前へ次へ
89/136

第八九話 「夢幻軍師」

「……ここは?」


 気がつくとレージュは暗闇の中に一人倒れていた。周りには、墓場のように、大小様々な金色の十字架が地面から生えている。それは地平線の向こうまで続いていた。


 黒い空と黒い大地。それに無数の十字架。妙に冷たい空気。

 なぜ自分はこんな所にいるのだろう。


 なんとなく頭を掻いたレージュは、そこにいるべきものが無くなっていることに気づいて青ざめた。


 クレースが、いない。


「うそ、なんで……。クレース! どこにいったの!」


 呼びかけてもクレースは答えない。

 眼帯にしていたクレースもいなくなっている。


「さ、探さなきゃ……。クレースがいないと、あたしは……」


 立って歩こうとするレージュだが、足が動かない。それも当然だ。彼女の足は十字架となって崩れ落ちているのだから。


「……えっ? な、なにこれ!」


 足だけではない、腕も十字架になって彼女の体から離れていく。


「あ、あたしの体が! なんで!?」


 狼狽するレージュだが、動く度に自分の体は十字架になって散っていった。


「落ち着け、落ち着け……。まずはなんでこうなったのか考えるんだ……」


 自分の置かれた状況を整理しようとするレージュは、着ている革の服がボロボロになっていることに気づく。

 そして思い出す。自分がイデアーに倒されたことを。


「そうだ。あたしはオルテンシアで……」


 すると、ボロいフードを被ったローブ姿の人物がどこからともなくレージュの前に現れた。背は彼女と同じぐらいで顔は見えない。


「ヌアージ? ……いや、違う」

「にひひ……」


 その人物は笑っている。

 レージュと同じ声で笑っている。


「まさか、イデアー!?」


 問いかけると、その人物はレージュの周りを歩きながら答える。


「違う違う。あたしはレージュだよ」

「ふざけないで。レージュはあたしだ」

「にひひ。本当に?」

「本当だ。あたしはレージュ。傭兵団白き翼に拾われ、マルブルで蒼天の軍師と呼ばれた、半分の天使レージュだ」


 フードの人物は、倒れているレージュの前にしゃがみ込む。フードの中に見えるその顔は、イデアーではなく、まるで鏡のように自分とそっくりだった。


「それが、レージュなの?」

「……なんだって?」

「傭兵団に拾われて、軍師をして、半分の天使と呼んでもらえれば、それはレージュなの?」

「……」


 レージュが答えられずにいると、少女はフードとローブを脱ぎ捨てた。中からは、白いワンピースを着た片翼の天使が現れる。肌の色も、目の輝きもレージュと全く同じだ。ご丁寧にクレースまで被っている。ただ、金髪だけは短く切られていた。


「にひひ答えられないんだ。じゃあレージュはあたしだ」

「違うっ。あんたはレージュじゃない。レージュはあたしなんだ!」

「そうかな。あたしの手足を見てみて。ちゃんと人の体だ。でも、あんたは違う。あんたの体は十字架で出来ている。そう、まるで……」

「それ以上言うな!」


 聞きたくない。

 耳をふさぎたいが、自分の手は十字架になっているのでふさぐことが出来ない。


「あたしは、あたしは……!」

「にひひ。本当はとっくに分かっているんでしょ? あんたは、天使でも人間でも死神でもなくて、半分の天使レージュでもなくて――」

「黙れええっ!」


 レージュが叫ぶと、目の前の自分が光の粒となって消えた。



 涙を流しながら荒い呼吸を繰り返し、レージュは暗闇の中にまた一人になる。


「違う……。あたしは、あたしは……違うんだ!」


 レージュの涙が地面に吸い込まれた瞬間、黒い墓場は消え去り、真っ白な空間へと変わる。あまりのまぶしさに目をつむるレージュだが、再びその目を開けると、そこは何度も夢に見た白い部屋であり、目の前に白衣を着た長髪の人物が背を向けて立っていた。


 その人物が指を弾いて鳴らすと、レージュの手足が光の粒に包まれて、十字架から元の手足に戻る。


「な、治った……?」


 信じられないことに戸惑うレージュに、白衣の人物は顔だけこちらを振り向き、くわえている短い棒を愉快そうに揺らして悪戯っぽく笑った。


「にひひ」


 顔はもやがかかっていて見えない。

 だけど、誰かはわかる。


 彼女(・・)だ。

 何度も夢見た彼女(・・)が目の前にいる。


 たまらずレージュは彼女に抱きつく。

 初めて知る彼女(・・)の温もりに触れると、自然と涙がこぼれた。さっきの涙とは違う、暖かい涙だ。


 彼女(・・)がレージュの頭をそっとなでる。慈愛に満ちたその手に触れてレージュは確信した。


 彼女(・・)が、自分の母なのだと。


 永遠にこうしていたかった。いつまでも、彼女(・・)になでてもらいたかった。

 だが、突然現れた白衣の男が彼女(・・)に何かを呼びかける。すると、彼女(・・)はレージュから離れ、その白衣の男の方へと行ってしまう。


「待って! 行かないで!」


 レージュの悲痛な呼びかけが届いていないのか、彼女(・・)はどんどんと離れていってしまう。


 レージュは追いかけて走り出すが、狭いはずの白い部屋はどこまでも伸びていき、いつまで経っても彼女との距離は離されるばかりだ。



 息も切れてきた頃、レージュの前に見知った人物が次々と現れる。


だんちょー(・・・・・)、ローワ、ヴァン、それに傭兵団や騎士団、義賊団のみんなも……」


 彼らはみんな、いつの間にか現れた劇場の舞台のような壇に立ち、レージュに微笑みかけて手を差し伸べている。

 壇に上がったレージュは、彼らを忙しなく見渡して少し逡巡(しゅんじゅん)したが、すぐに彼女(・・)を追おうとした。


「ど、どいてっ」


 彼らをかき分けて彼女(・・)を追いかけようとするレージュの腕を誰かが掴む。


「離して!」


 振り解こうとしてもその手は離してくれない。


「あたしは、あたしは彼女(・・)を追いかけるんだ。なんで邪魔をするの!」


 力任せに振り払おうとすると、レージュの腕が取れてしまった。血の代わりに十字架が流れ出す自身の腕に息を呑むが、とにかく拘束からは逃れた。これでまだ彼女(・・)を追える。

 腕を捨てて再び走り出そうとするレージュだったが、すでに彼女(・・)の姿はどこにもなかった。


 すると、文字通りレージュは足から崩れ落ちる。足が十字架に戻ってしまったのだ。


「あ、ああ……」


 再び闇が世界を包み、白い部屋は消えて十字架の墓場が現れる。


 レージュの残った腕も崩れ、体まで十字架に変わろうとしている。当惑するレージュだけでなく、彼女を囲む彼らもみな十字架になって崩れてしまった。


 そして、漆黒の空も、暗澹(あんたん)とした大地も、世界全てが小さな十字架となって崩れてゆく。


 無数の十字架と共に無限の闇へと落下するレージュの隻眼からは全ての色が消えていた。









 ……どれぐらい落下したのだろうか。百年とも思えるし、まだ一瞬しか落ちていないのかもしれない。まだまだ底は見えない。


 だけど、もう、なにもかもがどうでもよかった。











 ――何かが聞こえた。




 何かはわからない。


 でも、確かに聞こえた。




 ……。


 ……音楽だ。


 この曲は、知っている。


 彼女が口ずさんでいた、あの曲だ。



『約束だ』



 誰かの声がした。


 約束。

 あたしは約束をした。


 レージュの隻眼に金色の光が微かに燃え上がる。


「誰と?」


 自分の声が問いかけてくる。

 見れば先ほどの短髪の自分(レージュ)が共に落下していた。


「誰と約束したの?」

「……みんなと」

「みんなって?」


 短髪の自分(レージュ)が笑っている。悪戯っぽい笑みを浮かべて笑っている。


 ……その顔を見ているとなんだか妙にムカついてきた。こんなにも小憎らしい顔をしていたのか、自分は。


「ねえ、みんなって誰なのさ?」

「みんなはみんな、これまで出会ってきたみんなだ」

「みんなと約束した?」

「そうだ。だんちょー(・・・・・)とも、ローワとも、ヴァンとも、そして彼女(・・)とも。あたしは約束した!」


 レージュの隻眼にはすでに輝かしいぐらいの光が灯っていた。


「にひひ。そうだよ。レージュは約束した。それはレージュだけの約束だ。それがレージュなんだ。だったら絶対に守らなきゃいけないよね。なら、こんなところでのんきに落ちている場合じゃない」


 短髪のレージュが笑うと、レージュも悪戯っぽい笑みを返す。


「わかっている。だからあんたの翼を貸して」

「もちろん。レージュの頼みは断れないからね。にひひ」


 二人のレージュは互いに向き合って手を握る。そして呼吸をぴったりと合わせ、お互いの右翼を思い切り羽ばたかせた。


 二人の半分の天使は、十字架の雨の中を、漆黒の天頂に向かってグングン昇っていく。


 すると、闇のみが広がっていた空に一点の光が現れる。その光を目指して彼女らはいっそうスピードをあげた。


「ねえ、レージュ」


 もうすぐで光の中に届く頃、短髪のレージュが呼びかけてきた。すると、短髪のレージュが被っているクレースを取り外してレージュの頭に乗せる。


「クレースを貸してあげるよ」

「触っただけでも怒るレージュがまさかクレースを誰かに貸すなんてね」

「誰かじゃない。自分に貸すなら大丈夫さ。ねえレージュ」

「にひひ、確かに。でも、あんたはクレースが無くて大丈夫なの?」

「ヘーキヘーキ。あたしにはあたしのクレースがちゃんといるから」


 受け取ったクレースからは暖かい思いが流れ込んできた。懐かしくて、愛おしい。そんな感情で心が満たされていく。


「心を強く持つんだよ、レージュ。大丈夫、レージュならどんな困難も乗り越えられる。あたしが保証するよ」

「自分に保証されるのも妙な気分だね」

「にひひ。ところで、あたしの正体とか聞かないの?」

「どうせ答えないでしょ」

「さすが、わかってるね」


「「にひひ」」

前へ次へ目次