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第八六話 「分解軍師」

「レージュ!?」


 飛び起きたヴァンは、全身汗だくで涙まで流していた。荒い呼吸を繰り返して辺りを見回すと、もうそこは霧の中のような場所ではなく、石造りの家が建ち並ぶオルテンシアの城郭まちの民家と民家の間の狭い路地だった。


「ああ、殿下……。よくぞご無事で……」


 そばにはオネットとオンブルがヴァンを取り囲み、彼が起きたことに胸をなで下ろしているようだ。


「オネット……。俺は、どうなったんだ?」

「……殿下は、宰相コシュマーブルに古代遺産で胸を貫かれ……」


 涙ながらに話していたオネットはとうとう言葉を続けられなくなってしまう。そんなオネットを突き飛ばし、オンブルが話しを引き継ぐ。


「あんたは向こうに行っていろ、ヴァンには俺が話す」


 いつもは余裕のあるオンブルの表情も、今までにないほど真剣に引き締まっている。


「ヴァン、お前はあいつにやられ、胸から血を流して倒れた。それは覚えているか?」

「ああ、ここを撃たれて……」


 ヴァンが自分の胸元を確認すると、服に空いた穴からは自分の皮膚が見える。そこには血の跡があるが、傷穴は綺麗に塞がっていた。

 それを不思議に思う間もなくオンブルは話を続ける。


「お前が撃たれたあと、レージュが泣き叫びながらお前に覆い被さった。聞いているこっちの心が張り裂けそうなくらいの悲痛な声でな。正直、俺も駄目だと思っていた」


 そして、怒りで暴走したレージュは無謀にもコシュマーブルに立ち向かったが、割り込んできたイデアーに組み伏せられ、やられてしまったという。


「やられただと!? レージュは、レージュはどうなったんだ!」


 オンブルの胸ぐらを掴んで激しく揺さぶると、彼は頭突きをしてヴァンの拘束から逃れる。


「落ち着け……と言っても、今のお前には無駄だろうな。嬢ちゃんなら、ここを出た通りにいる。ただ、覚悟を決めろよ」


 それだけを聞くとヴァンは民家の間から飛び出し、沈みかけの夕日が降り注ぐ通りへ走った。



 そこには人だかりができていた。


 腕を組むリオン、苦い表情のフェール、すすり泣くファナーティ、変わらず微笑んでいるセルヴァ、集まってきた何人かの兵士たち、その中心にレージュはいるのだろう。


 人だかりの一番外側にいたオネットはヴァンに気づくと、彼の進行を止めようと一瞬だけ手を伸ばすが、すぐに兵士たちに道を開けるように指示した。


「レージュ、レージュ! すまん、どいてくれ!」


 人波を断ち割ってヴァンがとうとうレージュの下へたどり着く。


 しかし、彼女の姿を見たとき、これまでレージュに向かおうとしていたヴァンの足が、初めて後ろへ下がる。無意識のうちに、レージュから距離を取ったのだ。



「なんだ、これ(・・)は……」



 暗雲の消えた夕焼け空を仰いで倒れているレージュの姿は、目を疑うような状態であった。着ていた丈夫な革の服はあちこち破れ、そこら中に血の飛び散った跡がある。凛々しく結んでいた金髪も解けていた。

 そして、レージュの手足の一部が、肉や骨や血で構成されておらず、小さな十字架の集合体となって崩れていた。両腕は完全に十字架になって崩れており、右足も付け根が十字架となって砕け、左足が辛うじて膝まで残っているという有り様である。


 これでは、まるで……。


 呆然と立ち尽くすヴァンの後ろからオンブルの声がかかる。


「これがあのレージュだ、ヴァン」

「……これは、いったいどういうことなんだ、オンブル。なぜレージュはこんな姿になっている!」

「そんなことはわからねえ。ここにいる誰もがな。だが、コシュマーブルとかいう奴は消える前にこう言っていた」


               ☆・☆・☆


 ヴァンが凶弾に倒れ、ショックで暴走したレージュまでもがイデアーに倒されてしまい、絶望に打ちひしがれる彼らに、コシュマーブルは笑いかける。


「安心したまえ。二人ともまだ生きている。こんなに簡単に殺してしまってはもったいないからね。ただ……」


 コシュマーブルは燕尾服の胸ポケットから十字架を一つ取り出す。それに反応して身構えたのはリオンだけであった。


「ただ、レージュの方はどうなるか分からないな。イデアーはまだ力の加減ができないからね」


 イデアーの怪力によって何度も地面に叩きつけられ、ボロ雑巾と化したレージュは、地面に突っ伏したままぴくりとも動かない。


「フフフ、いずれにせよキミたちはこれから彼女の真実を知ることになる。矮小な存在であるキミたちはそれを受け止めきれるかな」


 コシュマーブルが十字架を地面に落とすと、そこから光の柱が立ち上った。光の柱の中でコシュマーブルは悪魔のような笑みを浮かべる。


「キミたちは彼女のことを勝利の女神と呼んで崇めているようだが、この戦争が終わるまでに何人がそう思って生きていられるか見物だな。もっとも、誰も残らないだろうけどね」


 光の柱が消えるとコシュマーブルたちの姿はどこにもなかった。


 途端に風が彼らを撫でる。いや、今までも風は吹いていたのかもしれないが、そんなことすら気にする余裕はなかったのだ。


 そして、彼らが次に見たレージュの姿が……。


               ☆・☆・☆


「……馬鹿な。これが、レージュの真実だとでも言うのか」


 バラバラになったレージュは壊れた人形のようだった。色彩豊かな宝玉の隻眼も色を失い、何処とも知れぬ虚空だけを見つめている。


「レージュ。……レージュ、返事をしてくれ」


 ヴァンが震える声で呼びかけるが彼女は何も反応しない。口元に手をかざして呼吸を確認する。だが、胸が全く上下していないのだ、呼吸しているわけがない。ならば心音を聞こうと小さな胸に耳を当ててみる。


 その様子を見ていたオンブルがぽつりとつぶやく。


「ヴァン。嬢ちゃんは、もう……」


 オンブルの言葉に、ファナーティが顔を怒りに歪めて詰め寄る。


「お嬢が死ぬはずがない。次にそんなことを言ってみろ。二度と喋れないようにしてやる!」

「だけどよ……」


 オンブルが次の言葉を発しなくても全員の頭には同じ思いが満ちている。

 それを打ち消そうとヴァンは言葉を発した。


「レージュは死んではいない。わずかだが心臓が動いている」

「それはそうだがな……」


 心臓もまだ止まってはいないというだけで、いつ鼓動を止めるかもわからない。藁にもすがる思いでヴァンはあがき続ける。


「ファナーティ、お前は白き翼の団員なんだろ? 何かわからないのか」

「……俺だってこんなお嬢は見たことがない。あの巨人もそうだ。いつもならクレースを使った後は寝るだけなんだ」


 ファナーティでは無理そうだ。マルブルで付き合いの長いオネットにも目線を送るが、彼は首を横に振るだけだった。誰に目を向けても皆視線を外す。誰にも、どうしようもできないのだ。


 いや、一人だけヴァンから視線を外さない者がいた。

 こんなときでも微笑んでいる、天使のセルヴァだ。


「そうだ、セルヴァがいるじゃないか! さっきレージュの傷を治した時みたいに、この十字架も治せないのか? 確か腰についているそれで治していたよな!」


 セルヴァがレージュを治すところをヴァンは見ている。その一縷いちるの希望に望みを託したヴァンだったが、そのか細い糸はあっけなく切れてしまった。


「ここまでになってしまうとー、さすがに無理ですー」

「……無理とは、どういうことだ」


 微笑んだままのセルヴァの細い肩を、ヴァンは握りつぶしそうなほどの力で掴むが、彼女は痛がるそぶりすら見せずに首を横に振った。


「もう直せませんー」


 あまりにも正直で暢気なセルヴァの物言いに、カッとなって殴りかかろうとするヴァンは自分を抑え込み、セルヴァを掴む手を強引に振り払う。そしてセルヴァの腰に付いている懐中時計を奪い取った。


「貸せ! 俺がやる!」


 しかし、奪い取ったはいいが、どうやって使うのか分からない。

 以前にレージュが、古代遺産は適合者なら持った瞬間に使い方が分かると言っていた。だがヴァンにはこの懐中時計の使い方がまるで分からない。

 忙しなくひっかいたりなで回したりしてみるが、どうやっても使うことはできなかった。


「くそっ! どうしたらいいんだ!」


 行き場のないヴァンの叫びに答えるものはいなかった。誰もがどうにもならないと感じている。



 せっかくここまで来たのに、レージュが死んでしまってはどうしようもない。

 オルテンシアを取り戻した代償は、あまりにも大きかった。


「天使でも悪魔でも何でも良い! レージュを助けてくれ!」


 ヴァンの叫びは、完全に日が沈んだ赤黒い空に吸い込まれていった……。

17/11/28 文章微修正(大筋に変更なし)

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