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第七〇話 「鬼人軍師」

挿絵(By みてみん)

 すでに太陽が東の山から顔をのぞかせていた。城郭まちはとっくに起きている頃だが、今日はどの家も戸を閉めたままで、どこの道にも人の姿はなく、城郭中はまだ眠ったままのように見える。だが、城郭は眠っているわけではない。夢を見ているのではないのだ。


 どれほどこの時を待ち望んだだろうか。今まさに北の外郭門が開かれ、陽光を受けながら白黒の鎧をまとった騎士団がオルテンシアへ帰還する。その流れ込んできた希望たちが、留まっていた絶望を打ち払うのをただ祈っている。旭光の瞳の天使が救ってくれるのを祈っているのだ。


「天使が帰ってきたぞ!」


               ☆・☆・☆


 カタストロフの小隊が北の外郭門から侵入してきたマルブル軍を迎え撃つために城壁上を疾駆している。しかし、彼らの顔にはこれから戦いに向かうという覇気がない。


「もう駄目だ、城門が破られた。逃げるしかありません!」


 立ち止まって泣きわめく兵を殴り倒して小隊長は絞り出すような声を上げる。


「どこへ逃げるというのだ。逃げても隠れても奴らは俺たちを殺しに来るぞ。戦って切り抜けるんだ!」


 殴られた兵はうずくまったまま首を振る。


「これは天罰なんだ……。赤い光(あんなもの)を使ったから、天使が死神になって襲ってくるんだ……」

「目を覚ませ! 赤い光(・・・)以前から死神は俺たちの敵だ!」


 嘆く兵の胸ぐらを掴んで起こし、小隊長は叫び続ける。


「我らはヴェヒター様から城壁を守るように命令された。外郭門は突破されたが、まだ我らの方が数で勝っている。南門にいた者も城郭まちで奴らを止めようと急行している。ここが堪え時なのだ。カタストロフの誇りを傷つけるな!」


 それでも兵の顔に闘志が現れることはなかった。


 北門からはマルブル兵たちのときの声が上がっている。復讐に燃える彼らの叫びはカタストロフ兵たちによりいっそうの恐怖を与えた。

 ついに堪えきれずに一人が道を引き返して逃げだろうとする。一人が逃げてしまうと、なんとか堪えていた他の兵もそれに続いてしまうものだ。


「待て! 逃げるな!」


 小隊長の制止の声を聞かず、兵士たちは一目散に城郭まちへ下りる階段に向かっていく。


 むき出しの階段に柵や手すりなどはない。さらに幅が狭く設計されており、人一人がやっと通れるほどしかない。そこに大挙して駆け込んだのだ。当然渋滞が起きる。急ぎすぎて途中で落ちる者もいた。

 それでもなんとか進んで階段を下りきる直前、先頭を駆ける兵が前方に一人の男が立っているのを見つけると、慌てて急停止するが、後続はそんなことをかまわず彼を突き飛ばして先に降りようとする。仲間を踏みつけて先を急いでいた彼らも、行く手を阻むその男が誰なのか理解すると一斉に足を止める。



 そこには、獅子のような面容の男が双剣を持って仁王立ちしていた。



「し、獅子将――」


 リオンの名を言い切る前に男は首を切られて絶命する。続けて奥の兵の喉元を突き刺し、二つの死体をまとめて階下に突き落とす。三人目は頭を叩き割られ、四人目は胸を貫かれた。ここまで来てようやく彼らは攻撃されていることを認識する。それほどまでにリオンの動きは素早く、また鮮麗されていた。


 リオンは死体を蹴って飛び上がる。列の中央の兵の肩を踏み抜き、肩の間接を外して階下に蹴落とし、階段に着地すると同時に前後の兵を切り倒す。狭い階段上という足場の悪いところだというのに、リオンは平地と変わらぬように動いていた。そのまま兵を斬り伏せながら階段を駆け上がっていく。

 階段上は混乱の極みに達し、押し合いへし合いとしながら兵たちは来た道を戻っていく。



「リオンが来た! 獅子将軍が下にいるぞ!」


 階段を下りていった兵がそう叫びながら慌てて戻ってきた。

 瞬間、小隊長は絶句する。大陸最強とうたわれるあの獅子将軍が来たのだ。


 先のマルブル戦線でも、リオンの部隊だけは軍師レージュ(死神)の指示が無くとも常勝無敗の軍だった。部隊の練度の高さも凄まじい物だが、なにより将のリオンがまさしく一騎当千の実力者で、戦場で名を上げようと意気込む勇猛な者でも、相手がリオンとわかれば途端に尻込みするほどだ。

 そのリオンが今ここに向かってきている。思わず唾を飲み込み、全身からは冷たい汗が吹き出てきた。


 城壁上から見ていると、マルブル軍の一隊は城郭まちの中を走って城へ、もう一隊が城壁へ上ってきている。そして、城郭まちを進む一隊に天使の姿も見えた。やはり生き返ったという噂は本当だったのだ。


 あの死神が生き返り、獅子将軍がその翼の下でこちらへやってくる。そのことを考えると、もはや自分たちに一片の生存の道など残されてはいないことがわかる。


 小隊長は何度か口を開きかけ、その度にもごもごと唇を動かしてまた口を閉じるが、意を決して大きく息を吸い込む。


「さあお前たち、もう逃げられんぞ。獅子将軍リオンが来た。あの大陸最強がすぐ側まで来ているのだ。逃げる者は確実に惨たらしく殺されるだろう。死後の世界でも不名誉だと罵られるぞ。だが、戦い()く者には生への道が開ける。万が一死んだとしても、それが家族を思い、故郷を思って剣を取って死んだのなら、死後の安息は約束されるぞ。我らはカタストロフの兵として、この苦難を乗り越えなければならない。逃げるな。背を見せるな。カタストロフ帝国の名に恥じぬ覇道を進め!」


 小隊長の檄を受け、破れかぶれだが兵たちの志気が上がった。

 たとえ死んだとしても祖国に泥を塗るような戦いをしてはいけない。そう覚悟を決めた彼らは武器を手に取り、まさしく決死の声を上げる。


 マルブルにある城壁のほとんどには砂利の積めたものか油の入った樽が置いてある。本来は外側から敵が梯子などをかけて城壁を越えようとするときに落としたり流して火をつけたりするものだが、いま敵は内側から階段で上ってきているのだ。急いでそちらに樽を運んでいく。

 しかし、逃げた兵もまだ階段にいる。いま樽を転がせば彼らも巻き込まれるだろう。これでは樽を落とせない。


「矢を射れ!」


 小隊長の指示で、兵は城壁から身を乗り出して眼下のリオンにいしゆみで矢を射る。だがリオンは兵を突き刺して放り上げ、上からの矢を防ぐ盾とすると同時に、兵の血を飛び散らして弩兵の目を潰した。


「くそっ! 樽を転がせ!」

「はっ!」


 階段にはまだ味方の兵がいるが、上官の命令に逆らうことはしない。階段で加速のついた樽は、味方の兵を巻き込みながらリオンに迫る。


 リオンは舌打ちをすると、石を組んで作られた階段の隙間に剣を突き刺し、その剣を踏み台にして飛び、転がってきた樽を避ける。樽はそのまま剣をへし折り、階下の兵たちをなぎ倒していく。そしてリオンは空中にあるままもう一つの剣を投げ、次の樽を落とそうとしている一人の兵の顔を正確に撃ち抜く。


 樽を落とそうとしていたもう一人の兵が、相方の死に驚くと同時に、自らの体が空中を舞っている事に気づく。いつの間にか階段を上がりきっていたリオンが自分を投げ飛ばしたのだ。軽装とはいえ、鎧を着込んだ一人の男を軽々と投げ捨てたリオンの膂力(りょりょく)は計り知れない。


 逆さまになった城壁から外の景色が見えなくなり、リオンが兵の顔に刺した剣と他の兵の剣を抜き取ってそのまま次の兵に切りかかる姿が反転した視界に映る。


 一体の獅子が、血しぶきの中で笑っていた。


 こんな、こんな怪物を相手にどうやったら勝てるというのだろうか。カタストロフ(我が祖国)は、どうやってこんな化け物を負かしたのだろうか。


 だがそんな心配は無駄であった。

 もう彼の頭は地面に激突していたのだから。

17/03/31 文章微修正(大筋に変更なし)

17/07/14 文章微修正(大筋に変更なし)

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