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第七二話 「入城軍師」

 太陽は天頂を通り過ぎ、蒼天の色が最も深くなる時間だ。

 北国のマルブルは、平時は夏でも爽やかな風が吹いているが、今日の風はひどく熱を帯びていた。日の光のせいなどではない。城壁で燃えさかる炎と、城郭まち全体を包み込む闘争の熱が、戦争の熱が、吹く風をも焦がしているのだ。


 オルテンシアの中心に鎮座する城の中では、その熱に当てられたカタストロフ兵が、汗を飛ばして走り回っていた。中でも、唯一の進入口である城前の門には残っている兵力のほとんどが結集してきており、容易に崩されないように構えている。


「とにかくこの城門は死守するぞ! ここさえ守ればいくらでもひっくり返せる!」


 城門の開閉を操作する詰め所では剣を持った数人の兵士が何時来るか分からぬ敵に備えていた。極度の緊張で張りつめた空気の中、彼らの呼吸は次第に荒くなる。


「くそっ。来るならさっさと来やがれってんだ、敗残兵共め」

「俺たちはなんとしてもこの門を守る。奴らの侵入を許したら終わりだぞ」

「わかってんだよ。んなことはよ!」

「……それにしても、詰め所の中は息苦しいな」


 なにか妙だ。確かに緊張はしているのだが、ここまで息苦しいのはおかしくないか。そう思って一歩踏み出した時、兵士は足に力が入らずに転んでしまう。違う。これは緊張などではない。目のかすみや手の震えが止まらないのは明らかに異常だ。

 自分の指の本数が倍に見えるようになった時、彼らの目の前には花籠を持った見知らぬ女がお淑やかな笑顔でほほえんでいる。


「こんにちは。痺れるほど綺麗なお花はいかがです?」

「貴様、どこから――」


 言い終える前に、彼の喉は背後の影からわき出てきたグラディスに切り裂かれ、血を吹き出しながら倒れる。その間にガビーの拳がもう一人の顔面を潰す。二人とも布で口と鼻をふさぎ、アコニが部屋に充満させた花の毒を吸わないようにしている。アコニ自身は何もつけていないが問題はないようだ。


 敵が現れたというのに彼らの思考は鈍っていた。アコニが撒いた花の神経毒はすでに彼らの思考力を奪っていたのだ。


 それでもなんとか危険だと理解した兵士が切りかかろうと向かってくると、アコニは腰の袋から輝く粉をつまみ取って兵士に投げつける。すると、兵士は突然剣を投げ捨てて兜をかきむしるようにして倒れ込み、声も上げられずに床を転げ回った。兜を脱ごうとしているのか、手で必死に兜の留め具を外そうとするのだが、指が震えて外すことができない。そのうち兵士の体が痙攣し始め、鎧の隙間から泡と小便を流して動かなくなった。


 アコニが、先ほどと変わらず淑やかな笑みで残っている兵士に微笑みかけると、彼らは一様に体を強ばらせる。


「さあさあ、こうなりたくなかったら急いで城門を開けてくださいね。レージュちゃんは投降した兵士さんには優しいですよ。ですから、さっさとこの門を開けてくださいね。さもないと、この人みたいに、首を切られて死ぬよりも、顔面を潰されるよりも、よっぽど辛い思いをして死ぬことになりますよ?」


 恐怖した兵士たちが痺れる体で城門を開けるレバーを回し始めるとガビーがそれを手伝う。


 無惨な死に様をさらす兵士の死体を見て舌打ちをすると、グラディスはアコニをにらみつける。


「それは室内で使うなと言っただろう。俺たちに当たったらどうする」

「大丈夫ですよ。ちゃんとそこまでは届かない量を投げましたから。怖かったですか?」

「……だからお前と組むのは嫌なんだ」

「あら、残念ですね。私はグラディスさんのこと嫌いじゃないですよ。それに、花は毒があるから美しいんです」


 グラディスは無言で振り返り、階段を上って外へ出て行ってしまう。これで彼らスーメルキ団の役目は終わりだ。後は各自で考えて行動する手はずになっている。


「ここまではどうにか上手くいっていますけど、ここからはどうなりますかねえ……。あと少しなんですけど、何か、不吉な感じがしますね」


 アコニが詰め所の小窓から外を見ると、目抜き通りの方から土煙を巻き上げて走ってくる一団があった。


               ☆・☆・☆


「なぜ城門を開けている! 今すぐ閉めさせろ!」


 詰め所で何が起こったのかは把握できていないが、絶対に閉じていなければならない城門が開いている。

 慌てる兵士の声をかき消すように、通りの向こうから地響きとときの声が上がる。石畳の目抜き通りを駆けてくるのは白黒の甲冑に身を包んだマルブル残党軍だった。剣を振り上げ、こちらに一直線に向かってくる。


 ヴァンは馬上で剣を蒼天に掲げて叫ぶ。


「馬を駆けろ! 手を伸ばせ! 掴み取れ、勝利を!」


 先頭を疾駆する王太子(ヴァン)がそう叫ぶと、騎士たちは一層声を張り上げて石畳を駆けていく。ヴァンのすぐ後ろを走っている蒼天の隻眼のレージュも真剣な面もちで馬腹を蹴る。


 南門を開けるという作戦はバレていたようだが、機転を利かせて北門を開け、それを自分に伝えるということをスーメルキ団はやってのけた。そして今、城の前の門も開いている。十分な働きだ。先程雑用係(メイド服)で決まりと言ったのを撤回しなければならないだろう。


 先ほど、外郭門をくぐってオルテンシアに入ったとき、レージュはまたも強い悪寒に襲われた。しかし、やっとその正体がわかった。ここまで近づいて、ようやくわかった。


 やはり古代遺産だ。それも、とんでもない数がこの城郭まち中に広がっていた。その大量の古代遺産が自分に敵意を向けている。数から考えても、報告にあった千人の兵は古代遺産で作られた仮初めの存在だろう。


 そして、これほどの数の古代遺産を扱える人物など、一人しか考えられない。

 まさか、あいつ(・・・)がいるというのか。あの日、マルブルに赤い光を落とし、自分から目と羽を奪ったあの燕尾服の男が……?

 レージュの口角がいびつに上がり、片翼がざわめく。

 それなら好都合だ。必ず奴を倒し、奪われたものを取り返す。二度は、負けない。


 レージュは手綱を握る手に力を込める。



 城壁や城門という防壁を失ったカタストロフ兵は震え上がる。数では勝っているのだが、勢いでは完全に負けている。そうなると、数の差はほとんど関係ない。今、流れは間違いなくマルブルにある。城門の中に入ってしまえば城郭まちを取り戻すのは容易い。あとはこのまま城を奪還すればオルテンシアはマルブルへ還ってくる。


 ふと、見つめられるような気配をレージュは感じ取り、オルテンシア城を見上げると、屋上に人影が見えた。


「あれは、ヴェヒター……?」


 突き刺すような敵意の視線を蒼天の隻眼で受け止め、片翼を一度だけ大きく羽ばたかせる。


 レージュたちはヴァンを先頭に城門に突っ込み、城前の兵を蹴散らして城内へと走っていく。そうはさせまいと城内の兵が決死の覚悟で集結してきた。後続のオネットの部隊がそれにぶつかり、激しく戦い始める。


「オネット将軍、お急ぎくださいませ。ここは我らにお任せを」

「うむ」


 小隊長が剣を振り上げて叫ぶ。


「恥を知らぬカタストロフの雑兵共め、貴様らの命運もここまでだ。今ここに、天使の鉄槌を持って侵略者をこの地より排す! 行くぞ!」


 熱風に巻き上げられる剣戟けんげきの嵐の中を、ヴァンとレージュとオネットの三人は切り抜け、馬ごと城内へと進入する。


「あたしが道を教えるからヴァンが先頭を切り開いて。オネットは殿しんがりをよろしく」

「おう」

「心得た」


 城内にいたカタストロフ兵が、侵入してきたレージュたちに襲いかかってくる。ヴァンが飛び降りながら馬を叩いて走らせ、カタストロフ兵たちが馬に気を取られている隙に素早く切り込んで血路を開く。


 レージュは髪を二つに縛っている赤いリボンに触れ、十字架の眼帯とクレースの位置を直すと、片翼を羽ばたかせて馬から飛び降りて、抜け落ちた羽が光の粒と化す前に走り始める。


 さあ、半熟卵作戦の大詰めだ。

17/07/14 文章微修正(大筋に変更なし)

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