障ることでも?」

「つまらぬ」

「つまりませんか。では、十五年ぶりに皇国を攻めるといたしましょう」

「ククッ。十五年前、お主は王国におるまいが」

「ですな。私が参画していれば、もう少しマシな戦果を残せたでしょう」


 コクトーは王に対してでもあけすけにものを言うところがあった。

 エイリス王は彼のそういうところが気に入っているので、いちいち咎めたりはしない。

 恐ろしげな顔に笑みを浮かべながら、腹心の吐く毒を楽しんでいる。


「今、死霊騎士(ネクロマンサー)は?」

「城内に軟禁しております。本音を言えば騎士用の地下牢に繋いでおきたいところですが」

「強すぎる騎士には魔導鉱(ソーサライト)の手枷も意味があるまい」

「私の心の平穏の話です。せめて地下牢にでも閉じ込めておかねば、魔導無き私などは恐ろしくて宮中を歩けません」

「お前が取乱したところなど見たことがないが……?」

「何を仰る。陛下の前で私はいつも、獅子の前の子ウサギ同然。なけなしの勇気を振り絞って立っているのです。ほら、この震える手をご覧あれ」

「フ、ぬかせ」


 エイリス王はふと、天井を見上げた。


「スノウウルフ――」


 そう呟いたきり、エイリス王は押し黙った。

 コクトーは黙して、王の次の言葉を待った。

 これはエイリス王が思考を巡らせているときの癖だと知っているからだ。


「――スノウオウル(・・・)


 思考の海から帰ったエイリス王が口にしたのは、鳥の名。

 つまりは皇国の家名だった。


「スノウウルフです、陛下」


 コクトーがそう訂正したとき。

 玉座の間の扉を守る衛兵が、少し騒がしくなった。


「そうだ、失念しておりました。魔導院院長がお見えになるとのこと。大変重要な話であるとか」

「シャハルミドが? 会いたくないな。なんの話だ?」

「さて。私も聞いておりませんので」

「……わかった。通せ」


 コクトーが衛兵に目配せする。

 両開きの扉が重い音とともに開かれ、えんじ色のローブを着た老人が入ってきた。

 杖を突くたびに、幾重にもかけられた首飾りや腕輪が鳴る。

 やがて王の前に辿り着くと、恭しくお辞儀した。


「魔導院院長シャハルミドでございます。獅子王陛下におかれましては――」

「――前置きはよい。話とはなんだ、シャハルミド」


 シャハルミドはゆっくりと頭を上げた。


「南部で起きた事件についてでございます」

「ちょうどコクトーとその話をしていたところだ」


 シャハルミドは冷たい目でコクトーをちらりと見て、言葉を続けた。


「では、アトルシャンの騎士を退けたロザリー=スノウウルフが死霊騎士(ネクロマンサー)であることについても?」

「知っている」

「もしやとは思いますが……陛下はスノウウルフを取り立てるおつもりではありませぬか?」

「だとしたら?」

「なりませぬ!」


 シャハルミドが強く杖を突いた。

 首飾りや腕輪が激しく揺れる。


「魔導院ではスノウウルフの死霊騎士(ネクロマンサー)発覚より議論を重ね、彼の者の処遇について結論に至りました。それを陛下にご進言いたしたく」

「申せ」


 シャハルミドは顎を上げ、語気を強めて言った。


「ロザリー=スノウウルフを処刑すべし!」

「……処刑?」


 エイリス王の顔が曇った。

 コクトーが割って入る。


「彼女は外敵を討ち、ウィニィ殿下のお命を救ったのですぞ? それを褒美を与えるどころか首を刎ねよと?」

「ロザリー=スノウウルフは死霊騎士(ネクロマンサー)。それだけで死罪に値する」

「それは〝裏史書〟にある記載のためか? 忌まわしき魔導性だとかいう……」

「さすがはコクトー宮中伯、博学であられますな。……その知性に免じ、院外秘である〝裏史書〟の内容ををどこで知ったかは聞かずにおきましょう」


 嫌味ったらしい口振りに、コクトーが鼻を鳴らす。

 シャハルミドはエイリス王に向き直り、言葉を次いだ。


「〝裏史書〟に登場する死霊騎士(ネクロマンサー)は、ただ一人。〝腐肉使い〟ヒューゴ=レイヴンマスターでございます。出現したのは五百年前、独立戦争の折のこと。その烈火のごとき攻め手により、数十の城が陥落し、万の兵が屠られ、初代ランスロー伯など重臣も討ち取られました。〝腐肉使い〟によってもたらされた被害はかように甚大です。――しかし、特筆すべきはそのやり口!」


 シャハルミドのしわがれ声が熱を帯びる。


「〝腐肉使い〟は特製の死霊(アンデッド)を王国内にばら撒いた! それは感染する蠢く死体(リビングデッド)、シュガーヘッド! 人を求めて徘徊し、その先々で人を襲う! 徘徊を続けるうちに肉は朽ち、頭蓋は砂糖菓子のように脆くなる! やがて自力で歩けなくなると頭が粉々に弾け、その粉が風に乗って綿毛のように広がっていく! その粉を吸い込んだ者は三日三晩苦しみ、四日目に絶命し、五日目には新たなシュガーヘッドと成り果てる! この病魔は瞬く間に広がり、王国を隅々まで侵していった! ピーク時にはミストラル城壁の中にまで感染が広がったほど!」


 一気にまくし立てたシャハルミドは、ふーっと息を吐き、さらに言葉を繋ぐ。


「死体を弄ぶ死霊騎士(ネクロマンサー)は災厄を招きます。獅子の都(ミストラル)死者の都(ネクロポリス)にしてはなりませぬ」


 エイリス王は黙している。

 代わりにコクトーが口を開いた。


「それでも、ソーサリエ生を処刑するというのは承服しかねる」

「おや、なんとお優しい。冷血で知られるコクトー宮中伯らしからぬお言葉ですな。死霊騎士(ネクロマンサー)の危険性については今述べた通りですぞ?」

「悪しき前例になるということだ。保護者たちも黙ってはおるまい」

「ご心配には及びませんぞ、宮中伯。スノウウルフは貴族でなく、保護者もおりません」


 得意気にそう述べたシャハルミドであったが、コクトーは鋭く反論した。


「そんなことはとっくに調べはついている。知った上で言っているのだ。それとも貴公、私がスノウウルフの素性も調べぬ愚昧であると言いたいのか?」

「いや、そのようなことは……」

「悪しき前例になるといっただろう。一度目より二度目がたやすいのが世の常。一度ソーサリエ生が処刑されれば、二度目もあり得る。そのときは平民とは限らない。いつか貴族の子弟にも及びかねない――そう保護者達は考える。五百年間一度もないことの意義を考えられよ」

「……なるほど。では、飛竜監獄に送るのはどうですかな? 処刑は成人を待ってからということで」

「ふむ。いかがです、陛下――」


 そう言ってコクトーは王を振り返り、その表情にギョッとした。


「……スノウオウル(・・・)か。面白い」


 エイリス王は嗤っていた。

 王と多くの時間を共にするコクトーであっても数年ぶりに見る顔。

 それは欲を刺激されたときに浮かぶ、支配者の表情であった。


「スノウウルフです、殿下」


 コクトーは再度、訂正した。

 エイリス王が目を細める。


「スノウウルフは聞かぬ名だ」

「確かに。おそらくは途絶えた貴族家の傍流ではないかと」

「しかし、スノウオウルはよく知っておる」

「はっ?」

「ロザリー=スノウオウル。この名に覚えはないか? あらゆる記録に目を通し、一字一句記憶するそちなら、思い当たるのではないか?」


 エイリス王の言う通り、コクトーには見聞きした情報を正確に呼び起こせる能力があった。

 ロザリー=スノウオウルの名を鍵にして、記憶の糸を辿っていく。


「皇国騎士の子専門の児童保護施設――通称〝鳥籠〟の名簿にその名があります。獅子侵攻の際に捕虜とした皇国騎士の子で、母親は……魔導八翼〝白薔薇〟ルイーズ=スノウオウル!?」


 エイリス王は口髭の奥でニタリと嗤った。


「あの敗戦における唯一の収穫。王家に血を入れんがために連れ帰った、美しき大魔導。捕らえたときにはもう、身籠っておったが」

「その子がロザリーであると? 騙りの可能性は?」

「年は合う。あとは――特徴的な紫の瞳をしていたはずだ」

「……ロザリーは紫眸の少女です」

「では決まりだ。八翼は皇国で最も強い八人の騎士。ならば、その血を引く娘はどうだ?」

王家(ユーネリオン)に入れるおつもりで?」

「今の王家は血が濃くなりすぎておる。新たな血の確保こそが重要だ。何せ、王国内で血縁のない家を探すだけで一苦労だからな」

「おっしゃる通りかと」


 魔導は血によって受け継ぐ。

 魔導に優れた騎士を生み出すには、魔導に優れた男女に子を作らせるのが近道である。

 王国においては高い地位の家ほど、この魔導血統主義が徹底されている。

 その最たるものが獅子王家。

 並外れた騎士の血を取り込み続けることによって強力な世継ぎを作り、王家はその権威を保持してきた。

 だがその代償に、王家の血は濃くなりすぎていた。

 高位貴族も同様で、そのほとんどが王家と血縁関係にある。

 強く新しい血を入れることは、王家の急務だった。


「ウィニィ殿下はドーフィナ家のご令嬢と婚約したばかり……となると正妻のおられぬニド殿下ですが」


 愉しげであったエイリス王の顔が歪む。


「奴にくれてやるのは惜しい」

「では、すぐに後宮に召されると?」

「急ぎはせぬ。逃げられては元も子もないからな。ウィニィが男児をもうけたら、それに娶らせるでもよい」

「殿下はロザリーと同い年。年の差がありますな」

「でなければ余がもらうのだ。どちらにせよ親子ほどの年の差になる。ならば若い相手のほうがロザリーも納得しよう」

「ウィニィ殿下と縁組みするのが最も自然かと。ドーフィナとの婚約を解消するか、あるいは側室として――」

「ウィニィはならん」


 エイリス王は断言した。

 コクトーは理由を尋ねず、次の質問をした。


「左様で。ところで……母、ルイーズは今どこに?」


 エイリス王は首を捻った。


「さて、忘れたな」


 コクトーはそれ以上、追及しなかった。

 王が「忘れた」というときは、もう聞くなという意思の表れである。


「では、ロザリー=スノウオウル(・・・)の処刑は」

「なしだ。ソーサリエに戻し、騎士とせよ」

「魔導性が明らかになった今、排斥しようとする動きが出てくるやもしれませんが」

「スノウオウルはウィニィを救った英雄である。これを排斥しようとするのは、王家に仇なす行為である。……とでも触れ回っておけ。そちが言えば余の言葉と受け取るだろう」

「御意に」

「愚かなッ!!」


 シャハルミドが怒声を上げた。

 杖を強かに床へ打ちつけ、首飾りや腕輪がうるさく鳴る。


「魔導院の決議を無視するばかりか、災厄の申し子の血を王家に入れる!? 王とはいえあまりに不遜! 歴代の獅子王がお聞きになれば、どれほど嘆かれることか! ロザリー=スノウウルフは処刑! 異端者死霊騎士(ネクロマンサー)は誅すべし!!」


 シャハルミドは顔を紅潮させ、一気にそうまくし立てた。

 エイリス王が低く、呟く。


「……不遜。不遜、か」


 コクトーは言葉なく、王の視界から外れた。

 シャハルミドはそれを見て、己が言い過ぎたことに気づく。


「シャハルミド。いつから魔導院の決議が余の決定を上回ると思い込む(・・・・)ようになった?」

「うっ、上回るなどと思ったことはありませぬ! ただ、魔導院には積み上げてきた叡智がございます。それが陛下のご裁可の一助となれば、と」

「先ほど、お前はこう申したな? 議論を重ね、結論に至ったと」

「は、たしかに」

「それはつまり、スノウオウルが死霊騎士(ネクロマンサー)だといち早く知りながら、余に報告せず魔導院で議論に興じておったということか?」

「それは! 興じておった、ということはなく――」

「――シャハルミド」


 エイリス王は玉座から立ち上がり、シャハルミドの元まで下りてきた。

 そしてそっと、年老いた彼の肩に手を置く。


「魔導院の不遜、許しがたい」


 シャハルミドは顔を伏せ、激しく震えた。

 肩に置かれた手が、まるで赤く熱せられた鉄のように感じる。

 顔を上げた途端、首をねじ切られる予感がある。

 エイリス王の強大な魔導が、尊大な老人を赤子のように臆病にしていた。


「だが、余は寛大だ。一度は許す」

「は……ありがたき……」

「二度はない。下がれ」

「は……」


 シャハルミドは杖を突くのも忘れ、顔を伏せたまま下がっていった。

 彼が両開きの重い扉の奥に消えたあと、エイリス王はコクトーにだけ聞こえる声で言った。


「コクトー。魔導院を(ぎょ)せるか?」

「さて。あそこは院長のようなご老人が大勢おられる魔窟ですからな」

「御せるかと聞いておる」

「一度壊してよいならば」

「それは許さぬ。不遜なあ奴ら(・・・)は、自分たちと魔導院の蔵書を等価値だと思い上がっておる」

「……魔導院を解体しようとすれば、彼らは蔵書を隠すと」

「もっと悪い。焚きつけてこの世から消すだろう」

「そこまでやるとお考えなのに、私に御せ、と?」

「〝裏史書〟。余は目にしたことがない。王である余が、だ。言いたいことはわかるな?」

「……はっ」

「時間はかかってもよい。魔導院の手綱を握れ」

「御意に」


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