第九四話 「迷子軍師」
「誰かいないのー?」
星空に響く少女の声はどんどん近づいてくる。まるで警戒心の無い声だが油断はできない。古代遺跡には侵入者を排除する罠がたくさんある。この声もその一つかもしれない。
レージュが身構えると正面から栗色の髪の少女がこちらに近付いてきた。
「う、うわああ!」
少女がレージュたちを認識すると、とてつもなく大袈裟なリアクションで驚いて途端に目を輝かせる。
「すごいすごい! 本当に天使様がいた! しかもメイドさんの格好をしてる! すっごいカワイイ! もう、こんな時にあの子はどこに行っちゃったの。伝説の天使様が目の前にいるのに!」
鉄琴のような甲高い音を鳴らしながら星空の水たまりではしゃぐ少女にレージュは唖然としていた。
古代遺跡に人間がいるはずがない。元々地上にあって、人が入った形跡があるならわかるが、空中に現れた古代遺跡に人は入ることができないのだ。そしてこの古代遺跡はレージュたちの目の前で現れたので一度どこかで消えているはずである。ならば、この少女は、一度消えた古代遺跡の中に入ったままで無事だったことになるのだ。そんな話は聞いたことがない。古代遺跡が消滅すれば中にいる人は皆死ぬ。それが常識だからだ。だが、目の前には生きた人間である少女がいる。いったいどういうことなのか……。
「あの、天使様、握手してもらってもよろしいですか?」
レージュが思考の海に沈んでいると少女は手を出してくる。
「あ、ああ、うん。別に、それぐらいは……」
少女の手を握り返したときに何故かレージュは不快感に襲われる。すぐさま手を離してしまうが、彼女は気にしていないようだ。少女はそのままセルヴァの手も握る。彼女は何も感じていないようだ。
「よろしくお願いしますー」
「うわあ、すごいっ。天使様と握手しちゃった。みんなに自慢できるね」
頬を紅潮させて喜ぶ少女はまだ興奮が収まらないようだ。
「ねえねえ、天使様はここで何をしているの? メイドさんの格好をしているからお掃除かしら? 夜の星空をお掃除して綺麗にしているのも天使様のおかげなの? あ、もしここが天使様のお家だとしたら勝手に上がり込んでごめんなさい」
「いや、掃除をしているわけでも住んでいるわけでもないよ。あたしたちは迷い込んだっていうか、吸い込まれたっていうか……」
あまりにも想定外の事でレージュは少し混乱していた。だが、そこは蒼天の軍師。浮いているクレースを頭の上で回してすぐに思考を切り替える。
「とにかくここは危ない。とりあえずあたしたちに付いてきて。話は歩きながらでも出来る」
「わかったわ」
星空の世界を三人は歩いていく。彼女らが奏でる鉄琴の足音は、愉快なようで悲しげでもあった。
「ちょっと聞きたいんだけどさ、あたしを呼んだのはあんた?」
「え?」
「誰かに呼ばれたような気がしてあたしはこの古代遺跡に来たんだけど、もしかしてあんたが呼んでたのかなーって思ってね」
「確かに私は天使様がいないかなって呼んでみたけど、それかしら?」
「うーん、違うかも」
どうやら彼女は西の空の声の主とは違うようだ。
少女は手を打ち合わせると胸に手を当てる。
「あっ、そうそう。まだ名前を言っていなかったね。私はペタルっていうの。よろしくね、天使様」
「ペタルね。あたしはレージュ、こっちがセルヴァ。よろしく」
ペタルという名に何か引っかかるものを感じたレージュは記憶の海を探る。どこかで聞いたことのある名だ。すぐに出てこないということは軍人関係ではないのは確かだが、しかし、どこの誰だったか。間違いなく聞いたことのある名なのだが……。
考えている内にペタルは先へ進もうとする。セルヴァに促されてレージュもとりあえず前へ歩き出す。
まあ、そのうち思い出すだろう。今はさっさと自分をここに呼んだ声の正体と、この古代遺跡を探索して調べなくては。
☆・☆・☆
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早くも秋の空気が満ちた深い森の中の白い小屋で、老人と少年が語らっている。老人はベッドに横になり、少年はすぐ近くの椅子に座っている。
「ラインに兄弟はいるのか?」
「はい、兄が二人おります。二人とも戦に出ておりますが」
「そうか。無事だと良いな」
敵国の兵が無事だと良いと言えるローワの器の大きさは、これまでも何度も見てきたが改めてラインは恐れ入った。
「私には姉がいた。もっとも、血の繋がりは無いのだがな」
小首を傾げるラインにローワは少し声を潜めて言葉を続ける。
「これはマルブル王家の秘密なのでな。口外せんでくれよ。マルブル王家の人間は、生まれてからしばらくは王家の人間と知らずに、普通の市民として育てられる。後に王となったときに民の視点でも物事が見えるようにするためだ」
随分と変わった風習だが、ラインは黙ってローワの話を聞いていた。
「私の時に割り当てられた家族には両親と年上の娘ペタルがいた。三人とも明るくて仲が良く、私を本当の家族のように接してくれたものだ。両親はすでに亡くなってしまったが、私が王となり、本当の家族と一緒になっても、今でも私は彼らのことを家族だと思っている」
ローワは窓の外を見る。
「だが、彼女は、姉のペタルは古代遺跡に飲み込まれて死んだ」
そのまま彼は昔話を続けた。
「私が七歳の時だ。その事件は起こった――」
☆・☆・☆
今から五十年以上前、マルブル領の辺境にある小さな村に幼き頃のローワはいた。
まだ自分が王族であるとは知らず、小麦農家として、質素であったが平和な日々を過ごしていた。
夏のある日、姉のペタルに誘われて二人で森にある木の実を集めにきたローワは奇妙な物を発見する。それはとても見慣れたものだが、森の中にあるには不自然すぎる物だった。
鬱蒼とする木々の間に木製の扉がポツンと立っていたのだ。
小屋があるわけでもないのにそこに扉だけが存在している。裏に回っても何の変哲もないただの木の扉だ。しかも全く朽ちておらず、最近できたように白い木肌である。何の気なしに扉のノブに手をかけ、扉を開けてみると、向こうの森が見えることはなく、夜空のような漆黒に星の煌めきが広がっていた。
あまりにも現実離れした光景にローワは一瞬見とれていたが、すぐにその扉から飛び退く。
彼は本能で理解したのだ。これは危険なものだと。
遠くで村の教会の鐘が鳴っている。聞き慣れた鐘の音も、今のローワにはどこか不気味に聞こえた。
そこへ姉のペタルが赤い木の実を抱えてやってきた。彼女は不思議な扉を見ると目を輝かせ、木の実を放り出して興味津々に扉や中の星空を眺めている。
ペタルは好奇心が強く、何か変な物を見つけてはいつもローワを巻き込んだ。その度に両親に怒られていたが、彼女がいっこうに懲りない。そのため、彼は今の状況に猛烈に嫌な予感がした。
ローワの予想は的中し、彼女は入ってみようと言い出す。絶対に嫌だと全力で拒否するローワを無理矢理連れ込み、星空の中へと二人は入っていった。
体中を無数の生暖かい手で撫でられているような感覚を味わいながら星空の扉をくぐると、先ほどまでの森は消え失せ、満天の星が全方位に煌めく世界にいた。
ペタルは興奮とともに、ローワは恐怖とともに理解する。
これは、古代遺跡だ。
ペタルが喜びの声を上げながら星空の世界を飛び跳ねている。彼女が飛ぶ度に鉄琴のような甲高い音が響く。楽しそうなペタルと違い、ローワは一刻も早くここを立ち去りたかった。その思いは行動となり、足が勝手に後ろへ動く。一歩、二歩と下がるとついにローワは後ろを向いて駆けだした。
するとまたあの生暖かい手が全身を這い回る。悲鳴を上げながらローワは走り続ける。けっつまずいて転んで顔を上げると、そこは元いた森の中であった。荒い息をしながらホッとした表情を浮かべるが、後ろを振り向くと彼の顔はすぐさま青ざめる。
「ペタルお姉ちゃん……?」
振り返った視線の先には、あの木の扉は無く、ただ木々が立ち並ぶ森だけが広がっていた。もしかしたら違う場所に出てしまったのではないかと考えるローワだが、彼の足下にはペタルが拾ってきて放り捨てた赤い木の実が散らばっている。ここだ。場所は合っている。だが、もう木の扉は消えてしまった。
アーンゲル大陸の人間ならば、古代遺跡の話は子供であっても当然知っている。古代遺跡が出現している時間には制限があり、中に入ったまま古代遺跡が消えてしまうと、永遠にその遺跡をさまよい続けることになる、と。
ペタルは、古代遺跡に飲まれたのだ。
その後、どれだけ呼んでも探してもペタルも木の扉も見つけられなかった。夜になっても戻ってこないローワたちを心配したペタルの両親がやってきて、泣きじゃくるローワから事情を聞くと、彼らはまずローワが無事であったことに安堵した。
それから、彼らはこう言った。
「ペタルのことは忘れろ。そして、二度と危ないことはしないでくれ」
その悲痛な声と、痛いほどに抱きしめる両親に、ローワは泣きながら何度も謝った。
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ローワは昔話を語り終えると、ゆっくりと息を吐きだす。
「……私が王となったあとも、何度もその森を調べさせたが、ただの一度もあの木扉は現れなかった」
以前にローワが古代遺産と聞いて渋い顔をしたことをラインは思い出す。これが原因だったのか、と。
「古代の遺物は危険なのだ。あれは、人の悲しみを作り出す。あってはならないものだ」
ローワの悲痛な過去に、ラインは言葉を返すことができなかった。