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38 黒犬襲来

「来るぞ、構え!」


 グレンの声に、円陣の外側にいる青のクラス生が腰を落とす。

 直後、飛来する矢の雨。

 グレンたちは一矢一矢払い落し、矢の出所を剣で指し示す。

 それを見て、緑のクラス生たちが魔導を巡らせる。

 ジュノーが叫ぶ。


「ミズナラの枝の上だ! 撃てっ!」


 一斉に遠隔攻撃用の精霊術(エレメンタル)が放たれた。

 術の内容は、親しむ相手によってまちまち。

 土の精霊と親しむポポーは石つぶて。

 水の精霊に親しむジュノーは水弾というふうに。

 一つ一つの威力はたいしたことなくとも、一斉に放てば矢の雨を超える脅威となる。

 精霊術(エレメンタル)が狙った枝の上からは、悲鳴や痛みに喘ぐ声がいくつも漏れ聞こえた。

 少し遅れて、地面に墜落する音がいくつも響く。


「高所の敵はあらかた片づいた! 森から出るわ! 円陣を保ったまま後退!」


 ジュノーの号令に、円陣がゆっくりと森の外へ下がっていく。

 だが森の外まであと少しというところで、後退が止まった。


「どうした。なぜ下がらない?」


 グレンが尋ねるが、ジュノーは首を横に振る。


「わからない!」


 そこへ、円陣の中央にいたウィニィがやって来た。

「下がれない! 後ろにも見えない(・・・・)敵がいる!」


 グレンが舌打ちする。


「チッ。囲まれたか」

「それよりもウィニィ様、もっと陣の中央に。危険です」


 ジュノーの台詞に、森に溶けこむ敵兵が一斉にざわめいた。


「……ウィニィ?」

「王子だ」

「ウィニィ=ユーネリオン!」

「憎きエイリスの子!」


 グレンは前方に目を凝らした。

 森の景色が人型に動いている(・・・・・・・・)


「ウィニィ、下がれ! 目的はお前だ!」


 グレンはウィニィを後ろへ押しやり、迫ってきた人型(・・)を一刀の元に斬り伏せた。


「接近戦用意! 来るぞ!」


 グレンがそう叫んだ直後に、あちこちの青のクラス生から戸惑う声が聞こえてきた。

 グレンは近くで仲間ともみ合う人型(・・)を背中から斬り捨て、また叫ぶ。


「躊躇うな! 殺れ!」


 四方八方から金属がぶつかる音が響く。

 想像以上に敵は多いようだ。


「チッ。……後ろは!? まだ下がれないのか!?」


 グレンの問いかけに、ジュノーが顔をしかめる。


「まだよ! 後ろも厚い!」


 と、そのとき。


「突撃ぃ~!」


 少し頼りない声色の号令。

 遅れて、円陣の後ろから後軍が突っこんできた。

 円陣と後軍に挟撃された人型(・・)は、ひとたまりもなく潰されていく。


「でかした、ロロ!」


 グレンがこぶしを握り、ジュノーが命じる。


「今よ! 森の外へ!」


 円陣は森から抜け、ついに後軍と合流した。

 四百人の群れの真ん中で、四人の代表(リーダー)が顔を合わせる。


「助かったわ、ロロ」

「ああ、命の恩人だ」

「大袈裟ですよ、ジュノーさん、ウィニィ様。グレン君も無事で何よりです」

「ありがとよ、ロロ。ジュノー、死者は出てないよな?」

「ええ、軽傷者だけ。それもほとんど聖文術(ホーリーワード)の治療済みよ」

「よし、急いで砦へ向かおう。ウィニィは先に離脱しろ、護衛をつける」

「ふざけるな、グレン。僕は最後まで代表(リーダー)の責任を果たすぞ」

「いいえ。狙いは明らかに殿下です。私もグレンの案に乗ります」

「ジュノーまで……ッ!?」


 瞬間、四人の肌が一斉に泡立った。

 何かが襲ってくる。

 なのに、魅入られたように動けない。


「危ねぇロロ! ――うあああっ!?」

「えっ?」


 ロロは突き飛ばされ、尻餅をついた。

 その目の前で、彼女を突き飛ばしたオズが黒い大きな何かに攫われた。

 胴を喰われ、天高く持ち上げられる。

 尻餅をついたロロが、頭上を見上げて声を震わせる。


「お、オズ君」


 男の低い声が響いてきた。


「すまないな、学生諸君。課外授業は中止だ」


 森から一騎の騎士が現れた。

 眼光鋭いその男――ボルドークは、硬い髭をじりじりと擦りながら、生徒たちを睥睨した。


「伏せろ、ウィニィ」


 グレンに引っ張られ、ウィニィが膝を折る。

 ウィニィはグレンの腕にしがみつき、囁き声で訴えた。


「グレン、あれだ。あれが洞窟の死体を殺した獣だ」


 グレンは頷き、ジュノーに問うた。


「あれは何だ?」


 ジュノーは青ざめた顔で答えた。


「精霊よ」

「あれが、か? 悪霊にしか見えないが」

「その認識でいいわ。とても凶悪で、恐ろしいものよ」


 オズを咥えたそれは、黒い犬だった。

 大熊と見紛うばかりの体格で、宙に浮き、眼だけが紅い。

 尾が長く長く伸びていて、その先がボルドークの左手の人差し指に繋がっている。


「指揮官かと思ったが……これは違うな」


 ボルドークが人差し指を弾くと、黒犬がオズを吐き捨てた。

 オズの身体が地面へ落ちる。

 誰もオズを助けに駆け寄らない。

 ボルドークの圧に屈し、動けないのだ。


 ボルドークは生徒たちに見せつけるように、中指と薬指を立てた。

 そこから、二頭の黒犬がゆらりと現れる。

 その様は、ボルドークを胴体とした多頭竜(ヒュドラ)のようだった。


「あんなのが、もう二匹……」


 ロロはそれっきり、絶句した。

 ボルドークが言う。


「これから私は、君たちにこう尋ねる。『ウィニィ王子はどこか?』と。教えればよし。王子自ら名乗り出てもよし。もしどちらもない場合は……可哀想に、三人の若者が憐れな死体となる。そしてまた、私は尋ねる。『ウィニィ王子はどこか?』と。この繰り返しだ、シンプルだろう?」


 ボルドークは笑みを浮かべた。

 そして、グレンたちに尋ねる。


「ウィニィ王子はどこか?」


 しん、と誰も答えない。


「ふむ。ならば仕方ない」


 ボルドークが三指を折る。

 黒犬が牙を剥き、唸り声を上げた。


「ぎゃああああ!」

「いっ、いやぁぁぁっ!」

「あががが……」


 三つの悲鳴が響き、空高く持ち上げられた。

 間を置かず、三つの落下が地面を揺らす。


「まず三人。さて、諸君は何人まで耐えられるかな?」


 ボルドークは髭を触り、また尋ねた。


「ウィニィ王子はどこか?」

「~~っ!」


 立ち上がろうとするウィニィを、ジュノーが押し止める。


「なりませんっ、ウィニィ様!」

「でもっ!」


 ボルドークが三指を折った。

 三頭の黒犬が牙を剥き、唸ったその瞬間。


「うおおおッ!!」


 獅子のように吠えて、グレンが飛び出した。


「グレン! ダメだっ!」

「立ってはいけません、ウィニィ様!」

「ジュノー、僕じゃなくグレンを止めろ! 殺される!」

「わからないでしょう、グレンは強い!」

「無理なんだ! あいつに勝てるのは父上か、兄上か――そうだ、ロザリーがいてくれたら!」

「ロザリー? グレンが無理なら彼女でも……」


 グレンはボルドークへ疾風のように駆け寄った。

 そして渾身の一撃。

 しかしボルドークは、剣を振るうグレンの手首を難なく受け止めた。


「黒犬を放った瞬間を狙ったか。その状況判断は誉めてやろう」

「フーッ、フーッ」


 グレンは息荒く剣を絞るが、ボルドークに掴まれた手首はピクリとも動かせない。


「……しかし、だ。犬の主人が犬より弱いとなぜ思う?」


 ボルドークが右手に魔導を巡らせると、グレンの手首から鈍い音が鳴った。


「う、ぐっ」


 グレンが呻き、剣を取り落とす。

 ボルドークは手首を砕いた右手をそのまま手刀に変え、グレンに向けて引き絞る。


「さらばだ、騎士の卵よ」

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