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第六九話 「幸福軍師」

 グリュック、私の名。カタストロフの言葉で幸福を意味する。そう名付けてくれた親は蛮族共に殺された。だけど、あの日がなければ私はこれほどの幸福を手にすることは出来なかった。


 私にとっては、ヴェヒター様、貴方にお会いできたことが、貴方に仕えられたことが何よりの幸福でした。時には男と女という不相応な感情を胸に抱くこともありました。ですが私は影、そんな感情を持つことは許されません。ですから、たとえこの命がここで果てようとも、私は最後まで貴方の刃でいたい。最後まで、貴方を想って死にたい。ヴェヒター様、見ていてください。私は、必ず使命を果たしてみせます。



「どこだ。隠れていないで出てこい!」


 グリュックは十字架を振るって手当たり次第に破壊し始める。樽も木箱も家の壁すらも激痛(・・)を与えられて弾けていく。このままではオンブルたちが隠れている民家の壁も壊されて見つかってしまうのも時間の問題だ。


 彼らもいろいろと試してはみたが、結局グリュックの持つ古代遺産に手も足も出ずに逃げ回っていた。


「さっさと対古代遺産の秘策とやらを教えちゃくれねえか。早くしねえとこの辺りが更地になっちまうぞ」

「今まさにその秘策実行中だよ。こうして逃げ回るのが秘策だ」


 おかしな事を言うファナーティにオンブルは眉をひそめるが、すぐにファナーティの言わんとしていることに気づく。


「ははあ、そういうことか」

「理解が早くて助かる。お嬢から羽をもらったのは伊達じゃないみたいだ」

「攻略法は分かったが、それでもこっちが不利なことに変わりはないな」

「そこは彼女との根比べだね」


 ファナーティは民家から飛び出してグリュックの前を横切った。激痛の針が襲いかかるが、すんでのところで避ける。そのまま物陰に走り去る最中に石をグリュックに投げつけた。しかし石は針の守りに打ち砕かれる。


 ファナーティやオンブルは、物陰から何度か飛び出してグリュックの前に現れるが、決して近づかず、遠距離からの投石や投げナイフのみで攻撃している。


「いつまでこんな茶番をするつもりだ?」


 問いかけるグリュックの息は荒い。

 物陰からファナーティの声が届く。


「キミがその物騒な物をしまってくれるまでかな」

「戯言を。ここで時間を食われて困るのはそっちの方だろう」

「それもそうかもね」


 何気ない所作でファナーティが物陰から出てきた。


「隠れるのは止めたのか?」


 肩で息をしているグリュックにファナーティは両手を広げた。


「まあね。死ぬ前に君の名前を聞いておきたいと思ってさ。冥土のみやげに教えてくれないかい?」

「断る」

「そうか、残念だよ。しかし、君は結構かわいいのに、なんでこんなことをしているんだい。投降して北門を開けてくれるなら何も危害を加えないことを約束するよ」

「勝てないと分かって気でも触れたのか? いや、怖じ気づいたのか」

「冗談。降伏勧告は勝つ者が負ける者に対してするものだよ」

「私が負けるだと? 逃げ回ることしかできないお前たちにか」


 大きく深呼吸をして、グリュックは乱れた呼吸を無理矢理整える。


「私は、ヴェヒター様の影として生きてきた。ヴェヒター様がいなければ私はあの夕焼けの日に死んでいた。ヴェヒター様のためならなんでもしてきた。そしてその全てに成功してきた。お前達も私がここで潰す。あのバルバルス国のように全てを叩き潰してやる!」


 激痛の針を周囲にまとってグリュックが突っ込んできた。ファナーティが飛び退いてかわすと石畳の地面が激痛(・・)を受けて大きく抉れる。飛び退きざまに投げナイフをグリュックに投げつけるがまとった針に砕かれてしまう。針がファナーティの眼前に迫る。


「今だ!」


 ファナーティが叫ぶと横から麻袋がグリュックに向かって飛んでくる。グリュックは舌打ちをして激痛の針で麻袋を砕こうとした。だが、袋を砕いた瞬間に、中の小麦粉が飛び散って辺りは霧がかかったように真っ白になる。


「くっ!」


 次々に小麦粉の袋が投げ入れられ、その全てが展開していた激痛(・・)の針を受けて弾け飛ぶ。針を展開していたのが裏目に出てしまい、完全に視界が閉ざされてしまった。闇雲に激痛の針をとばすが、こう何も見えないのでは当たるはずもない。


「よし、みんな今の内に北門を開けるぞ!」


 見えないファナーティの声が響く。それに呼応するように周囲からは男たちの声が上がる。

 これが奴らの作戦か。自分を足止めして北門を開けるのが真の目的か。最初っから自分を倒す気などなかったのだ。


「――させるか!」


 古代遺産を握りしめ、激痛の針を全方向に一気に打ち出すことで、漂っていた小麦粉を全て吹き飛ばし、視界を確保する。

 頭上には蒼天が広がった。



 だが、蒼天を進む太陽が二つ(・・)ある。そのことをグリュックが疑問に思う前に、彼女の膝は折れ、石畳に仰向けに倒れ込んだ。



 何故だ。体が、動かない。早く奴らを倒さねばならないと言うのに、なぜ動けないんだ。ヴェヒター様から北門を守るように命令されたのに、こんなところで寝ていてどうする。


 ……奴らとは誰だ? ヴェヒター様、奴らとは……。

 ヴェヒター……様?

 誰だ? それは。

 私は、私は……?

 あ。あああ?


「さようなら、名も知らぬお嬢さん」


 ファナーティの前に倒れている彼女はもうグリュックではなかった。

 先ほどまでのぎらつく目は虚ろになり、口はだらしなく開いて涎が垂れており、おまけに小便まで垂れ流し始める。


「古代遺産で精神を使い果たすとこうなっちまうんだな」

「そう。古代遺産は使用する度に精神力を著しく削る。これだけ派手に暴れまわれば、精神力を使い果たして廃人になっちゃうのさ。後味は悪いけど、これがお嬢の言ってた古代遺産の対処法だ」


 禁断の力を使うリスク。古代遺産は人知を越えた力を持つが、天使にしか扱えず、人間が使おうとすれば精神力が喰われると云われている。天使であるレージュでさえ使用を控えているというのに、ただの人間が破壊衝動のままに使えばこうなることは必然だった。


「なんともリスキーな代物だな」

「さあ、もうすぐお嬢が来るはずだ。城門を開けよう」

「彼女はどうする」

「放っといてもいいけど、気になるんならどこか道の脇にでも置いておいて。とにかく早く北門を開けるんだ」

「あいよ」


 ファナーティが、ピーッと長く高い口笛を吹いた。すると、先ほど声だけ上げて隠れ続けていた住民たちがそこここから現れ、ファナーティの先導で北門を開ける作業へ入っていく。


 この口笛こそが唯一の合図だったのだ。


 すると、北門の向こうから、ピッピーと呼応するように口笛が響いた。その音を聞いてファナーティはこれまでに見たこともないぐらい顔を輝かせる。


 オンブルは、急かすファナーティの元へ向かう前に、空虚な目で唸るグリュックを抱き抱えて通りの端に向かう。その時に、彼女の腕がだらりと垂れ、手から十字架の落ちる音がした。

17/03/30 文章微修正(大筋に変更なし)

17/03/31 文章微修正(大筋に変更なし)

17/07/14 文章微修正(大筋に変更なし)

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