第七三話 「見物軍師」
城の通路からも次々と敵が襲いかかってくるが、先頭を走るヴァンの剣技によって全て切り倒されていき、後ろからも追ってくる敵はオネットによって打ち倒されていく。一騎当千の二人に守られてレージュは城の通路を上へ上へと進む。
しかし、快進撃を続ける一行の足が止まった。
血の道の先に、展望台がある城塔へと続く階段に金属の全身鎧を着た大柄な男が通せんぼうしている。顔全体を覆う兜に視界確保のための縦に細い隙間は開いているが中の素顔は見えない。
「地獄から這い出てきたな死神レージュ。ならば二度とよみがえらぬよう、我が戦斧でその首を切り落として野犬に食わせてやろう」
低く籠もった声の男の持つ血で汚れた戦斧に怯みもせず、足が止まったのを良いことにレージュはパルファンを取り出して火をつけて吸い始める。
「あんたみたいな図体だけデカい三下があたしをどうにかできるとでも?」
煙をまとって嗤うレージュの前にヴァンが割って入ってくる。
「俺はマルブルの皇太子ヴァンだ。自国の領民が侵略者に足蹴にされているのを見過ごすことはできん。オルテンシアは返してもらおう」
「ほう……。貴様が噂の王太子か」
戦斧男が品定めするようにヴァンを見やる。
「俺はヴェヒター様の副官のゲドゥルト。ここを通ろうとするものを全て殺すよう命令されている。王太子だろうと死神だろうとな」
ゲドゥルトが大きく一歩踏み出す。オネットが大盾を構えてヴァンの前に出てくる。
「殿下、ここは私が」
「いや、俺がやる。下がっていろオネット」
「しかし……」
オネットはレージュに視線を送るが、彼女はパルファンを咥えて笑っているだけだ。
「大丈夫だ、任せておけ。それとも、命令しないと駄目か?」
「……かしこまりました。くれぐれも、お気をつけを」
「ああ。――さてと、頼れる男として、ちっとは格好いいところ見せねえとな」
そう呟いて両手で剣をしっかりと構え直すと、戦斧を構えたゲドゥルトと対峙する。互いに相手を実力者だと見極めたのか、にらみ合ったまま攻撃の起点をうかがっているようだ。
「ねえオネット、どっちが勝つか賭ける?」
「レージュ!」
オネットからは、隠しもしない痛烈な怒気が返ってきた。
「冗談だって。オネットは本当に固いなあ」
良い香りのする煙を吐き出しながらにひひとレージュは笑う。いつもと何ら変わらない態度の天使にオネットは肩を落としてため息をつく。
「戦場での冗談は慎めといつも言っているだろう」
「はいはい始めっ!」
レージュが不意に手を叩くとにらみ合っていたヴァンとゲドゥルトは弾かれたように飛び出す。戦斧男は盛り上がった筋肉の力を存分に戦斧に伝え、ヴァンを脳天からかち割ろうとする。ヴァンは、一本しかない剣でこの攻撃を受けるなどという愚行を犯すことなく、やり過ごしてすれ違いざまに鎧の腕の関節部分を斬りつける。しかしゲドゥルトも手練れのようで、手甲をずらして剣を受ける。床にめり込んだ戦斧を引っこ抜き、今度は横に振る。身を屈めて避けると戦斧は壁をものともせずに振り抜かれる。ゲドゥルトの馬鹿力に口笛を吹いて賞賛を送ると、ヴァンは彼の足を払って体勢を崩そうとする。だが、ただ払うだけではゲドゥルトの強靱な足腰はびくともしなかった。低い体勢のヴァンを踏みつける。ギリギリの所で飛び退いて壁を蹴り上がり、上から首元の隙間を切りつけるが浅い。
ヴァンとゲドゥルトの動きをオネットは緊張して見守っているが、レージュはパルファンをくわえたまま面白い見せ物を見ているように笑っている。いつヴァンがやられるかわからないこの状況でだ。
「いつも思うのだが、何故レージュはそこまで余裕でいられるのだ」
「そりゃ信じているからだよ」
レージュの答えは短かった。
「あたしは、ヴァンが勝つって信じている。ヴァンだけじゃない。オンブルたちが城門を開けてくれるって信じてたし、外で戦っているリオンも城郭を解放してくれるって信じている。もちろんオネットもね」
にひひと歯を見せてレージュは笑う。
「信じるんだよ。ヴァンを」
そう言われると、自分がヴァンを信じていないように聞こえ、オネットは少し顔が赤くなる。
「殿下……」
「堅い野郎だな」
奴の鎧は堅固で普通に切りつけるだけでは効果がない。鎧の間接部を狙っても上手いこと防がれてしまう。全身鎧だから転かせられれば起きあがれないだろうが、ゲドゥルトもそこは鍛えてあるらしく、なかなか転ばせることができない。
強いな、こいつも。
まったく世の中は強い奴だらけだ。
だが、こいつは勝てない相手じゃない。
あの兜の隙間。そこは視界確保のために常に開いている。かなり細いが、剣が中まで届くだろうか。いや、押し込めばいける。試してみる価値は、ある。
「そこだ!」
ヴァンが気合いを入れて飛び込み、狙い定めてゲドゥルトの兜の隙間に剣を突き入れる。だが……。
「狙いは良かったな」
ヴァンの突き立てた剣は兜の隙間を少し広げて刺さっているが、剣の幅の方が広く、中まで届いていない。捕まえようと動くゲドゥルトの腕からとっさに逃れるが、剣が兜に刺さったままになってしまった。ゲドゥルトは剣を引き抜き、壁に叩きつけて折ってしまう。
「武器がなくなった。これで終わりだな」
素手になってしまったヴァンに、ゲドゥルトは兜の隙間から嘲うような視線を送る。
「もう駄目だ。レージュ、私は殿下に加勢するぞ」
「却下」
今にも飛びかかりそうなオネットに視線を移さず、レージュはただヴァンを見つめて短く答えた。
「レージュ! もはや殿下に武器はない。今ならば奴の兜の広がった隙間に私の剣が届く。それがわからぬお前でもないだろう!」
がちゃがちゃと甲冑を鳴らすオネットにレージュは小さく笑いかける。
「そんなこと、ヴァンだってわかってるよ。まあ見てなって」
そう、これでいい。
『相手に勝ったと思いこませるんだ。相手が勝利を確信したとき、そこに最大の隙が生まれるからね』
なるほど、レージュの言う通りだ。
勝ち誇ったように戦斧が振り下ろされる瞬間、ヴァンは隠し持っていた薄い短剣を投げる。その剣は寸分違わず戦斧男の兜の広がった隙間に入り込む。
「ぐあぁあ!!」
ゲドゥルトが苦悶の声を上げて兜を押さえて仰け反る。そこに出来た鎧の隙間。喉元が完全に剥き出しになる。意外と白い肌の喉元からは、次の瞬間には赤い鮮血が吹き出す。
ゲドゥルトの巨体が後ろに倒れ、周囲には大音量の金属音が鳴り響く。音が収まると、ヴァンは手に無骨な作りの短剣を持ってレージュたちに親指をあげる。レージュも親指を上げて応え、ヴァンの勝利を祝福する。
「ほら、大丈夫だったでしょ」
「……私は肝を冷やしたぞ」
ヴァンは筋力も技巧もそれなりにある。しかし飛び抜けてはいない。筋力なら相手のゲドゥルトの方があるだろう。技巧もオンブルとかの方が上かもしれない。総合して考えると、それなりに強いが、特別強いわけではない。ヴァンより強い人間はこの大陸に何人もいるだろう。共に調練をしていたリオンもそう評価した。だが、ヴァンは彼らよりも優れたものを持っている。
それは、切り抜ける力。困難に直面した場面を乗り切る力をヴァンは持っている。信じる心に応える力を持っている。
ヴァン本人は気づいていないだろうが、それこそまさに、王に相応しき王の力だ。ヴァンだけが持つ、ヴァンだけの強さだ。
「先を急ぐぞレージュ。オネットも早く来い。戦いを終わらせるぞ」
「にひひ、もちろん」
走るヴァンとレージュの背を追ってオネットは思う。殿下は確実に成長している。人として王として大きくなっている、と。
だが、オネット自身も気づかぬ心の奥底では、言い表せぬ不安のようなものも大きくなっていった。
☆・☆・☆
重量のある金属の固まりが倒れた音がした。副官ゲドゥルトの最後の守りが破られたのだろう。奴もまた優秀な副官だった。
まもなく奴らはここへ来る。眼下に広がるオルテンシアの城郭でも、なだれ込んできたマルブル軍が我軍を圧倒している。
北門が開いたということは、グリュックも果てたのだろう。結局、自分はあの娘に対して何かをしてやれたのだろうか。いや、何も無い。ただ道具の様に使い捨てただけだ。
そのことを後悔はしていないが、何か心に重くのしかかるものがあった。
「ゲドゥルト、お前は本当によく働いてくれた。お前という副官がいなければ、私はいつ背中を刺されていたかわからぬ。そして、グリュック。私はあの世まで報告を聞きに行くからな。行くまでにまとめておくのだぞ」
青空の下、遠くの城壁で火が上がっている。階下の兵もやられた。グリュックもゲドゥルトももうここへは戻ってこない。もはや、残っているのは自分だけだ。このオルテンシアを取り戻され、死神が健在ならば、我らがカタストロフは再び死神の恐怖に怯えることになるだろう。
そのようなことにはさせない。愛する自国の民を守るためならば、この命などいくらでも捧げよう。可能ならば、その後に宰相コシュマーブルをなんとかせねばなるまい。
「まず、死神は私がここで滅する」
ヴェヒターは懐に隠した十字架を握りしめて蒼天を仰ぎ、ドアが開け放たれた音で振り返る。
17/07/14 煙草削除(大筋に変更なし)