35 エンゲージ―1
黒い骨馬――グリムが駆ける。
手綱を取るのはヒューゴで、ロザリーは彼の背中に顔を埋めていた。
「……川沿いにもいない。どこへ行ったんだろう」
ヒューゴが言う。
「お友だちは、死体が獣ノ仕業だと思っているンだよね?」
「ん、そうだね。……そうか、獣と出くわしそうな場所を避けてる?」
「川や湖ノような水場。視界ノ悪い森や林も避けているかもしれない」
「ちょっと視界を広げてみる」
ロザリーの意識と連動し、
「――いた」
天空からの広い視野に、野を行く人の列らしきものが映った。
まだ砦まで距離がある。
「ずいぶん遠回りしたのね。右よ、ヒューゴ。二時の方向」
「二時ネ、了解」
ヒューゴは手綱を右に動かし、それからロザリーに問う。
「間に合いそうかイ?」
「たぶん、ね。砦の近くに潜伏してるアトルシャンの軍勢とは距離があるから――」
そう言ってロザリーは、砦上空を旋回する
「――いない!? いったいどこに……あーっ、もうっ!」
「何事だイ?」
「敵のほうが動いてる! もう、みんなのすぐそこまで来てるっ!」
「……捕捉されてるネ。
「んっ? ……敵部隊が動きを止めた。あのマントで身を隠して、森の中で待ち伏せる気ね」
「お友だちノ動きはどうだい?」
「森を避けてるからぶつからないと思うけど……っ、みんなも止まった!? 何で!?」
「急いだほうがよさそうだ」
「んっ!」
◇
「何か……あったな」
前を見つめ、ウィニィは呟いた。
四百余名のソーサリエ生は、前軍と後軍の二つに分かれ、行軍していた。
前軍はグレン以下青のクラス生の腕利きが前衛・側面を固め、中は緑と黄が半々の総勢百五十名ほど。
指揮するのはジュノー。
残りは後軍で、指揮するのはウィニィ。
遠回りしつつも、計画通り砦へ向かっていたはずだった。
なのに今、突然の足止め。
前軍の歩みがピタリと止まってしまったのだ。
ウィニィの元へ、ロロがやって来た。
「まだ動きませんか」
「ああ」
「私が様子を見てきましょうか?」
「ちょっと待て。……動く」
「あ、本当ですね」
動きを止めていた前軍が再び歩き始めた。
しかし。
ロロが首を捻る。
「方向が変わった?」
「森へ向かっているな」
「そのようです。森や川には近づかないという取り決めでしたよねぇ?」
「~っ、ダメだ。森に入ってはダメだ」
ウィニィはすぐに決断を下した。
「確かめてくる。ロイド、パメラ!」
「はっ!」「はい!」
呼ばれた黄のクラス生二人が歩み出る。
「二人は僕についてこい。ロロ、その間の後軍の指揮を頼めるか?」
「わかりました。ウィニィさん、お気をつけて」
「あとは頼む!」
ウィニィは後軍を抜け出し、急ぎ足でジュノーの元へ向かった。
すぐに前軍の最後尾に追いついた。
隊列は、特に乱れなく進んでいる。
ウィニィは列に入らずに、その横を急いだ。
先頭はもう、森の中へ入っていた。
先頭付近の生徒はどこか、緊張感が漂っているように見える。
誰もが周囲を警戒し、頭上の枝葉にまで目を配る者もいた。
(やはり、何かあったな……)
ウィニィは背伸びして、捜し人の位置を探った。
「ジュノー!」
ウィニィが叫ぶと、反応があった。
大柄な生徒――グレンが群れの中で手を上げ、手招きしている。
同時に、ウィニィとグレンの間の生徒が道を空けた。
「なぜ森へ入った?」
ウィニィはグレンに近寄るなり、彼にそう尋ねた。
グレンが簡潔に答える。
「使い魔を出していた緑のクラス生が昏倒した。だから森へ入ることになった」
ウィニィが苦笑する。
「グレン、それじゃさっぱりわからない」
「む、そうか」
グレンは逡巡し、言葉を選びながら言い直した。
「鳥の使い魔を呼び出して偵察させていたんだが、呼び出した奴がいきなり昏倒した。ジュノーが言うには、使い魔からの感情逆流だと」
「感情逆流?」
「使い魔が殺されると、その負の感情が主へ流れるらしい」
「ふむ。それが森に入ることと何の関係がある?」
「鳥の使い魔だ。脅威は空にいる可能性が高い」
「ああ、空から隠れるために森へ入ったってわけか。……だが、空からとは限らないんじゃないか? 鳥を落とすなら、弓とか」
「俺もそう言ったが、ジュノーが違うと断言した。もっと恐ろしいものだと」
「怖ろしいもの? いったい何が――」
そのとき。
先頭のほうから悲鳴が上がった。
遅れて「敵襲!」の声。
隊列の動きが止まり、前は騒然としている。
「俺が行く。ウィニィはジュノーのところへ」
グレンはそう言い残し、先頭へと向かった。
先頭では青のクラス生が一人うずくまり、それを守るように他の生徒が囲み、周囲を警戒している。
グレンも先頭から出て辺りを見回すが、敵の姿はない。
「どこだ?」
グレンが尋ねると、警戒する生徒が背中を向けたまま答えた。
「矢だ。やっぱりグレンが正しかった。森に入るべきじゃなかった!」
グレンはうずくまる生徒の横へしゃがみ込む。
矢は生徒の二の腕に突き刺さっている。
「すまん、グレン」
「謝るな。隊列に入って治療を受けろ」
「いや、抜いてくれ。浅い」
「わかった」
グレンが矢を握り力を込めると、たいした抵抗もなく矢は抜けた。
矢傷を負った生徒が、強がって笑う。
「賊は魔導騎士じゃないぜ。矢が貧弱すぎる」
「賊、か」
シィィィッ、と風切り音がした。
グレンは立ち上がるなり剣をすらりと抜き、飛来した矢を難なく打ち払った。
グレンのやりようを見て、前衛に立つ青のクラス生の目が鋭くなる。
グレンにできるなら自分も、と闘志を燃やしているのだ。
そしてそれを証明するように、続々と飛来する矢を、前衛は跳ね返し続けた。
だがそのうちに、ある事実に気づく。
「……何人いるんだ?」
矢は一度に十も二十も飛んでくる。
それも、あらゆる方向から。
グレンは木立が震えるほど大きな声で命令した。
「円陣を組め! 外側は青で固めろ!」
そして低い声で言った。
「これは賊じゃない。軍隊だ」