<< 前へ次へ >>  更新
21/78

21 薬学

 クラス分けから二か月が過ぎた。

 冬の背中は遠く小さく、王都ミストラルにも春の足音が聞こえてきていた。


 赤のクラスでは、今日も魔女術(ウィッチクラフト)の授業が行われている。

 教壇に立つのはヴィルマだが、いつもと雰囲気が違う。

 生徒たちは顔を覆うようにマスクをし、教室には鼻をつく臭いが充満している。

 そこかしこに薬草の束や、干からびた何かの生き物の成れの果てや、毒々しい色の小瓶の数々が置かれている。

 生徒の間を回りながら、ヴィルマが生徒たちに声をかける。


「マージョラムは香りづけだからケチらなくていいわ。でも飛竜の干し爪はきっちり計って。いいわね?」

「ヴィルマ教官。なんで飛竜の干し爪はケチるんですかぁ?」

「あぁ、オズ。あなたって本当に馬鹿ねぇ。高価だからに決まっているわ」


 生徒たちから笑いが起こる。

 魔女術(ウィッチクラフト)はまじないだけを指すものではない。

 占いや魔女の雑学なども含まれる。

 この授業は薬学――薬と毒の調合について学ぶ授業だ。


 ロザリーは小さな乳鉢の中にスプーンを入れた。

 粉になった飛竜の干し爪を、すりきりひとさじ。

 焼いて砕いた蜜蜂を一匹ぶん。

 温室から採ってきた叫び根草を搾って、出た汁をスポイトで三滴。

 マージョラムは少し多めに。


 ロザリーの目は真剣だ。

 まじないについてはヒューゴから教わっているが、薬学は別だ。

 知らないことを学ぶ快感を全身で感じていた。


「仕上げに月光蜜を混ぜる。扱いには注意して、静電気でも引火するから」


 ロザリーは琥珀色の液体を、そっと実験用ビーカーへ注いだ。

 それまでヘドロのような色と粘度であったビーカーの中身が、一瞬で青白く透き通った液体へと変容する。

 ヴィルマはすべての生徒が工程を終えたのを見届けて、それから手を叩いた。


「これでエーテルが完成。さあ、飲んでみましょう」


 生徒たちは、これは本当に飲んでいいもなのかと怖気づく。

 しかしヴィルマは、手本として作ったエーテルを片手に持つと、もう一方の手を腰に当ててグイッと一気に飲み干した。

 その様子を見て、生徒たちも続く。


「どう? 魔導が回復していくのを感じるかしら?」


 ロザリーは胸に手を当てた。

 心臓の辺りで、トクン、トクンと満たされていくような心地がする。


「エーテルの服用によって回復する魔導はそう多くはないわ。でも、時間経過以外で魔導を回復する方法は限られている。騎士団でやっていく自信のない人は、作り方をよく覚えておくことね。エーテルを調合できれば、食べていくのには困らないから」


 そう言いながら、ヴィルマは教卓の上の調合器具を片づけた。


「ヴィルマ教官」


 一人の女子生徒が手を挙げた。


「なに?」

「オズ君の様子がおかしいです」


 見れば、オズの様子が確かにおかしい。

 首をグネグネと動かし、目は虚ろ。

 ヴィルマは大きなため息をついた。


魔導酔い(トリップ)よ。飛竜の干し爪を入れすぎたのね」


 ヴィルマはオズを指差して言った。


「配分を間違えば、薬は毒にも麻薬にもなり得る。彼を見て、よく心に留めておいて。では、授業を終わるわ」


 そうしてヴィルマは教室を去ろうとして、ハッと立ち止まった。


「うっかりしてた。来週の課外授業までにクラスの代表(リーダー)を決めなくちゃ」


 そして生徒たちに向き直り、

「誰にしようかしら」

 と、生徒一人一人の顔を指でなぞっていく。


 代表(リーダー)になりたい生徒は一人もおらず、誰もがサッと下を向く。

 グネグネ動くオズの顔の上で一度指を止めたが、ヴィルマは自嘲の笑みを浮かべてまた指を動かす。

 そして――。


「あなたにするわ」


 ()されたロザリーは、一瞬ドキリとした。

 しかし、よくよく見れば指先がわずかにずれている。

 指しているのは、ロザリーではなくその後ろの席。


「ロロ。よろしくね?」

「へぁっ!?」


 ロロは奇声を上げて立ち上がった。

 すかさずヴィルマが皆に言う。


「我がクラスの代表(リーダー)、ロクサーヌ=ロタンに、拍手!」


 すぐさまクラス中から大きな拍手が巻き起こった。


「ちょっ、ええっ!?」


 ロロは猫背でオロオロするばかり。

 困惑の表情でロザリーを見下ろすが、彼女もまた拍手をしていた。

 ロロは泣きそうな顔でロザリーの机にすがりついた。


「な、なんで私なんです!?」

「年長者だから、とか?」

「私は無駄に年を取ってるだけですよ! 経験豊かとは違いますから!」

「そんなの私に言われてもさ」

「そうだ、ヴィルマ教官!」


 ロロが立ち上って振り向くと、すでにヴィルマの姿は影も形もなかった。


「……逃げたなっ」


 ロロはそう呟き、決意の瞳でロザリーに言った。


「追いますよ、ロザリーさん!」

「えーっ」

<< 前へ次へ >>目次  更新