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第九七話 「鳥人軍師」

 レージュを閉じこめて発車した電車は空へと昇り、彼女を完全に孤立させる。レージュ以外では唯一の翼を持つセルヴァは遠くへ吹っ飛ばされてしまった。


「レージュ! 今、助けるわ!」


 いや、一人いた。

 高速で動き回る電車の扉に貼り付いているペタルがいる。セルヴァが吹っ飛ばされる刹那、彼女が壊しかけた扉の隙間に指を引っかけてしがみついていたのだ。


 なんとかして扉を開けてレージュを助けようとするが、ペタルの体を引っ剥がそうとする暴風が容赦なく襲いかかり、何度も振り落とされそうになる。


「もう、開けなさいよ!」


 いくら喚いても扉が開く気配はない。そうしている間にも、扉の向こうではレージュが殴られ続けていた。へこんだ扉にできた小さな隙間につっこんでいる指に再び力を込め、再度こじ開けようとする。


「助けられっぱなしは嫌なの。私だって、レージュを助けられるって証明して見せるんだから!」


 その想いがペタルの中で爆発すると、願いが通じたのか、彼女の細い手に力が満ちあふれ、扉の隙間が少し広がった。


「こんのおおお!」


 少女とは思えぬ力で扉を徐々にこじ開け、あと少しで中に入れるという所で、ついにペタルは暴風に耐えきれず振り落とされてしまう。




「ペタル!」


 振り落とされるペタルを見てレージュは叫ぶ。翼を持たぬ彼女ではこの高さから落ちたら……。


「クレース、起きて!」


 殴打してくる彼らがレージュの眼帯をはたき落とす。頭から血が出てきて空虚な(空っぽの)右眼窩に流れ込む。すると、レージュ本人を含めて誰も気づかなかったが、彼女の右眼窩の中で何かが弱々しく発光した。


「邪魔をするな!」


 レージュが吠えると、何故か彼らは言うとおりに攻撃を止めてしまった。だがそんなことは気にも止めずにレージュは必死にクレースに呼びかける。


「寝てる場合じゃないぞ、クレース。あんたしか頼めるのはいないんだ。ペタルを助けて!」


 クレースが動かなくなってから凄まじい眠気が重たくのしかかり続けているが、今ここで動けなくなってしまったら全てが終わりだ。


「クレース!」


 再びレージュの空虚な右眼窩の奥で何かが小さく輝くと、突然、窓の外がまばゆい光に包まれる。



 その光が収まると、電車の天井からメキメキと音がした。レージュが見上げると、何かが電車の天井を引き剥がしている。まるで巨大な猛禽類のような黄色くてゴツゴツした足がこじ開けられた天井の隙間から見えた。

 (あらが)いきれぬ睡眠の波に揺られながら、新手かと警戒するレージュだが、聞こえてきた声が見知った少女の声だと知ると息を呑んだ。


「レージュ、大丈夫!?」

「その声……まさか、ペタルなの?」


 そしてついに天井は完全に引き剥がされ、天空に広がる青空が飛び込んでくる。そこに見えたペタルの姿はレージュの知る彼女のものとは大きく違っていた。ゴツゴツした猛禽の足は彼女の足となり、両腕は翼になり、おまけに爪まで付いてる。


「……どういうこっちゃ」


 そこで、レージュの意識は途切れた。


               ☆・☆・☆


 次にレージュが目覚めた時は、建物から流れ落ちる小さな滝に頭を突っ込まれた時だった。


つめた!」


 頭を振って水気を飛ばすとセルヴァが自分を抱えていた。


「おはようございますー、レージュ様ー」

「セルヴァ……? よかった、無事だったんだね。状況は?」


 セルヴァが言うには、自分が意識を失ってから数分しか経っていないらしい。意識が落ちる直前にペタルが救いだし、そのまま地上に降りてセルヴァが直したと言う。確かに全身をボコボコに殴られたが既に痛みはないし、血も止まっている。


 とりあえず電車の危機は脱したようだが、それにしても、あのペタルの姿はなんだったのだろうか。セルヴァに聞いてみると、ペタルが古代遺産だと彼女は告げた。


「ペタルが、古代遺産だって?」

「正確にはー、古代遺産と融合してしまったと言った方が正しいですねー」


 ペタルはどこかで古代遺産を取り込み、自分の一部としてしまったとセルヴァは推測したようだ。


「そんなことがありえるの?」

「以前にご主人様が『前例はある』と仰っていましたー」

「いつ、どこで? あたしたちと一緒にいたときはそんなこと……」


 まさか、自分たちに出会う直前にそうなってしまったのか。最初の握手の時に感じた嫌悪感、あれは彼女の中にある古代遺産に対してだったとすれば……。


 建物から流れ落ちる水の音がやけに耳に響く。


 ペタルが古代遺産と一体化しているのだとしたら、自分はいずれ彼女を殺さなくてはいけないのだろうか。いや、いきなり最悪の想定で話を進めるのはまずい。何か手はあるはずだ。今は方法がわからなくても、必ず彼女を救うすべを見つけてみせる。要は彼女から古代遺産を引きはがせれば良いのだ。


 そう考えながら右目を掻いていたレージュはふと気づく。眼帯が無い。そういえば電車の中で殴られた時に頭から落ちていた。


「セルヴァ、あたしの眼帯はどこ? 電車の中?」

「いいえー、ちゃんとこちらにありますよー」


 セルヴァがロングスカートの中から十字架の眼帯を取り出すと、レージュの顔に付け直す。


「ありがとね。ところで、姿が見えないけどペタルはどこに?」


 セルヴァが建物の出入り口を指す。外に出てみると、向かいの建物の屋上に大きな翼が見えた。ペタルはそこに隠れているようだ。


「ペタル? なんでそんなところに隠れているのさ」

「だ、だって……レージュも見たでしょ。私、こんな姿になっちゃって……」


 意識を失う直前に見えたペタルの姿。手足が猛禽類の足と翼へ変化していた彼女の姿は覚えている。

 突然自分の体がそんな姿になってしまったのだから戸惑っているのだろう。


「天使のあたしがそんなことで差別するとでも? 見くびってもらっちゃ困る。こっちに来なよ、そんなに離れてちゃ話しにくい」


 ペタルがおずおずと屋上から顔を出し、そのまま羽ばたきながら飛び降りてレージュの前に舞い降りた。


 改めて正面から見てみると、なんとも不思議な姿であった。顔はそのままペタルで、腕そのものが巨大な翼となり、足は太く長く力強い猛禽のようだ。そして電車のときは分からなかったが、頭にも飾り羽のように小さな翼が生えている。


「立派な翼じゃん。カッコいいよ」

「……本当?」

「本当さ。一緒に飛べる友達ができてあたしは嬉しいよ。にひひ」


 レージュはペタルに抱きつく。彼女の体は震えていた。


「この足だってあたしを助けてくれた強くて優しい足だ。――助けてくれてありがとうね、ペタル」

「うん……ありがとう、レージュ」


 涙を浮かべる彼女は一度レージュを強く抱きしめるとレージュから離れる。


「でも、これじゃあローワ君やお母さんに会えないよ……」


 意気消沈するペタルに救いの声をかけたのはセルヴァだった。


「それなら大丈夫ですよー。クレース様を使えば元に戻るってご主人様が仰っていましたー」

「クレースを?」

「はいー。クレース様を持って『戻れー』って念じれば元に戻るそうですよー」


 いつの間にご主人様と連絡を取ったのか知らないが嘘は言っていないようだ。とりあえずクレースをペタルに向けて持って戻れと念じてみる。


 すると、ペタルがぱっと光に包まれたかと思うと、次に見えたときはもとの人間の姿に戻っていた。

 ペタルが、確かめるように手を握ったり跳ねたりすると、安心したのかその場にへたり込んでしまう。


「よ、良かったぁ~」


 あのままでも格好良かったのに、とレージュは密かには思うが黙っていた。


「でも服が……」


 見ると彼女の服はぼろぼろになっている。先ほどの戦闘と変身で破れてしまったのだろう。


「服なんて別に無くても良いでしょ?」

「いやいやいや、良くないって!」


 レージュはよくわからないと言った風に頭を掻いている。そこへセルヴァがニコニコ顔で服を差し出す。


「服ならいっぱいありますよー」


 彼女が差し出したのは、もちろんメイド服である。


「なんでそんなにいっぱい持っているのさ。サイズもいろいろあるし。というか、あたしのサイズってセルヴァは着れないでしょ」

「いつ如何なる時もご主人様のメイドとして恥ずかしくないようにですー」

「ああ、そう。もうなんでもいいや」


 なおざりな返事をするレージュと違ってペタルはメイド服に目を輝かせている。


「こんなに良い服を貰っちゃって良いの? ありがとうセルヴァさん! すっごい嬉しい!」

「……こんな動きにくくて窮屈な服を? 物好きな」

「だって可愛いじゃない。それに、こんな上等な生地の服なんて、結婚式ですら着れないわ。あと、二人がメイド服なのに私だけ普通の服じゃ仲間外れみたいだし」

「あ、じゃあペタルの破れた服をあたしが着るよ。それでいいでしょ」

「それはダメ」

「それはダメですー」


 声を揃えて否定する二人にレージュは右目の眼帯を掻く。


「……なんでさ」

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