37 聖なる壁
ロザリーは森を攻め進んでいた。
敵の抵抗は、あるも無しも関係ない。
死の軍勢は波が打ち寄せるように、一方的に敵陣を侵食していく。
だが、その波を阻むものが現れた。
天上から降り注ぐ光のカーテン。
光はオーロラのようにうねりながらアトルシャンの兵たちを包み込み、それは護壁となって骸骨たちを退けた。
「これは……何?」
眉をひそめるロザリーに、ヒューゴが囁く。
「耳を澄ましてごらン」
「耳?」
「いいから」
言われた通りにロザリーが耳を澄ます。
するとどこからか場違いな旋律が聞こえてきた。
「……歌?」
その旋律は、賛美歌のような荘厳な響きであった。
ヒューゴが頷く。
「合唱
「ヒューゴ。どうすればいい?」
「術者ヲ叩く。聖歌はあくまでサポートで、核となる術者は一人だけダ」
ロザリーは覆面を押し下げ、敵陣に目を走らせた。
兵の後ろに隠れるように、何十騎もの騎馬がいる。
「騎乗しているのが騎士ね。歌っているのが十……三十くらい。残りは歌っていないけど……んー、わからないな」
「見ただけで捜し出すのは難しいヨ。向こうだって隠すしネ」
「なら、片っ端から倒すだけ」
ロザリーは剣を抜き、ありったけの魔導を身体中に巡らせた。
血が滾り、力が漲る。
膨大な魔導は身体から
ヒューゴが歓喜に顔を崩す。
「素、晴、ラ、シイ。美しくすらある」
対するアトルシャンの騎士たちには、はっきりと動揺が現れていた。
常軌を逸したロザリーの魔導圧に誰もが顔を引き攣らせ、歌う声は恐怖で揺れている。
「ヒューゴは核の術者を捜してくれる?」
「お任せヲ。御主人様」
ヒューゴは恭しくお辞儀し、ロザリーの影にとぷりと消えた。
それを合図に、ロザリーがグリムを駆る。
光のカーテンを突き破り、敵陣へ。
ただの兵卒は歯牙にもかけない。
グリムが兵を蹴散らし、ロザリーが手近な騎士へ力任せの一撃。
馬ごと吹き飛んだ騎士を追い越して、後続の騎士を鎧ごと貫く。
背を向けて逃げ出した騎士の背中を、グリムが蹄を振り上げ、地面へと縫い付ける。
遅れて向かってくる騎士をロザリーが一刀のうちに斬り倒し、後ろから迫る騎士はグリムが後ろ脚で蹴り上げる。
そして再び、別の騎士の集まりへ突入。
ロザリーとグリムが去った後には、武具の残骸と騎士の身体がいくつも横たわっている。
まるで荒れ狂う暴風であった。
合唱
「尋常ならざる敵。そうは言っても限度というものがあるだろうが……っ!」
目の前の
撤退すべきか。
ふいによぎったその考えを、副長は頭を振って追い出した。
「ありえん。まだいくらも
長きにわたる戦場経験と照らしても、答えは見つからない。
後方の空をちらりと見やるが、やはり赤の狼煙は見えない。
と、そのとき。
「――どこを見ているの?」
驚いて前を振り向くと、自分の鞍に若い女が跨っていた。
波打つ赤毛と今にもこぼれ落ちそうな乳房。
その得体のしれぬ魅力に、副長は思わず仰け反った。
赤毛の女――ヒューゴが嗤う。
「あなた素敵よ? 核の役割をこなしながら気配を隠すのって、そう簡単にできることではないもの。熟練の技と表現すべきものね。おかげで見つけ出すのに手間取っちゃった。……でも、残念。魔導自体は大したことないのね?」
副長はハッと我に返り、腰の剣を抜いた。
だが、その剣を抜く一瞬の間に、斬りつけるべき相手の姿が目の前から消えた。
「遅い。その鈍さは致命的」
副長の首に、後ろから女の細腕が回された。
その細さからは信じられない怪力で、副長が馬から引きずり落とされる。
「ぐうっ!」
落馬した副長は、頬を地面につけたまま、目を見張った。
自分に抱きつく赤毛の女の胸から下が、地面の中に沈んでいる。
「冥府はまだはるか下。さ、一緒に堕ちましょう?」
「ぬ、は……うあああっ!」
副長は必死に抗った。
だが足掻けば足掻くほど、身体が地面に沈んでいく。
「ウフフフフ……」
ヒューゴは不気味な笑い声を残し、副長を地の奥底へ引きずり込んでいった。
「光のカーテンが……消える?」
ロザリーが空を仰いだ。
降り注いでいた光の
同時に、聞こえていた歌も消えた。
術の崩壊を確信したロザリーが、大声で叫ぶ。
「進め! 〝野郎共〟!」
死の軍勢はゆっくりと、そして整然と、浸食を再開した。