第九九話 「正体軍師」
泣き止んだレージュとともに彼女らは白い廊下を進んでいる。
「レージュ、大丈夫?」
「うん。もう大丈夫だよ。変なこと見せちゃってごめんね」
「全然気にしてないよ。でも、顔色悪そう……」
「本当に大丈夫だから。ちょっと考え事させてね」
先頭を行くユウトが施設の説明をして歩いているが、その内容はレージュの耳には全く入っていなかった。
さっき自分の中に現れた感情。あれは自分のものじゃない。涙を流していたのは自分だけど、涙を流していたのは自分じゃない。
では、あそこで泣いていたのは誰か。
その答えは出ている。自分の中では完全に導き出されている。だけど、それを認めると言うことはできない。まだ推測の域を出ていない。だから認めるわけにはいかない。
でなければ、レージュというこの存在は……。
「……ペタル? セルヴァ?」
ふと気づくと二人がいない。白い閉塞的な廊下には自分以外だれもいなくなっていた。
考え事に集中しすぎてはぐれてしまったのだろうか。
そう考えて歩き出すレージュの後ろには、血のように赤い文字でこう書かれていた。
『危険! この先関係者以外立入禁止!』
窓一つない廊下を歩いていくと、扉の開いている部屋を見つける。部屋の中をのぞき込んでみるが、真っ暗で何も見えない。
レージュは、何かに導かれるようにその部屋へと入っていく。
暗闇の部屋へ入ると同時に扉が閉まり、レージュは漆黒の中に閉じこめられてしまう。だが、すぐに目映いほどの明かりがつき、レージュは思わず目をつぶる。
目を開けたレージュの前にあった光景は、白くて小さな部屋があるだけだった。
「ここは……?」
この部屋はとても狭く、そしてとても白い。この白い小さな部屋には、よくわからぬ金属の箱が天井まで積み上げられている。
この部屋は見覚えがあった。初めて来た部屋だが、ずっと昔からこの部屋は知っていた。
「まさか……いや、間違いない。夢で見た白い部屋だ。この部屋で横になっている夢を何度も見てきた。彼女に会う夢を何度も見てきた……」
幼き頃より幾度も夢に見た白い部屋が、いま現実のものとして目の前にある。
体が震える。何故かは分からない。いや、どの感情で震えているのかが分からないのだ。
「でも、これは……」
十字架の眼帯が痛いほどに締め付けてくる。
息が苦しい。暑いのに寒い。汗が止まらない。
これほど緊張したことがあるだろうか。
これほど恐怖したことがあるだろうか。
違う! ここは白い部屋じゃない。だって、だって、もしもここが白い部屋で、あたしが寝ていた部屋だとしたらおかしいところがある。この部屋でベッドらしき物はなく、ただ、部屋の中央に小さな台があるだけだ。
頭の回転が早いレージュだからこそ、わかってしまう。どうしようもなく理解してしまう。
ここで寝ていたのは誰なのかということを。
この台で寝ていたのが何なのだということを。
自分が見ていた夢が、誰の記憶なのかを……。
認めたくない……。
レージュは、そこにあるべき物を震える手で置く。
絶対に認めたくない……。
その小さな台には、クレースがぴったりと収まった。
疑念が、確信に変わってしまった。
「あたしは、クレースだ……」
☆・☆・☆
セルヴァとペタルが、さまよっているレージュを発見したとき、彼女の顔は蒼白であった。
「レージュ大丈夫!? 何があったの!」
ペタルが駆け寄って抱き抱えるが、レージュは何かを譫言のようにつぶやいているだけだ。
セルヴァはいつもどおりのんきな声でペタルの疑問に答える。
「レージュ様はご自身の存在を再認識しただけですのでー、大丈夫ですよー」
「――ッ、セルヴァアアア!」
激昂したレージュはペタルを突き飛ばし、クレースを骸骨の死神に変化させて、骨の手でセルヴァを壁に押さえつけて鎌をその首に当てる。
「お前ッ、どこまで知っているんだ! どこまで知っていたんだ!」
「セルヴァは何も知りませんよー。ご主人様が教えてくださるだけですー」
こんな状況でも笑顔のセルヴァの目に嘘はない。猛るような赤い瞳のレージュはセルヴァを握りつぶしそうなほど力を込める。
「だったら今すぐそいつに会わせろ。あたしが直接話して全てを聞き出してやる!」
鎌がセルヴァの首に赤い筋を作った。レージュのあまりの変貌っぷりにペタルがあわてて止めに入る。
「ちょ、ちょっと落ち着いてよレージュ。いったいどうしちゃったの?」
「部外者は黙ってて!」
突き放すようなレージュの言葉にペタルも声を荒げる。
「部外者じゃないよ! あたしはレージュの友達だよ。セルヴァさんだってそうだよ! 友達が友達を傷つけるところなんて見たくない!」
「……あんたに、何がわかるんだ」
「あんたじゃない! ペタルだよ、レージュ」
震えるペタルの言葉に、セルヴァを握りしめる死神の手がわずかに緩んだ。
「ねえ、全部話してよ。そうしてくれたら、私も力になれるからさ」
「……なれるわけがない。無理なんだよ、ペタル」
「なれるわ。約束する」
ペタルの目には、不安よりも決意の色が濃い。
「あたしの前で約束と言ったね。じゃあ試してあげるよ。――ペタル、あたしが古代遺産を憎んでいて、この世界から排除するってのは言ったよね」
「うん」
「ついさっきわかったんだけどね、あたしのこの体は、クレースから作られた人形なんだ」
「……人形?」
「そう。レージュという存在は、クレースから作られた人の形をした古代遺産だったんだ。あたしは天使でも人間でもない。ただの道具だったんだ」
「……」
「さっきペタルもクレースの模型のところで見たよね。映像のあの褐色肌の天使を。あれがあたし。クレースがイメージして作った人形なんだ」
レージュの顔には自嘲と自虐がありありと浮かんでいる。
「笑っちゃうよね。古代遺産を滅ぼそうとしているあたし自身が古代遺産だったなんて。古代遺産を壊すために作られた古代遺産、それがあたしなんだ」
純白の翼も力なく垂れ下がっていた。ただ、死神だけはそのままセルヴァを押さえつけている。しかし死神の手も微かに震え始めた。
「今こうして話しているのも、あたしじゃなくてクレースなんだろうね。……じゃあ、あたしって何なの? この気持ちすら、クレースに作られたものなの?」
「レージュ……」
「もう、何もわかんないよ。このあたしってなんなの……。レージュって誰のことなの……」
うつむいたままのレージュは呻くように言葉を絞り出す。
あれほど探し求めた自分の正体が、実は何者でもなく、古代遺産から作られた人形であった。
自分は、自分の存在とはなにか。自分は誰なのか。
今の彼女にそれを知ることは出来ない。
ただわかるのは、レージュなどという人物はこの世に存在しないということだけだ。