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99 狙う者――ジュノー

 ~~ソーサリエ卒業試験概要~~

 筆記試験、魔導量計測、戦闘実技、魔導実技の四項目で試験を行う。

 これらの総合点で優秀卒業者を決定する。

 いずれかの試験を棄権、もしくは不可評価となった者は卒業を認めない。

 四項目の試験終了後、最終試練――〝ベルム〟を行う。

 最終試練(ベルム)において優勝団体に属した者は、合計点を五割増しとする。

 リル=リディル英雄剣受領者を、他の卒業試験の成績如何に関わらず主席卒業者とする。



 緑――精霊騎士(エレメンタリア)のクラス。

 たっぷりと髭を蓄えた中年男性の担当教官――アラミドが、穏やかに生徒たちに語りかける。


「森や海ばかりではない。精霊はどこにだっている。小川とも呼べないせせらぎにもいるし、町にもいる。町の中でも、パン屋にだって鍛冶屋にだって――このソーサリエにだっている」


 生徒たちは視線だけで教室のあちこちを見回す。

 その反応を楽しみながら、アラミドが続ける。


「彼らは神や悪魔とは違う。言うなれば、奇妙な隣人だ。好奇心旺盛で、頑固で、惚れっぽく、いたずら好きで、一途で、移り気で……そう、彼らは人に近いのだ。だが、やはり人でもない。たいていは精霊騎士(エレメンタリア)にしか見えないし、精霊騎士(エレメンタリア)であっても波長が合わず見えないこともある」


 アラミドは生徒たちに背を向け、黒板に〝ホーム〟と板書した。


「彼らと付き合うとき、忘れてはならない概念が〝ホーム〟だ。仮に、君たちが森と親しむ精霊騎士(エレメンタリア)で、この教室が森だとしよう」


 すると突然、窓の隙間から蔦が這い、床板から若芽が伸びてきた。

 驚く生徒たちをよそ目に教室はみるみるうちに緑に包まれてゆき、生徒たちの鼻に樹々の香りが漂ってくる。


「この森にいる限り、彼らは君たちを助けるだろう。同じ森に属する仲間という認識だ。では、森を出たならどうか」


 アラミドがパンッ! と手を打った。

 途端に蔦は枯れ落ち、若芽が萎れる。


「彼らは助けない。〝ホーム〟から出ることを拒むからだ。精霊にとって〝ホーム〟とは故郷であり、属するコミュニティであり、存在そのものでもある。〝ホーム〟の形は様々だ。ある森であったり、大空すべてであったり。時には小さな指輪であることも。つまり、精霊騎士(エレメンタリア)の力はその時々の場所によって大きく制限されるというわけだ」


 そこまで話し、アラミドの気配が変わった。

 髪や髭の色が緑がかり、毛先が草そのものに変化していく。


「私はまさに森に親しむ精霊騎士(エレメンタリア)だ。そしてここは森ではない。なのになぜ力を十全に振るえるのか。それは、ファミリアのおかげだ。――スピカ!」


 アラミドが名を呼ぶと、彼の眼前に小妖精が現れた。

 手のひらほどの大きさで青白く、尖った(はね)が二対生えている。

 生徒たちから感嘆の声が上がる。


「スピカは森の妖精。森に〝ホーム〟を持つ使い魔だ。なのになぜここに呼び出せるのか。それは私の中にも〝ホーム〟があるからだ。実家と現住所とでも考えてくれればいい。私はスピカを通じて森にアクセスし、森の外でも森の精霊たちから助力を得られるというわけだ」


 スピカはくるりと宙返りし、薄まって消えた。

 アラミドが、いつのまにか普通に戻った髭を擦る。


「森の外で力を使えるだけではない。森の中なら、スピカの橋渡しでより深いところにいる精霊と通じることができる。君たちが偉大な精霊騎士(エレメンタリア)を目指すなら、ファミリアとの契約は避けて通れぬ道だと言える。簡単ではない。努力すればいつか必ず、とも言えない。生涯かけて得られない者も珍しくはないからだ。だが君たちはすでに、ファミリアを得る資格は十分に持ち合わせている。証拠を見せよう。――ジュノー! 君の(・・)を見せてくれるか?」


 どよめきが起こり、一斉に視線がジュノーへ向かう。

 ジュノーは小さく頷き、「おいで、シベル」と呟いた。

 彼女の紺青色の髪がふわりと舞い、宙に水泡が上る。

 ジュノーの眼前に姿を見せたのは、子猫くらいの大きさの奇妙な魚だった。

 海の青を集めたように真っ青で、レースのようなヒレを体中にまとわせている。

 アラミドが拍手を送った。


「素晴らしい! 竜の愛し子(シードラゴン)だろうか? よろしくね、シベル。……ジュノー、この教室を海水で満たすことはできるかい?」


 ジュノーが「はい」と頷くと、他の生徒たちが慌てふためいた。

 慌てて床から足を上げる者や、机によじ登る者までいる。


「あいやあいや。そうしろと言ったわけではない。ジュノー、シベルを君の中の〝ホーム〟へ帰してくれ」


 ジュノーが指で招くと、シベルは揺らめきながら消えていった。

 アラミドが教卓に開いていた本を閉じ、生徒たちを見回す。


「ジュノーは偉大な精霊騎士(エレメンタリア)への階段を一歩、君たちより先に上った。しかし焦ることはない。人によって上るペースは様々だし、階段の上り方も一通りではない。重要なのは、自分たちにはできると知ることだ。……君たちは今、それを知ったね。果たしてどんな精霊騎士(エレメンタリア)になるのか。ぶっちゃけて言えば、偉大でなくともいいんだ。みんながみんな偉大になったら、それは偉大ではなく平均的な精霊騎士(エレメンタリア)ということだからね。大事なのは自分のやり方を見つけ、自分の意思で階段を上ること。焦らず、自分のペースでね。……私は今から楽しみで仕方がない。君たち一人一人が精霊とどのような関係を築くのか、ワクワクしてたまらないんだ」


 すると生徒の一人から声が飛んだ。


「だからその年になっても独り身で教官なんてやってるんですね!」

「そうだ。そうだが……独身は関係ないだろう? 君の将来は楽しみから除外だ」

「えーっ!?」

「冗談だよ」


 アラミドは笑い、本を小脇に抱えて教室を出ていった。

 扉が閉まると同時に、生徒たちは席を立った。


 大半の生徒が「ジュノー!」「ジュノー!」と彼女の机の周りに集まる。

 ファミリアを見た感想や彼女への賞賛、自分への助言を求める声が乱れ飛ぶ。

 ジュノーはその一人一人と言葉を交わし、笑顔で頷き、そっと腕に触れる。

 最後の女子生徒がジュノーの前から離れると、一人の男子生徒がジュノーに近づき、耳元で囁いた。


「ジュノー。許可がほしい」


 ジュノーは視線も向けず、笑顔を浮かべたまま答えた。


「なんのこと? ザスパール」


 ザスパールはジュノーの実家――ドーフィナ家に仕える騎士の子だ。

 幼少期からジュノーの側にいて、ともに育ったといえる仲であった。

 ジュノーの力となることが自分の使命であり、それは今後の人生においても続くのだと彼は信じていた。


()の切り崩しを始めたい」


 ジュノーの眉がピクンと跳ねる。


「何をする気?」

「あっちのクラスに従兄弟がいるんだ。ギリアムって奴。ロザリーが気に食わない様子だったから、誘えば乗ってくると思う」

「何人連れてこれる?」

「よくつるんでるのは五、六人だ」

「少ない。初手が肝心よ。残った赤クラス生が焦りを覚える数を引っ張らなければ」

「何人くらいだ?」

「最低二割、二十人。できれば半分」

「五十人は……ギリアムの器じゃきついな」

「私の実家を匂わせてもいいわ」

「脅すのか?」

「飴と鞭よ。もし半分連れてこれたなら、ドーフィナの騎士団に幹部候補待遇で取り立ててもいいと伝えてはどうかしら」

「そりゃあいい。ギリアムならよだれ垂らして尻尾を振るだろう」

「鞭も使うのよ? もし裏切れば――」

「わかってる。……それにしても。実習から帰って変わったな、ジュノー」

「そう?」


 ザスパールは少し言い淀んでから、言葉を続けた。


「ドーフィナ家の力を使うこと、前は嫌がっていたじゃないか」

「ああ、そのこと。構わないわ。嫌かどうかで判断しているうちは子供なんだと、ようやくわかったから」

「そうか」


 ジュノーの視線が、初めてザスパールに向いた。


「ザスパール。こんな私は嫌?」


 ザスパールは笑って、首を横に振った。


「いいや。むしろやりやすいってもんだ」

「そう。ならいいわ」


 そう言って、ジュノーは目を閉じた。

 ザスパールにだけわかる、「話は終わり」の合図だ。


「じゃ、ギリアムに話しつけてくる」


 ザスパールが教室の出口へと歩き出すと、すぐにジュノーに呼び止められた。


「ザスパール」

「何だ?」

「話をつけたら、すぐに戻りなさい。()も始める」


 ザスパールはニヤリと笑った。


「了解だ、我が主!」


 ザスパールは意気揚々と教室の外へ消えた。

 ジュノーはふーっと息を吐き、誰にも悟られぬように歯を軋ませた。


(足りない。ロザリーに勝つにはまだ足りない……!)


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