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第八四話 「宿敵軍師」

 夕焼け空に立っている燕尾服の人影を認めると、氷のようだったレージュの表情が一変する。


「Я убью тебя! Я убью тебя!」


 先ほどまでと打って変わって鬼気迫るレージュのかすれた叫び声とともに、巨人はその大きな拳でその人影を打ち砕こうとする。

 あんな巨大な拳で殴られたら山でさえ砕けるだろう、まして人間など塵も残らないのではないか。


 しかし、その空飛ぶ人間に拳が触れる直前、その姿は消え、代わりに巨人の頭部がバラバラに粉砕されてしまった。


 あまりの急展開に呆気にとられていたヴァンたちの前で、頭部を失った十字架の巨人は、制御を失ったのかこちらに倒れ込んでくる。


「まずい、倒れるぞ!」


 十字架の巨人が背中からオルテンシアに倒れ込もうとしている。あの巨体がこのまま倒れ込めば、オルテンシアのほとんどの建物は崩れ落ち、多くの犠牲者が出るだろう。


 偽の赤い光から城郭まちを救った巨人が、今まさに城郭まちを危機に陥れている。


 だが、巨人が城郭まちに倒れ込むことはなかった。巨体が城にぶつかる寸前に、その体は突如として光の粒となり、まるで輝く雪の様にオルテンシア中を舞い散った。


 巨人から元の十字架のサークレットに戻ったクレースがレージュの足下に落ちて転がる。


「コ……シュ、マー……」


 レージュが呻くように言うと、彼女の金色の隻眼から十字架の光が消え、糸が切れたように後ろに倒れ込んで後頭部をしたたかに打ち付ける。


「レージュ!」


 ヴァンがレージュに駆け寄って抱き起こす。握る手をレージュは力なく握り返してきた。


「……ぁ」


 虚ろな瞳と乾いた唇を震わせてレージュは何かをヴァンに伝えようとしているようだ。


「しゃべるな。後は任せろ」


 皆がレージュに駆け寄ると、乾いた拍手の音が波紋のように辺りに響く。


「素晴らしい。実に良いものが見れたよ」


 いつの間にか地上にいた燕尾服の男が手を叩きながら彼らの前に現れた。彼のまとう異様な気配に、一同は身を固くする。


「何者だ!」


 彼らが一斉に武器を構え、ヴァンが誰何すいかすると、燕尾服の男は嫌らしい笑みのまま大仰な動作で腕を広げる。


「いつもは相手から名乗らせるのだが、今は気分が良いから特別にこちらから教えて上げよう。覚えておくといい、私がカタストロフ帝国の宰相、コシュマーブルだ」


 宰相コシュマーブル――その名には皆が聞き覚えがあった。

 五年ほど前にカタストロフの先帝が病に倒れ、続けざまに帝位継承者たちが謎の死を遂げ、新たに皇帝として立ったのは、まだ幼いレシュティ姫だった。その幼い姫を補助するように抜擢されたのがコシュマーブルという男だ。名宰相と名高く、先帝が倒れた後の国内の混乱を瞬く間に鎮め、カタストロフは強国として更なる成長を遂げた、と。


 そんな男が、何故ここに?


「キミたちは実によく戦った。正直なところ、このオルテンシアを奪還できるとは思ってもいなかったな。ヴェヒターは一応優秀な男だし、千の人形(・・)と古代遺産を与えたのだから、防衛は確実なものだと思っていたからね」


 謎の増援と古代遺産はこいつの仕業だったのか、とオンブルは理解する。


「それをたかが三百余りの手勢で奪還できるとは、軍師レージュの働きもあったけど、キミたち一人一人がよく戦った。これは歴史に刻まれる大勝利だよ。やはりあの日、彼女の半身(・・・・・)を奪ったのは正解だった。彼女の私への復讐心がここまで見事な戦いを見せてくれたのだからね」


 レージュの半身を奪った。その言葉にいち早く反応した男がいる。


「お褒めのお言葉をありがとうございますね、宰相様」


 剣を持って歩み寄っていくのはファナーティだった。剣を握る手には震えるほどの力がこもっている。


「不躾で申し訳ないけどね、もう一度聞きたいんだけどさ、あんたがお嬢の翼と目を奪ったのかな?」

「そうだ。彼女の翼と目はこの世のなによりも美しいからね。どうしても欲しくなって手元に置いておきたかったんだ。フフフ、奪い取るときは高ぶりすぎて絶頂しそうになったよ」


 瞬間、ファナーティは目の前が真っ赤になり、フェールが止める声も聞かずにコシュマーブルに切りかかる。剣がコシュマーブルに届く寸前、ファナーティの目の前になにか(・・・)が割り込んできた。



「ニヒヒ」



 割り込んできたのは先ほど巨人に首をねじ切られたイデアーだった。血塗れの自身の頭部を小脇に抱え、片手でファナーティの剣を摘んで止めてしまっている。


 ねじ切られた頭がファナーティを見つめて笑っている。レージュと同じ顔で笑っている。


 首と胴が分かれても動き続けるイデアーに、ファナーティは血の気が引いた。急いで剣を引き抜こうとするが、小さな指で摘まれているだけなのにその力は凄まじく、ファナーティがいくら押しても引いてもびくともしない。


「ニヒヒ」


 イデアーが指だけで刃をへし折り、その剣先をファナーティに向けて投げつける。ファナーティはとっさに後ろに飛び、折れた剣で弾いて逸らした。だが、一瞬で距離を詰めてきたイデアーの跳び蹴りを腕で受ける事になってしまう。左腕の折れる音を聞きながらファナーティは民家の横に置いてあった木箱の山に吹っ飛ばされた。


「ファナーティ!」


 フェールが声を上げて助けに駆け寄る。


 復活したイデアーは、少しふらつきながらコシュマーブルに寄り添っていく。


「イデアー、ちゃんとご挨拶できたか?」

「ウン」

「そうか、偉いね」


 コシュマーブルはイデアーの頭をなでようと手を伸ばすが、本来の位置に彼女の頭部はなく手は空を切る。イデアーが自身の頭部を差し出すとコシュマーブルは改めて彼女の頭をなでて、イデアーもニヒヒと笑う。


「そして彼女、イデアーの飼い主(・・・)だ。まだ不完全とはいえ、ここまでやられるとはね。やはり彼女は素晴らしい」


 そしてコシュマーブルがイデアーの頭部を彼女の本来の場所に戻し、首元を優しくなでると、彼女の首と胴はすっかり元通りにつながった。イデアーもぴょんぴょん跳ね回っている。


 そのイデアーを目がけて、放たれた矢のように一本の剣が飛んでいくが、彼女に届く前に剣は塵になって消えてしまった。


「化け物が」


 舌打ちするリオンに狙いを定めたのか、イデアーは悪戯っぽい笑みを彼に向ける。


「……だ、駄目だ。みんな……。あいつ、には……」


 そのか細い声に振り返ると、レージュがふらつく足で立ちあがり、コシュマーブルを睨みつけていた。


 男たちはレージュを取り囲み、コシュマーブルの視界から彼女を隠してしまう。

 そのことに、コシュマーブルは細い眉を少し吊りあげた。


「ちょっとギャラリーが五月蠅いね。私は彼女と二人だけで話したいんだ」


 コシュマーブルが指をはじくと、十字架でできた網目が彼の足下から半球状に広がっていく。網目は、レージュ以外の邪魔者を弾き飛ばし、再びコシュマーブルとレージュは向かい合う。

 ……はずだった。


「……なんだと?」


 コシュマーブルがこの場に現れて初めて見せた表情。度合いは小さいものだったが、それは間違いなく『驚愕』という感情だった。


 リオンですら抗えぬ十字架の力にも弾き飛ばされず、彼は立っている。

 雄々しく剣を構え、レージュを後ろにして騎士(ナイト)のように赫赫かっかくのヴァンが立っているのだ。


「レージュは俺の親友(とも)だ。レージュを傷つける奴は、俺が許さない!」

17/08/21 文章微修正(大筋に変更なし)

17/09/03 文章微修正(大筋に変更なし)

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