25 ハイランド
ミストラルを出て、三日目。
隊列の先頭を猫背で歩くロロが、テキストを片手に音読する。
「――ハイランド。王国の東と南一帯をとり囲む、絶壁の高地である。王国にとって国境線であり、不壊の城壁でもある」
「止めろよ、ロロ
後ろの誰かがそう言うと、すかさずロロは王国史の教官ルナールの声真似を始めた。
「これから向かうハイランドを知ることは、必ず諸君らの役に立つと保証しよう」
すると後ろの赤の隊列は元より、前を行く緑の隊列にも笑いが起こった。
気を良くしたロロが声真似を続ける。
「ハイランドができたのは大昔のことだ。大地の奥底に眠る巨龍が寝返りを打った。大地には海より深く亀裂が走り、あるいは雲よりも高く隆起した。そうしてできたのが、現在の地形であり、ハイランドもその一つである」
「どんだけデカい龍だよ」
また誰かがつっこむが、素知らぬ顔でロロは続ける。
「始祖レオニードがこの地に国を建てたのは、ハイランド大絶壁があったからだ。この天然の要害の内側に国を建てれば、敵は容易には侵入できないと考えたのだ。五百年経った今でも健在の獅子王国とハイランドが、レオニードの思惑の正しさを証明していると言えよう」
最後まで読み終えると、ぱちぱちと拍手が起きた。
ロロは軽く手を挙げて応え、満足げにテキストを背中のリュックへ突っ込んだ。
ロザリーが冗談めかして言う。
「ヴィルマ教官に、
「それも悪くないですねぇ」
満更でもない表情で、ロロは頷いた。
しかしすぐに、それが険しい顔へと変わる。
「どうかした?」
「あの生徒」
ロロは前を行く緑の隊列を指差した。
緑の隊列は前にも増して
ロロが指し示すのは、その中でもとりわけ端を行く一人の女子生徒だ。
小麦色の肌に、気の強そうな瞳。
肩の上で切り揃えた青い髪が揺れている。
「彼女、ラナ=アローズです」
ロザリーは、ハッとその名に思い当たった。
「無色の魔導って判定された?」
ロロが頷く。
「貴族で唯一、無色だった生徒です」
「なぜここにいるの?」
「どうも無色だからって即刻、退学処分になるわけではないらしいです。皆、自分から辞めていくだけで」
「でも……残ったって卒業できないよね?」
「彼女は必修科目だけ出て、あとは
「そっか、課外授業は必修か」
「クラスごとの行軍と決めた後に、彼女の存在に気づいたんですよねぇ。だから彼女はああして一人っきりで隊列を組まなければならなくなり」
「ああしてると、緑の隊列にいるようだけどね」
「昨日までは青と黄の間にいたそうです。ただ、無色が一人きりで歩いていると、彼女をなじる声も多かったそうで。昨日の
「お~、さすがはジュノー。かっこいい」
「私だって申し出ようと思ったんですよ? ジュノーさんのほうが早かっただけで……」
「はいはい。でも、それなら万事解決でしょ? なぜそんな難しい顔してるの?」
「彼女、どんどん離れていくんです」
ロザリーがラナに目を戻す。
ラナは誰とも目を合わせず、けれども凛と胸を張って歩いている。
まるで誰の手も借りる気はないと宣言するかのように。
あるいはまるで、行き先が同じだけの、赤の他人であるかのように。
「もし何か起きたら、周りの同クラス生と互いを守り合うでしょう? そのために隊列を組んで移動しているといってもいい。バラバラな緑の隊列だって、いざとなればそうするでしょう。……でも、ラナさんは? 列から離れ、同クラス生もいない。そもそも無色だという理由で蔑む生徒がほとんどです。彼女の身に何か起きたら、私はどうすればいいのでしょうか」
「……赤の隊列に入れる? 端じゃなくて、中のほうに」
ロロの顔がいっそう険しくなる。
「いや、うちのクラスにだって無色を蔑む者はいるはずです。ヴィルマ教官の魔導性別性格診断でいえば、
「んー、だよねぇ。まあ、私だって――」
「――蔑んでいますか?」
ロロのまっすぐな問いかけに、ロザリーは首を横に振った。
「それ以前ね。無色は退学するものと思い込んでて、それを何とも思ってなかった。ラナのことだって、儀式の日以来、忘れてた」
ロロはロザリーの言葉を咀嚼するように、ゆっくりと頷いた。
「私も同じです」
「ラナを視界に入れるようにしておくね。彼女に何かあったらすぐ動けるように」
「ありがとう、ロザリーさん。心強いです」
「いえいえ。……何か、急に冷えてきたね。冬の女王が帰ってきたのかな?」
肩を抱いて震えるロザリーに、ロロがポンと手を打って答えた。
「ああ、影に入ったんですよ」
「影?」
「ハイランドの影ですよ」
ロロが遠く前方を指差した。
南の空は灰色の雲に覆われていて暗く、見通しが効かない。
「ハイランドは常に雲と霧に覆われていて全貌は見えません。見えませんが確かに天高くそびえ立っていて、日光を遮っている。この寒さがその証拠です」
ロザリーが目を凝らす。
雲と大地の間。
立ち塞がる絶壁の高地がぼんやりと見えてきた。
「あれがハイランド……」
ハイランドに近づくにつれ、辺りはいっそう暗くなった。
不安に駆られたのか、あるいは目的地が近いせいか、緑の隊列も自然とまとまってきている。
赤の隊列も緊張感漂う中、のんきな男子生徒の声が響く。
「なあなあ。なんで直接砦に行かねえんだ?」
近くの女子生徒が迷惑そうに答える。
「うるさいわよ、オズ」
「なんで洞窟に行くんだよ」
「洞窟の調査が任務でしょ。そう言ってたじゃない」
「だからー、なんで洞窟なんて調査するんだ?」
「知らないわよ」
「見ろよ。あの馬鹿デカい壁があるのに、敵兵とかいるわけないじゃん。調査する意味、なくね?」
「知らないったら!
「おっ、そうだな!
「……うるさいですねぇ」
ロロが不愉快そうに後ろを振り返る。
オズが隊列を割って、先頭までやって来た。
「なあなあ。なんで――」
「――聞こえてましたよ。洞窟を調査するのは、それがハイランドを貫く地下道だからです」
「ハイランドを貫く!? それって皇国に繋がってるってことか?」
「ええ、まあ。そういうことだと思います」
「やべえじゃん! 敵、来ちゃうじゃん!」
「さっきと言ってることが違いますねぇ……」
「だって敵、来ちゃうだろ?」
「いや、封鎖されていますから、来ないと思いますが」
「だいたい、なんでそんな地下道あるんだよ! 危ねえじゃん!」
「なんで? ……う~ん、ロザリーさん知ってます?」
ロザリーは苦笑いで答えた。
「私、ハイランドに来たのだって初めて」
「私も遠目に見たことしか。う~ん……」
ロロが唸っていると、後ろを歩いていた男子生徒が口を挟んだ。
「昔、お爺様に聞いたことがある」
赤のクラスきっての高位貴族、ウィリアスだ。
「洞窟は、王国ができる前から存在する地下水道らしい。大昔からそこに有って、独立戦争の時に抜け道として使われていたそうだ」
オズが怯えた様子で尋ねる。
「今も繋がってるのか? 敵兵来るのか?」
「いや、終戦後に王国皇国両側から埋め立てられて、もう使えないはずだ。それでも定期的に巡回するのが慣例になっていると聞いた。洞窟の調査もその一環だろう」
オズはふーっと息を吐き、しみじみと言った。
「なーんだ、やっぱり敵兵来ねえんじゃん! 人騒がせだな!」
すると周囲のクラスメイトが声を合わせて言った。
「「オーズ! いい加減、黙れ!」」
オズはまた怯えた様子で小さくなった。