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第八話 「白詰軍師」

 突然消えてしまったレージュがどこに行ったのか探そうと窓から外をのぞくと、古城の端の方に純白の羽が見えた。団員たちが興奮気味に騒いでいる部屋を抜け出し、群生する白詰草の中で淡く発光している純白の翼に向かっていく。


「こんなところで何をしている」

「星。星空を見ていた」


 胡座をかいていたレージュは、手足を投げ出して、白詰草のベッドの上に背中から倒れ込む。それに倣ってヴァンもレージュの横に寝転がる。


「いい人たちだね」


 レージュはヴァンの方を見ずに、皓々(こうこう)と照る満月の浮かぶ星空を掴もうと手を伸ばす。晩夏の星空は、少々の蒸し暑さをまとって光り輝いていた。


「そりゃあ俺の仲間だからな。当然だ。俺にはやりたい事がある。王になればその夢を実現できるかもしれない」


 何をしたいかは決めてある。この義賊団を立ち上げたときから決めている。王になれれば、その夢に大きく近づく事ができる。

 何度も手を開いたり閉じたりしているレージュの口は笑っている。


「夢が実現できるかどうかはあんた次第だ。あんたが王になった後は好きにしたらいい」


 横のレージュを見ると、まだ星を取ろうとしていた。


「そんなことをしても星は取れないぞ」

「取れないかな」

「取れないだろうな」

「そうでもないかもよ」


 それでも彼女は夜空へ手を伸ばす行為を止めない。


「……昔ね、まだあたしがちっちゃくて、傭兵団にいた頃から空が大好きだった。もちろん今も大好きだよ。あの頃は暇さえあればずっと空を飛んでいた。あ、もちろんその時はちゃんと両方とも翼があったよ。それである時、夜空の星を取ろうと飛んでいった事があってね。傭兵団の皆は笑って無理だって言ってた。あたしも意地っ張りでさ、絶対に取ってきてやるって意気込んで飛んでったの。どんどん上がっていって、雲を突き抜けて、遮るものが無くなっても、星にはちっとも届かなかった」


 それでも、行けるとこまで行ってやるとムキになったその時。


「ふと下を見たら、地上の皆が全然見えなくて、吸い込む空気が冷たくて、はばたいてもあんまり飛べなくて、ちょっとだけ息苦しくて、世界にはあたし一人しかいなかった」


 自分の近くに誰もいない孤独。彼女がそれを感じたのは初めてではなかった。



「初めて、空を怖いと思った」


 それが、少女が愛してやまない空で感じた最初の恐怖。


「もう星なんか忘れて、一目散に引き返したよ」


 戻るときに泣きじゃくりながら帰ったのは黙っておいた。


「……人間には分相応ってものがある。羽があるからって、星を取りに行けるわけじゃない。手があるからって、なんでも救えるわけじゃない。分を弁えろって言うのとは違う。できることを確実にやれってこと」


 何度星空を掴んでも、開いた手のひらに星は無い。そんなことは分かっている。


「あんたがいなくても、マルブルを取り戻せる自信はある。でも、たぶん、捕まってる王の爺さんは救えない。マルブルを支える人がいなくなる。それじゃあ駄目なんだ」


 レージュは、何も掴めていない小さな手のひらを、ヴァンに向かって突き出す。その小さな手に合わせるように、ヴァンも手を開いて重ねる。握りつぶせてしまいそうな小さな手だが、これほど力強いと感じた手は今までなかった。


「あんたの手はあたしよりでかい。あたしよりも、もっと多くのものを救える。王にだってなれる」

「何言ってやがる。そんなら、俺の団にいる奴はほとんど王になれるだろうぜ」

「にひひ、確かにそうだ。なにも物理的な大きさの事だけじゃないよ、あたしが言ってるのは」


 八重歯を見せて悪戯っぽく笑うと、レージュは体を起こして再び胡座をかくと十字架のサークレットを足の上に置いてから、十字架を引き延ばしたような形をした眼帯を外す。通常の眼帯は、長さを調整できるように紐などで止めてあるが、彼女の眼帯は全て金属でできており、外しても形を変えない。このさき窮屈になったらどうするのだろうか。などと考えていると、レージュが火傷のあとが残る右瞼を右手で押さえながら、左手でヴァンに眼帯を差し出す。


「ちょっと持ってみて」

「……なにか仕掛けてあるのか?」

「いいから」


 特に拒む理由もないので、起きあがって座り直し、少女の左手から眼帯を受け取る。


「こんなもの持ってどうす――うおわっ!」


 十字架の眼帯を片手で持ち上げた瞬間、金属に染み込んだレージュの体温を感じるより前に、予想外の重量に落としそうになる。慌てて両手で持ち直し、なんとか落下を阻止する。


「お、お前はこんな重いものを気軽に頭に乗っけてるのか! 首が折れるぞ!」

「よしよし、ちゃんと重く持ててるね」


 満足げに左目で確認すると、ヴァンが必死に持っている眼帯を人差し指一本ですくい上げ、何事もないように右目に被り直す。そして再び地面に寝そべって星空に手を伸ばす。理解できない現象を前に、ヴァンは目を白黒させる。



「この眼帯は特別製でね、人がどれだけの素質を持っているか測ることができるのさ。今ヴァンが感じたのはマルブル王国の重さだよ。それが重く持てたってことは、ヴァンに国を大切に思う王になる素質があるってことさ。普通の人なら持つこともできないよ」

「またずいぶん変なものを持ってるんだな。……まてよ? だったら重さすら感じていないお前が王になればいいんじゃないか?」

「国を羽毛よりも軽いと感じる人間が王になってどうするの。間違いなく滅びるよ」


 確かにその通りだ。国を軽んじる王が栄えた試しはない。しかし、そうなると彼女はマルブル王国を全く重く見ていないというのだろうか。


「ちょっと待て。まさかお前はマルブルの事をどうでもいいと考えているのか?」


 口に出してからとんでもないことを言っていると自分でも思う。蒼天の軍師と呼ばれ、民からの信頼も厚いと聞いていた彼女が、守るべきマルブルを軽視しているというのか。

 出会ってからずっと歯切れの良かったレージュが、初めて言いよどむ。


「どうでもよくはない、けど……」


 自分の馬鹿な考えを否定されるかと思ったが、天使の答えは肯定に近いものだった。



「……これはマルブルの人の前では間違っても言えないんだけどね。あたしはマルブルが戦争で負けて滅びても別にかまわないと思ってた」


 豪胆なヴァンもこの言葉には驚愕した。国に仕える人物というのは、通常その国の繁栄と栄光を望むものではないのか。ならば、なぜ彼女は三年間もマルブルを守ってきたのだろうか。


「勘違いしないでね。あたしはカタストロフに勝とうと本気でやってきた。手なんか抜いてない。だけどね、兵と兵で、国と国でぶつかって負けるなら、それは自然の摂理だ。今までもそうやって歴史は繰り返してきたし、もしもあたしの全力の策略が通用しなかったら、潔く討ち取られて死ぬよ。捕まって処刑されるなら、自分で処刑台まで歩いてやる覚悟だった。逃げ延びて復讐なんてこれっぽっちも考えなかった。

 でもね、マルブルとカタストロフの戦いは正当に行われなかった。カタストロフが世界のことわりを無視して古代遺産で国を焼いたからだ。ズルしたんだよ。戦争にだって最低限のルールぐらいはある。負けそうだからってズルをして勝つ。あたしはそれが一番許せない。だから、戦う。正々堂々戦って勝つ。そして、もう誰もズルできないように、古代遺産をこの世界から全て排除する」


 レージュの言葉にヴァンは小さく震えた。

 これが、これが本当に幼い少女の考えなのだろうか。ここまで達観した思想を持ち、ここまで大局的に物事を見ることができるのは、老練した賢人でさえ難しいだろう。


「……立派な覚悟だな」

「そうでもないよ。こんな小娘が抱ける覚悟だからね」

「いや、お前は間違いなく立派だ。世の中には、年を重ねただけで偉くなった気になっている馬鹿がごまんといる。卑下する必要はない」


 その声には自嘲の色がわずかに含まれていた。


「にひひ、ありがとね」


 この不思議な少女の笑った顔だけは年相応であり、こちらも微笑ましい気持ちになる。



「話は変わるが、なぜ今マルブルなんだ? カタストロフを打ち倒したいだけなら、別に死にかけのマルブルでなくてもいいだろう」


 他にも、カタストロフには及ばないが強大な国はいくつかある。なのに何故レージュは一度大敗したマルブルに戻ってきたのか。


「約束――したからね。それに、マルブルは弱くない。彼らは、ちょっと自分たちの強さを知らなかっただけだ。カタストロフには、手負いの獣の強さと古代遺産を悪用した罪を教えてやるさ」


 約束、か。

 その約束のために身を焼かれ、羽を失っても、まだ諦めないレージュの強さに、ヴァンは畏敬の念すら抱く。

16/03/14 文章微修正(大筋に変更なし)

16/09/03 文章微修正(大筋に変更なし)

16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)

17/03/27 文章微修正(大筋に変更なし) サブタイトル変更(旧:約束軍師) 

17/07/08 文章微修正(大筋に変更なし)

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