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29 葬魔灯、再び―1

 時は少しだけ遡る。

 ロザリーが無残な遺体のそばにしゃがみ込んでいた、あのとき。

 あのわずかな時間で、ロザリーは夢を見ていた――。


 ◇◇◇


 ――ロザリーは高原に立っていた。

 夜空が近い。

 高原は四方を険しい峰々に囲まれ、まるで神の創った箱庭のよう。

 足元には白く儚げな花が咲き乱れ、夜風が芳香を空へ運ぶ。

 再び見ることはないと思っていた、浮世離れした光景が目の前に広がっている。


「ここは――」


 夜風が後ろから吹き抜けた。

 その後を追うように、背後から声がした。


「――ここはエリュシオンの野」


 ロザリーが振り向くと、そこにはヒューゴが立っていた。


「また来てしまったねぇ」

「……【葬魔灯】。二度目もあるのね」

「そりゃそうさ。一度目があるなら二度目も。三度目も四度目だってあるのが道理というもの」


 そしてヒューゴは首を横に振った。


「……でも僕は、君にもう【葬魔灯】を見てほしくない」

「なぜ?」

「死の淵に立つと、人は変わる」


 ヒューゴの黒髪が夜風を孕む。

 彼は目を細め、遠く峰々を眺めた。


「最初に君を変えた僕が言うのもなんだけどね。僕は今のままの君でいてほしい。君にもう変わってほしくないんだ」

「私はただ、遺体と会話できたらと思って。子供の頃、遺跡の舘でやってたみたいに」

「そうしたら、ここへ引っ張られたんだね」


 ロザリーがこくんと頷く。


「遺跡から発掘される遺体と違って、死にたて(・・・・)は雄弁だ。それに対して君は無防備すぎた。もう少し気をつけないと」


 そこまで話し、ヒューゴはふざけた様子で口をへの字に曲げた。


「それにさ。どうせ見るならもっとマシな相手にしてくれないかな。ボンクラ騎士の【葬魔灯】を見たって受け継げるものはほとんどないんだからさ」


 ロザリーが目を細める。


「そんな言い方しないで」

「死者を冒涜するなって? 気にすることはない、僕も死者なのだから」


 ロザリーは目を逸らし、ため息をついた。


「まあ、何を言っても今更だ。とにかく彼の最期を見てみよう」


 ヒューゴが手をかざすと、そこに窓が現れた。

 何の支えもなく、窓枠だけが宙に浮かんでいる。

 ヒューゴが窓に手をかけ、開け放つ。


「これは……ハイランドね」


 右手にハイランドの絶壁を見ながら、十騎ほどの騎馬の集団が進んでいる。


「西から来てる。砦の騎士かな」


 窓は集団の先頭を行く男を映し出した。

 三十代前半。落ち着いた雰囲気で、胸に獅子の騎士章を着けている。


「この人が、あの遺体の?」

「そのようだね。魔導騎士は彼を含め三名か。残りは魔導のない兵卒だ」


 ロザリーはもう、窓に映る光景から目を離せなくなっていた。

 意識のすべてが男性へ向かう。

 ヒューゴの声が、ロザリーの意識を窓の中へ(いざな)う。


「この男はどんな人間で――どんな最期を迎えるのか」

「死してなお、彼が伝えたい事とは何なのか」

「君は魂を重ね、身をもって知ることとなる」

「ハジマリ、ハジマリ……」


 ロザリーの意識は、窓の中へ飛び込んでいった。


◇◇◇


「グンター小隊長」


 後ろから声がかかり、ロザリーが振り向く。

 とび色の瞳をした、活発そうな女性騎士の笑顔が目に飛び込んできた。


「お子さんがお生まれになるんですよね?」


 ロザリーの意思に反し、頭が頷く。

 続いて、自分の喉から男性の声が響いてきた。


「もうすぐだ。待ち遠しいよ」

「マジすか。つーか小隊長、嫁さんいたんスね」


 妙な敬語で話すのは、女性騎士の隣を行く男性騎士。

 二人とも若く、ソーサリエを卒業して数年であろう年頃に見える。


「カールなんてどうスかね?」

「何の話だ、ネルコ?」


 ロザリー――グンター小隊長がそう尋ねると、ネルコと呼ばれた若騎士は真顔で答えた。


「お子さんの名前ッス」


 グンターの動揺がロザリーにも伝わる。


「……なぜお前が私の子の名前を決めるのだ?」


 すると女性騎士が口を挟んだ。


「そうよ、ネルコ。なぜ息子さんと決めつけるの? 娘さんかもしれないでしょ」

「いや、そういうことではなくてだな」


 眉を顰めるグンターを無視して、若騎士二人の口論が始まる。


「別に決めつけてないぞ」

「決めつけてる。カールって男の名前じゃない」

「女の名前はこれから言おうとしてたんだよ」

「へえ。なんて?」

「……ノーラがうるさいから忘れた!」

「ほうら決めつけてた」

「っ、じゃあノーラが娘さんの名前を考えればいいだろ」

「それもいいけど……男女兼用の名前でいいんじゃない?」

「あ~……ノエルとか?」

「そうそう。クリスとかさ」

「クリスいいな! それがいい!」


 ノーラはにっこり笑い、こちらを見た。


「小隊長。クリスに決まりました」


 グンターは肩を落としてため息をつき、何も言わずに前を向いた。




 馬を進めること、数時間。

 樹木が茂り、視界が悪くなってきた。

 草の丈も長い。


「洞窟周りを少し、刈り込んでおくか」


 グンターはそう言うと、後ろの兵卒の(かしら)に目配せした。

 彼らは戦闘以外の多くの仕事をこなす何でも屋で、様々な道具を馬に積んでいる。

 (かしら)が手際よく指示すると、それぞれが手斧や草刈り鎌を手に、方々に散っていった。

 グンターが残った若騎士二人に言う。


「私たちも手伝うぞ」


 すると二人は一斉に不満の声を上げた。


「騎士の俺たちが草刈りッスか!?」

「任務は洞窟内の安全確認のはず! 任務外の命令には従いたくありません!」


 しかし、グンターは首を横に振った。


「早く済ませたいんだ。どうも気になってな」

「何がッスか」

「出がけに、砦長から忠告された。占いで不吉な結果が出たから注意するように、とな」

「あの陰湿な男が忠告なんてするわけありません! きっと人望のある小隊長を妬んで、嫌がらせで言ってるんです!」

「そう言うがな、ノーラ。彼の占いはよく当たるんだ。特に、悪い占いはな」


 それでもノーラとネルコは不満顔を崩さなかったが、グンターが馬から降りて茂みに向かうと、渋々といった様子で後についてきた。

 グンターが笑って言う。


「お前たち、さては草刈りしたことないな? こうやるんだ」


 そうして腰を屈め、手近な草を束にして握る。


「ほんとにやるんスね」

「やだなあ、もう」


 ぶつぶつ文句を言う部下たちを尻目にグンターは剣を抜き、握った草束に刃を当て――草を刈らずに立ち上がった。

 若騎士二人が不思議そうにこちらを見る。


「どうしました、小隊長?」

「わかった。実は小隊長も草刈りしたことないんスね?」

「シッ」


 口元に指を立て、前方を睨む。

 茂みが動いている。

 よくよく目を凝らすと、方々に散ったはずの兵卒たちが一か所に集まっているのがわかった。

 左右に目を走らせながら、彼らに近寄る。


「どうした」


 グンターは小さな、しかしはっきりした声で尋ねた。

 見れば、グンターよりも年嵩で、経験豊富な(かしら)が顔を青ざめさせている。


「非常事態です」

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