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第八八話 「肉焼軍師」

「腹が減ったな」


 のんきな声のヴァンの言葉を理解するまで、彼らは多少の時を要した。


「……殿下?」

「さすがにこれだけ時間が経つと腹が減る。肉が食いたい。――おい、確か保存用の干し肉があっただろう。持ってきてくれ」


 ヴァンが待機していた兵に肉を持ってくるように指示すると、兵は目を白黒させていたが、ヴァンが小声で「頼む」と言うと、敬礼をしてすぐさま干し肉を取りに走っていく。戻ってきた兵から礼を言って干し肉を受け取ると、ヴァンは先ほどの戦闘で壊れた木箱に向かう。


「ただの干し肉も炙って食えばまた美味いものだ。木箱の破片はその辺に散らばっているし、集めれば薪の代わりになる」

「殿下、いったい何を……」


 心配そうなオネットの言葉を聞き流しつつ、ヴァンは木箱の破片を集めて一カ所に積み上げて手際よく火をつける。火は徐々に大きくなり、ぱちぱちと薪の爆ぜる音がした。


秋津洲あきつしまという極東の島国の言葉に、『腹が減っては戦はできぬ』というのがあるらしい。レージュから聞いたが良い言葉だ。あいつは食い意地が張っているからな。食い物の匂いで飛び起きるかもしれねえ」


 そして木の板を切って加工した串に干し肉を刺すとたき火に当て始める。


 このヴァンの一連の行動に、一同は意図を測りかねた。しかし、付き合いの長い義賊団にはすぐにわかったようだ。アクストとアコニが笑いながらたき火へ歩み寄っていく。


「いけねえや団長。そんなに火に近づけたら肉が焦げちまう。ちょいと貸しな。干し肉は弱火で炙るんだ」

「団長。ウサギの干し肉にはこの香草がとても良く合うんですよ」


 それに続いてシーカとグラディスもたき火の側に腰を下ろす。


「僕もお腹空いちゃった。お父さんも一緒に食べよ」

「ああ」


 その光景を見てオンブルも固い表情を溶かす。ヌアージたちが入っていった家屋をじっと見つめているスーリを誘う。


「そういや俺も腹が減ったな。おまえもどうだ、新入り」

「……ふざけているのか? こんな時に飯なんて食えるか」

「こんな時だからだろ。食えるときに食っておくのは俺たちスーメルキ団の鉄則だ。それに、お前、レージュの事を嫌ってた割には一丁前(いっちょまえ)に心配してんのか。怪我してんだから寝てりゃあ良いのによ。本当に素直になれねえ奴だな。ガキのくせによ」


 オンブルの挑発を受けてスーリはじろりとにらみ返す。そして不機嫌に足を動かし、たき火の方へ向かっていく。見るとシーカが手を振ってスーリを呼んでいるようだ。


 これはまた、ずいぶん聞き分けが良くなったみたいじゃねえか。以前なら激怒して剣を振りかざしてきただろうところを、にらむだけで済ませるとはな。それに、シーカの言うことも聞いている。何があったかは知らねえが、シーカに任せて正解だったようだ。

 そんなことを思いながら、オンブルはニヒルに笑う。


               ☆・☆・☆


 たき火を囲んで肉を食い始める義賊団たちの様子を、遠巻きに見ていたマルブルの一同は状況を理解できなかった。しかし、リオンはいち早くヴァンの思惑を理解したようで、低く唸るように笑う。


「そういうことか」

「どういうことだ、リオン。殿下はいったい何を始めようとされているのだ?」

「さてな。俺には殿下の高尚なお考えは全く理解できん。だからな、ただ目に見える状況、それだけを見ている。オネット、お前にはどう見える?」

「どうもなにも、干し肉を炙って食べているとしか見えないのだが」

「なんだ、お前も俺と同じものが見えているじゃねえか。そして俺も腹が減った。だから相伴にあずかろうというのだ。それ以上の意味は知らん」


 そう言ってリオンもたき火を囲み、焼いた干し肉に食らいつく。


「オネット殿。殿下は中々変わった気質のお方のようだな」

「フェール殿」

「だが人を引きつける魅力も持っているな。陛下とは正反対のようで、実は似ている。まったく陛下もお人が悪い。あのような跡継ぎがいらっしゃるなら、もっと早く仰ってくださればよいものを」


 そう言ってフェールもたき火の方へ行ってしまった。



 取り残されたオネットは困惑の表情を浮かべたまま立ち尽くしている。そこへヴァンが干し肉を持って歩み寄ってきた。


「何を悲観した面しているんだ、オネット。あの中で頑張っているあいつらを静かに待っているのはいいが、そんなに深刻な顔してたらまるで葬式みたいじゃねえか。縁起でもねえぞ」

「ですが、殿下……」

「まだそう決まったわけじゃないだろう、オネット。偽の赤い光が落ちてきたとき、真っ先にレージュを応援したお前が、ここではすぐに諦めるのか? 今もレージュは戦っているんだ。俺たちはただ待つしかない」


 ヴァンは持っている干し肉をオネットに差し出す。良い感じに炙られた干し肉は抗いがたい匂いを放っている。


「ただ待つだけなら、せっかくだし美味いものでも食って待とうじゃないか。待つことは飯を食いながらでもできる。レージュが出てきて、俺たち全員が空腹で倒れているところを見たら、あいつはまたぶっ倒れちまうぞ。お前も戦闘で疲れて腹が減っただろう」

「私は」

「いいから食え、オネット。それとも、王太子殿下から受ける肉は食えないか?」

「いえ、滅相もございません。ありがたくいただきます」


 受け取った肉を眺めていると、オネットは無意識に肉を口へ運んでいた。体が、この良い香りのする肉を本能的に求めていたのだ。


 長期保存を第一に考えた、ただ食えば味気ない干し肉だが、炙ったことにより肉の香りが増し、香草によって深い味わいが口に広がり、体中にしみこんでいく。


 美味い。


 食べる前は寄っていたオネットの眉も、二口三口と食べ進める度にどんどん広がって和らいでいく。


「美味いだろ」

「はい」

「アコニとアクストにかかればただの干し肉もこんなに美味くなる。俺の団の自慢だ。――さっきより良い顔になったな。人間、腹が減って良いことなんか何もないからな」

「はい。ありがとうございます、殿下」


 干し肉を噛みしめていると、なぜだかわからないが涙があふれそうになる。


「気にするな。ほれ、オネットもたき火を囲もうぜ」

「はい」


               ☆・☆・☆


 たき火の輪に入らずに、レージュが運び込まれた小屋をただじっと見つめている男がいる。ファナーティだ。そんなファナーティにもヴァンは歩み寄っていく。


「ファナーティ、と言ったか。俺はヴァン。お前と一緒に行動していたオンブルの幼なじみだ。一応王太子をやっている。お前は白き翼の一員なんだろう。レージュの強さは一番わかっているはずだ」


 ヴァンが肉を差し出すが、座って小屋を見つめたままのファナーティは受け取ろうとしない。


「……お嬢は死なない。こんなところで、団長たちとも再会できずに、死ぬはずがない」

「わかっているじゃないか。ならなんでそんなに暗い顔をしている」

「でもあんなことになったお嬢は見たことがない。昔から無茶ばっかりするお嬢だけど、もしかしたら、今度こそは……」

「たかが腕や足が十字架になったぐらいじゃねえか。白き翼が崇拝するレージュってのは、そんなもんで死んじまうほどひ弱なのか?」

「たかがだって? よくそんなことが言えるな!」


 勢いよく立ち上がるファナーティが睨みつけてくるが、ヴァンは全く怯まない。


「王太子だかなんだか知らないけど、あんたにお嬢の何がわかるんだ。じゃあ聞くけど、あんたがお嬢みたいになったら生きていられるのか?」

「無理だろうな。俺があんなんになったら死ぬ」


 激昂して殴りかかろうとするファナーティの拳をヴァンは軽々と受け止める。リオンとの調練を繰り返してきたヴァンにとって、いくら白き翼の一員といえど、怒りに身を任せた攻撃など容易く見切れるようになっていた。


「俺がああなったら死ぬ。だが、あいつは死なない。絶対にな」

「なんでそんなことが言えるのさ」

「信じているからだ」


 その問答に、リオンとオネットははっとする。デビュ砦の地下で、リオンがレージュに王は無事なのかと言ったときと同じ状況だからだ。


「あいつは必ず生きて戻ってくる。だから――」


 笑いながらも気迫に満ちたその姿は、まさに王者に相応しい風格である。ファナーティも、差し出された干し肉を思わず受け取ってしまうほどだ。


「信じろ。レージュを」


 そう言って笑うヴァンの顔に、レージュの笑顔と似たようなものをファナーティは感じてしまった。


「……あんたの事は信用しきれないけど、お嬢のことは信じているからね。今更言われるまでもないさ。お嬢は必ず生きて戻ってくる」

「ああ。それで十分だ」


 ファナーティは受け取った干し肉をかじる。白き翼でも干し肉に香草をあわせることがあるが、これほど複雑に味わい深いものは初めてだった。


「結構、美味いじゃないか」

「そうだろう。俺のも食って良いぞ」

「それはあんたが食いな。腹減りで倒れちゃまずいって言ったのあんただろ」

「そういえばそうだったな」


 笑い飛ばすヴァンを見てオネットはあの時の言葉を思い出す。


『信じるんだよ。ヴァンを』


 戦斧男(デドゥルト)戦の時のレージュの言葉がオネットの中に鮮明によみがえる。あのときのレージュのような余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)の笑顔ではないが、ヴァンは皆を安心させるような微笑みで、レージュの生還を一片も疑っていない目をしている。どこまでも信じ合える、仲の良い似たもの同士の二人だ。

 オネットは、再び熱くなる目頭を押さえる。


 ご立派になられた。


 誰にも言ったことはないが、陛下のご子息とはいえ、盗賊をやっていた者を王の系譜として迎えるのには少なからず抵抗があった。だが、陛下からめいを受け、赤い光で瀕死になったレージュが懸命に探し出し、彼女とともにここまで導いてきたヴァンに、もはや抵抗など無かった。

 出会って一月ちょっとのヴァンがこれほどまでに彼女レージュを信じて待っているのだ。三年以上も付き合った自分が、レージュを信じてやらなくてどうする。

 オネットは星々が輝く夜天を仰いだ。


               ☆・☆・☆


 全員がたき火を囲んだところでヴァンも腰を下ろす。皆の顔も少しは和らいだようだ。


 だが、油断はできない。今はただレージュの生還を待つだけだ。

 ヴァンは炙った干し肉にかじりつく。

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