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39 ネクロ✕ブラックドッグ

「さらばだ、騎士の卵よ」


 ボルドークが右手を手刀に変え、グレンに向けて引き絞る。

 グレンは覚悟を決めた。

 目を背けたりはしない。

 手刀を睨みつけ、ただ運命を待った。

 ……しかし。

 手刀は引き絞られたまま、動かない。


 ふとグレンは、ボルドークの視線が下を向いていることに気づいた。

 グレンが地面に視線を落とす。

 土の中から無数の青白い腕が生えていて、ボルドークの脚を掴んでいる。


「ムゥン!」


 ボルドークは初めて剣を抜き、地面から生えた腕を薙ぎ払った。

 そして森を睨む。


「もう来たか」


 ボルドークの言葉を裏付けるように、森から騎馬が姿を現した。

 黒い巨馬に乗り、覆面をしている。


(誰だ……女か?)


 グレンは覆面の女に注意を払いながら、ボルドークから距離を取った。

 ボルドークはグレンのことなどすでに眼中に無く、全神経を覆面の女に向けている。


「おかしいな。修練を積んだ八十の騎士が、お前の相手をしていたはずだが。……私の部下はどこにいる?」


 すると覆面の女は、自分の足元を剣で指した。


「冥土に送ったとでも言うつもりか!」


 ボルドークが三指を折った。

 三頭の黒犬が唸りを上げ、牙を剥いて覆面の女へ迫る。

 覆面の女は手綱を強く引いた。

 黒い巨馬が立ち上がり、青白い炎が燃える前脚で宙を掻く。

 三頭の黒犬は炎を嫌がり、顔を背けた。


 直後。

 黒い巨馬がボルドークへ向けて疾駆した。

 およそ馬の速度と重量感ではない。

 思わずボルドークは、馬との直線上から飛び退いた。

 そこでハッと気づく。

 馬上に女の姿がない。

 ボルドークは襟足に殺気を感じ、反射的に身体を捻った。

 つい今しがたまで首のあったところを、覆面の女の剣が通り過ぎていく。


「ううむ! 殺意に満ちた実に良い剣だ!」


 喜悦を漏らしながら、ボルドークは剣の柄で女を打った。

 だが女は避けもしない。

 剣を持つボルドークの手首を握り、叫んだ。


「〝亡者共〟!」


 地面に落ちた女の影が沸き上がった。

 影のあぶくから次々に干からびた亡者共が生まれ出て、ボルドークに群がる。


「う、うおおおおっ!?」


 ボルドークの全身が亡者共に包まれた。

 無数の萎びた腕がボルドークを掴み、無数の落ちくぼんだ顔が血肉を求める。

 身動きできない最中、ボルドークは親指を折った。


「……なに、この臭い?」


 女が覆面の下で顔をしかめる。

 血生臭い。

 吐き気を催すような殺気。

 それらが上から降りてきて漂っていることに気づき、女はハッと頭上を見上げる。

 そこには三頭の黒犬よりふた回りは大きな黒犬が、(ヨダレ)を垂らして彼女を見下ろしていた。


「葬魔灯で見たのはこれか……チッ!」


 女の舌打ちより早く、黒犬の赤黒い口が落ちてきた。

 巨大な(あご)が亡者共に包まれたボルドークと女を、まとめて喰らわんとする。

 女は皮一枚で躱すが、覆面と黒いマントがビリビリに引き裂かれた。


 濡れ羽色の髪が舞う。

 顔が露となった女――ロザリーは、すぐさま肘で顔を隠した。

 だが、遅かった。


「お前……ロザリー?」


 後ろから聞こえた呟きの主を、ロザリーは振り返るまでもなくわかっていた。

 思わず、顔が歪む。

 対して亡者共の拘束から脱出したボルドークは、驚きを隠せなかった。

 残った亡者共を払いのけながら、ロザリーの顔をまじまじと見る。


「若い。まさか、貴様も学生か? その年でその魔導――いかにして手に入れた?」


 ロザリーは答えない。

 ボルドークはなおも尋ねる。


「生まれつきか? ならば忌み子だ! ミルザと同じ、災いを宿命づけられた者だ!」


 ボルドークは三指を折った。

 三頭の黒犬が彼の前に集い、そしてボルドークは親指を折る。

 すると大きな黒犬が、他の三頭をぐちゃり、ぐちゃりと食い始めた。

 食うたびに、大きさが増す。

 三頭を平らげ出来上がった黒犬は、もはや犬とも呼べない醜悪な化け物だった。

 口も目もグロテスクに歪み、食われた犬の顔が身体のどこそこで瘤のように唸っている。


「私は何のために王国へ来たか。公子のため? 大義のため? ……違う。今、わかった。貴様を屠るためだ! やがて皇国へ災厄をもたらす、悪魔の仔獅子を間引くためだったのだ!」

「好き勝手言って……!」


 ロザリーの苛立ちをよそに、ボルドークが親指を折った。


「行けっ!!」


 巨大な黒犬がロザリーへ向かう。

 避けようとして、ロザリーは位置の悪さに気がついた。

 背後には同級生たちがいる。

 黒犬の大(アゴ)はロザリーごと、同級生たちをも喰らわんとしている。


「楯になれ〝野郎共〟!」


 ロザリーの影から、死の軍勢が現れた。

 上へ上へと積み重なり、骸骨の壁となる。

 直後にゴッ! と耳をつんざく鈍い音。

 骸骨はゴリゴリと削られ、黒犬が離れた後に骸骨の壁は瓦解した。


「……受けちゃダメね」


 ロザリーは低く、仕掛けた。

 地を這うより低く、そしてとびきり速く。

 油断なく見ていたボルドークが、一瞬見失うほどに。

 主の元へ戻る黒犬を追い越し、あっという間にボルドークへ肉薄した。


「させるか!」


 直感で悟ったボルドークが、迎え撃つべく下段へ突きを放つ。

 ロザリーはそれを剣の腹で受け流し、ボルドークの首を払った。

 仰け反って、それを躱すボルドーク。

 しかし宙を見上げる彼の視界に映ったのは、首を払ったはずのロザリーの剣が、振り下ろされようとしている様だった。


「その若さでなんと老練な剣よ。……だが!」


 ボルドークは小指を折った。

 新たに生まれた小型の黒犬が、至近距離からロザリーの腹に歯を立てる。


「ぐっ……〝亡者――」


 ボルドークはすぐさま、ロザリーの影から離れた。


「仕掛けは影だろう? もう踏まんよ」


 ニタリと笑うボルドークに違和感を感じ、ロザリーが振り向く。

 すぐそこに、巨大な黒犬が赤黒い口を開けて迫っていた。

 腹に食いつく小黒犬を剣で断ち切り、すぐさま体を入れ替え襲い来る巨大な黒犬の牙を剣で受け止める。

 背後からは、ボルドークが剣を振り上げた気配。


「――ぅぅう、ああァッ!」


 力任せに巨大な黒犬を弾き返し、すぐさまボルドークの剣を受ける。

 二人の剣がぶつかり、火花が散る。

 その瞬間、ロザリーの剣にヒビが走った。


(なまくら)――剣が力に見合っていない。まさか先程の卵と同じ、学生用の剣か? 肝心なところは未熟!」


 ヒビが大きくなり、ロザリーの剣が砕ける。

 ボルドークは剣を引き、突きを放つべく構えた。

 いかに敵が魔導に優れようと、この距離ならば外さない。

 あとはこの化け物の命を一撃で絶てる魔導を巡らせるだけ。


 そうしてボルドークは迅速に魔導を練り、今まさに突きを放たんとしたとき。

 ロザリーは自分の襟元を持ち、力任せに開いてボタンを引きちぎった。

 胸元を晒し「さあ心臓を刺せ」とでもいうふうに。


「何を……?」

「私の影はここにもある」


 ボルドークの視線がロザリーの胸元――服と肌の間の影に吸い込まれる。

 ロザリーは最も信頼する(しもべ)の名を呼んだ。


「ヒューゴ!」

「お任せヲ」


 ロザリーの胸元からぬるりと這い出たヒューゴは、ボルドークの胸をやすやすと手刀で貫いた。


「ぬ、ぐ、」


 ボルドークは一歩、二歩後ずさり、そのままあおむけに倒れた。

 ヒューゴはボルドークに馬乗りになり、ロザリーの影へと彼を沈めていく。


「……こうなってほしくなかった、残念だよ」


 そう言い残し、彼自身もトプンと影に消えた。




 ボルドークを倒したロザリーだったが、その場から動けずにいた。

 同級生たちの視線が、彼女の背中を射抜いていたからだ。


「あれ、ロザリーか?」

「嘘だろ……」

「でも、だって……」

「……化け物」


 とりわけ親友の視線は、ボルドークの剣よりも鋭くロザリーを貫き、その場に(はりつけ)にした。


「ロザリー……お前、なんで……」


 砦の騎士が駆け付けるまで、ロザリーはグレンのほうに顔を向けることさえできなかった。

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