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第七一話 「焼肉軍師」

 夏の蒼天の下に、鮮血の雨が降る。赤い雨を降らすのは獅子。獅子の双牙が触れるもの全てを切り刻んでいく。


「木っ端兵どもが。聖なるマルブルの地に汚れた足で踏み込んでただで済むと思うな」


 リオンがそうえる間にも一振り毎に兵が斬り伏せられ、恐れて逃げる兵には剣を投げつけ、すぐさま別の兵を素手で組み伏せて剣を抜き取って斬りつける。


 瞬きをする度に味方の兵が次々と死んでいく。この地獄のような一方的な虐殺に、兵たちは体だけでなく魂まで震え上がった。

 汗が吹き出てくるのは夏の暑さからではない、ただ恐怖によるものだ。


いしゆみの隊列を組め!」


 そんな中、小隊長が振り絞って声を張り上げた。彼らとて戦場を生き抜いてきた先鋭たちだ。言葉を理解するよりも早く体が動き、五人が横一列に並び、その後ろにもう一列並んで十人の固まりを作る。その固まりが五つできた時、彼らは背負っていた弩を抜いてリオンに狙いを付けていた。


「ほう」


 リオンが少し関心した声を上げると、小隊長の指示で前の五人が一斉に矢を射る。数本の矢がバラバラに飛んでくるだけならリオンは容易く切り払えるだろう。しかし、これだけの矢が一気に飛んでくると、さすがのリオンも無傷で切り払うのは難しいのか、横に飛び退いて避けると、続けざまに後ろの五人組が矢を射ってくる。それも避けると装填の終わった前の五人組が再び矢を放つ。正しく矢継ぎ早に攻撃を続けることでリオンに反撃させる隙を与えない。

 手を出せずに城壁上の物見櫓に逃げ込むリオンを見て、彼らは自信を持ち始める。


 あの獅子将軍が為す術もなく逃げ回っているその事実は、震え上がっていた彼らを勇気づけた。


「よし、獅子は逃げ込んだぞ。決して目を離すな。徐々に動いて奴を追いつめるぞ」


 しかし、彼らの攻勢はここまでだった。何者かが放った矢が小隊長を喉を射抜き、血の泡を吹いて彼は倒れる。


 すると、リオンの頭上から声がした。


「よお、獅子将軍様。噂に違わぬ派手な暴れっぷりだな。いらん世話だろうが助太刀に来たぜ」

「恐ろしい男だな。あれなら本物の獅子を相手にした方がマシだ」


 その声には聞き覚えがあった。義賊団にいたオンブルと猟師アクストである。リオンの隠れている城壁塔の上に彼らは陣取り、カタストロフ兵に矢を降らせているようだ。


 カタストロフ兵たちは理解する。敵は、リオン(獅子将軍)一人ではないのだ。


 外郭門が破られたのだ。他にも敵がいることは彼らも分かっていた。だが、彼らは片時もリオンから目を離せなかった。リオンの姿が見えなくなった瞬間、自分に剣が突き立つのが容易に想像できたからだ。

 しかし、彼らは小隊長が死ぬのを見、城壁塔の上にいるオンブルたちに注意を向けてしまった。一瞬だがリオンから視線をはずしてしまった。瞬間、彼らは何か液体をかけられる。濡れた彼らは臭いでかけられた液体の正体を知り、恐怖に震える顔でリオンに振り向く。


 リオンはからになった油樽を無造作に放り捨て、壁に設置してある松明を手に取る。

 松明の火に照らされる獅子の笑いを見た彼らは急いで武器を捨て投降の構えを見せた。

 途端にリオンの表情から高揚感が消える。


「なんの真似だ」

「と、投降します……。ですから、どうか命だけは……」


 彼らは震える唇で懇願するように言葉を紡ぐ。武器を全て捨て、両手を上げている。指揮官を失い、全身が油にまみれ、もはや抗う術も意志もない。もう、命を繋ぐにはこうするしかないのだ。誇りがどうのと言っていられない。


 戦場で死ぬことを恐れぬ先鋭たちでも、無意味な犬死にはしたくないのだ。栄誉のためならば死ねるが、ここに栄誉はない。いまこの場で徹底抗戦をしたとしても、無駄死にだ。そんな不名誉な死はごめんだった。


 今は、名誉も恥も捨てて生き延びねば――。



「駄目だ。マルブルを焼いたことを詫びながら、死ね」



 彼らが何かを言う前に、リオンは松明を放って床に広がる油に投げ込むと、火は瞬く間に燃え広がり、城壁上に広がる。踊る人影が見える大火を、リオンはただ黙って見ていた。


 肉の焼ける臭いが風に乗って流れてくる。


 城壁塔から降りてきたオンブルがリオンの横に立って口笛を吹く。


「獅子将軍様よ、ちとやりすぎじゃねえの?」

「俺はレージュ(あの小娘)のように甘くない。敵は、全て殺す」


 獅子のように整えられた顎髭を熱風にさらしながらリオンは言葉を続ける。


「人に剣を向けておいて状況が悪くなったら謝って許してもらおうとする。俺はそういう奴を見ると虫酸が走る。一度でも相手の命を奪おうと思った者が、謝ったぐらいで許されるはずがない」

「まあ、間違っちゃいねえけどな」


 炎を見つめていた猟師アクストが不思議そうな声を上げる。


「……おい、オンブル。何か様子がおかしいぞ」

「何がだ?」

「そこで燃えている奴らだが、どんどん消えていっている」


 オンブルもリオンも改めて業火に目を向ける。もうもがき苦しむ兵の姿はなく、丸まって倒れている影しか見えない。その一つを見ていると、突然兵士の体が光の粒になって消えてしまった。


「おいおい、なんだありゃ」


 異様な現象に目を丸くするオンブルにリオンはつまらなさそうに肩をすくめる。


けだもののような奴らだと思っていたが、本当に人ではないものが混じっているとはな」

「冗談言ってる場合じゃねえぜ獅子将軍の旦那。動物だって人間だって焼けば骨が残る。猟師の俺でなくても知っていることだろう」

「しかしよ、これはまるで……」


 オンブルは光の粒を見て、デビュ砦でレージュが光の粒をまとってキメラと戦っていたことを思い出す。光の粒とともにレージュが振るっていたのは……。


「まさか、古代遺産の力なのか?」

「古代遺産だって? 城外にいきなり沸いた千の兵は全部古代遺産で作られた物だって言うのかよ、オンブルよぉ」


 周囲を見渡すと、リオンが倒した兵たちの死体も消えている。


「まったくよくできた古代遺産おもちゃだな。斬ってもわからなかったぞ」

「おそらくあいつらも自分が古代遺産だってわかってなかっただろうさ。古代遺産から作られた存在だと知っているならば、本気で命乞いなんでしない。何度でも作られるだろうからな」

「面白くない話だな」


 リオンは舌打ちをして燃える炎に背を向ける。


「どこへ行くんだい、獅子将軍さんよ」

「古代遺産だろうとなんだろうと剣を持って立っている敵はまだ残っている。そいつらを殲滅する」


 そう言い残してリオンは死体の消えた城壁上を走っていく。


「やれやれ、おっかねえ将軍様だな」

「同感だ。まったく、味方で良かったぜ」


 残ったオンブルとアクストの視線の先には、土煙を上げながら城の前まで差し掛かっている半分の天使の一隊がいる。

 未だに城の門は閉じたままだが、それでも彼らは速度を落とすことなく馬を走らせている。


「アクスト、ここからは別行動だ。俺はこのまま獅子将軍と城壁の制圧に行く。お前はほかの奴らと合流して城郭まち攪乱かくらんと城前の門をあけてくれ」

「任せときな」


 オンブルとアクストは別れ、己の役割を果たすために走り出した。

17/04/12 文章微修正(大筋に変更なし)

17/07/14 文章微修正(大筋に変更なし)

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