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第八二話 「片割軍師」

「……あたし?」


 唯一声を絞り出せたのは、驚異的な判断力を持つレージュだった。他の者は状況の理解がまだ追いついていない。


「ニヒヒ」


 飛来してきた少女は笑う。自分と同じ顔で、自分と同じ声で、自分と同じように「にひひ」と笑う。その事に、レージュは全身の毛が逆立つのを感じた。


「誰だお前は!」


 叫ぶように誰何すいかするが少女はただ「ニヒヒ」と笑うだけだった。


「答えろ!」


 いつもの冷静なレージュらしくなく、クレースを拳に再構成して無策に殴りかかる。


「ニヒヒ」


 レージュもどきは小さい手を前にかざすようにしてクレースの拳を受け止めようとする。普通の人間が受けたら粉みじんになるほどの力がこもっていたが、先ほどと同じように、少女の手に触れた瞬間に何故かクレースの結合は解かれてしまう。


 レージュが舌打ちをして体を回転させ、クレースを双剣に再構成して振りかぶる。確かめるまでも無い。大陸最強と称されるリオンをコピーしたのだ。リオンとなったレージュが切りかかると同時に、既に背後に回っていたリオン本人も双剣を振りかざしている。


「そんなら――」

「――これでどうだ」


 リオンとレージュの双刃が煌めき、四刃となってレージュもどきの細い首を的確に捉える。しかし、クレースの剣も鋼の刃も、レージュもどきのかざした小さな手に触れた瞬間に砕けてしまう。二人の大陸最強の戦士は同時に舌打ちして即座に攻撃の手を切り替える。同じ体格のレージュは顎に後ろ回し蹴りを、体格差のあるリオンはかかと落としを繰り出す。だが、二人の足技は白く細い腕で簡単に受け止められてしまった。


「ニヒヒ」


 レージュもどきは二人の足を掴んだまま回転を始める。リオンですら抗えぬ怪力で振り回され、先にリオン、次いでレージュが同じ民家の壁に投げ飛ばされる。崩れた壁に重なってうめく二人に、レージュもどきはギザギザの歯の奥から十字架を取り出す。その唾液まみれの十字架を握り込むと、槍騎兵が馬上で使うような大きな槍へと変化させ、振りかぶって投げつける。


 凄まじい速さで飛んでくる槍を受け止めたり避けたりする暇は無い。しかし、眼前に穂先が迫っても、レージュは一片も諦めていなかった。リオンもまた、自分たちがこれで死ぬなど考えてもいない。


 その時、金属同士が接触する音が鳴り響き、レージュもどきの放った槍は地面に突き刺さった。

 レージュとリオンの前に誰かが立ちはだかっている。二人とも、見るまでもないと言った顔だ。


「仮にも堅牢地神という名を貰っているのでな」


 大盾で二人を窮地から救ったオネットは、そのまま長剣を鞘走り、レージュもどきに切りかかる。しかし、剣は彼女の繰り出した手刀で折られてしまった。だがそれを読んでいたオネットは、これならどうだと大盾で殴りかかる。甲冑の重さを加えた超重量で押さえ込むが、レージュもどきは片手だけで受け止め、ビクともしない。


「ニヒヒ」


 そこにセルヴァが飛び込んできてレージュもどきの足をエリクトリー(竹箒)で払って倒れ込ませ、オネットと一緒に押しつぶそうとする。


「レージュ様と同じ天使の方とお見受けしますがー、レージュ様に危害を加える方はー、お掃除しちゃいますねー」


 大人二人でのしかかっているというのに、子供であるレージュもどきは何でもないように起きあがって二人を弾き飛ばす。


「よくもお嬢を!」


 ファナーティとオンブルが同時に矢を射るが、レージュもどきは、飛んでくる矢を二本ともギザギザの歯で喰い止めてそのまま噛み砕いて食べてしまった。



 この状況を、ヴァンは剣を構えたまま鷹の目で見ていた。突如現れたレージュに似た天使の少女は、クレースの拳を砕き、リオンの双刃を折り、オネットの重量を物ともせず立ち上がり、射られた矢を口で受け止めた。こんなこと、普通の人間にできるはずがない。


 これが、本来の天使の能力なのか?


「ニヒ、ニヒヒヒ」


 天使の少女は今なおレージュと同じ声と顔で笑っている。しかし違う。あれはレージュと同じ笑いではない。レージュはあんなにおぞましい笑い方はしない!


「レージュ、大丈夫か」


 ヴァンはレージュに近寄って抱き起こし、立とうとする彼女を支えてやる。


「ありがと」


 レージュもいくらか落ち着きを取り戻したようで、クレースを翼に再構成させて、夕焼けの隻眼で、白い肌の自分(・・)を睨みつけている。



「お前は、いったいなんなんだ」

「ニヒヒ……。イ、デアー」


 不気味に笑うだけだったレージュもどきが初めて別の言葉を発した。自分を指さしてイデアーと言う。それが彼女の名だろうか。


 イデアーと名乗った少女は、再び十字架を口からのぞかせる。今度は二つだ。全員が警戒して身構えると、イデアーは古代遺産である十字架をギザギザの歯で容易く噛み砕く。


 全員がイデアーの攻撃に備えて構えるが、噛み砕かれた十字架を吐き捨てただけで何も起こらない。そんな彼らを笑ってイデアーはレージュを指さす。


「ニヒヒ。レー、ジュ。アンタ、レージュ。アタシ、ノ、ハンブン」

「ハンブン? なんの事――」


 イデアーが自分の紅い右目と、純白の左翼と、小さな胸を順番に指さす。



ハンブン(半分)



 それで、今までずっとイデアーに抱いていた嫌悪感の正体に、レージュは気づいた。直感で気づいてしまった。全身の皮膚があわ立つ。自分とあまりにも似ているから気持ち悪くなったのではない。あの気持ち悪さの原因は、似ているからじゃない。


 右目の火傷がうずく。

 ――こいつの右目は。


 引きちぎられた左翼の痕が痛む。

 ――背で羽ばたく左翼は。


 胸の奥が締め付けられる。

 ――胸の中で脈動しているであろう臓器は。


 冷や汗が、息苦しさが止まらない。

 ――自分があの日に失った、右目と左翼と心臓だ!


お前っ(・・・)! まさかあいつの(・・・・・・・)!」

「ニヒヒヒヒッ」

あたしを返せ(・・・・・・)!!」


 レージュがクレースの翼を木の枝のように伸ばして禍々しく巨大な翼に変化させた。すると、翼にドクロの顔が無数に咲き始めてみるみる侵食していった。そしてドクロまみれの翼からフードをかぶった死神の上半身が地鳴りのような唸り声を上げて出現する。

 死神が骨の腕を伸ばしてイデアーに掴みかかろうとしたその時、彼らの頭上が赤く光り輝く。夕焼けなどではない。これほどの重圧感は、自然のものではありえない。


 この、頭の上から降ってくる、押しつぶされそうなほどの力は――。


「馬鹿な……。赤い光(・・・)だと!?」


 オネットの叫び声があがる。

 皆が空を見上げると、太陽が落ちてきたかのように赤い巨岩がオルテンシアに向かってゆっくりと落下してきた!

17/08/11 文章微修正(大筋に変更なし)

17/08/19 文章微修正(大筋に変更なし)

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