第六七話 「竹箒軍師」
セルヴァが踏み込むと足下の石畳が弾け飛び、猛烈な速さでスーリ達の間を通り過ぎてネズミ取りに接近する。突如現れた謎のメイド天使に掴みかかろうとネズミ取りの細長い腕を伸ばす。セルヴァはその腕を竹箒ではたき落として、返す竹箒で脛に強烈な一撃を叩き込んで駆け抜けた。ネズミ取りの後ろに回り込んだセルヴァは再び足下の石畳を弾き飛ばしてネズミ取りの足の間を滑るように通り抜けると、先ほど脛を打った足をすくい上げた。そして足を払われたネズミ取りはたまらず後ろに倒れて噴水を押しつぶす。
「ネズミ取りさんはー、足が比較的弱いのでー、そこを狙うんですよー」
スーリたちの側に戻ってきたセルヴァが暢気な声で解説する。足を狙えと言われても普通の武器では歯が立たなかった、と思ったがスーリは何も言えなかった。
あっけにとられて固まっていたスーリとガビーの前まで歩いてきた彼女は深々とお辞儀をして、肩にかけていた黒髪の三つ編みが垂れる。
「申し遅れましたー、私ー、セルヴァ、と申しますー。以後お見知り置きをー」
「お前は、レージュの知り合いなのか?」
確認するようにスーリは問うが、セルヴァは首を横に振る。
「いいえー、直接はまだお会いしたことはないのですがー、これからお側にお仕えさせていただ――」
「おい、後ろ!」
スーリが急いでセルヴァの手を引くが、間に合わずに彼女はネズミ取りに捕まってしまい、そのまま金属の牙が生える虫かごの中へ放り込まれてしまう。ネズミ取りは躊躇なくその残酷な口でセルヴァを噛み砕こうとする。スーリとガビーは息を呑んだが、噛みつこうとする口を、セルヴァは逆さまになったままで、足を大きく開いて堪えている。
「こんな格好はちょっとはしたないですかねー」
スカートやら三つ編みやらが逆さまに垂れたままで顔も見えずに暢気に言っているセルヴァの足も徐々に曲がり始めている。ネズミ取りも本気を出してきたようだ。閉じる力の方が勝ってきている。
「竹箒、戻ってきてくださいー」
セルヴァが呼ぶと地面に転がっている竹箒がひとりでに飛び始めて、こじ開けているネズミ取りの蓋の隙間から入り込み、彼女の手へと届く。竹箒を受け取ったセルヴァが、石突きでネズミ取りの内部を突くと、竹箒の穂先がバッと広がり、イガグリの様になる。そして、逆さまに喰われかけたままのセルヴァが箒を回転させながら振り回していると、竹箒からバチバチと音が鳴り出す。夜に慣れた目が潰れそうなほどの閃光の様な煌めきが走ると同時に、イガグリの先端と先端を結ぶように青白い雷がまとわれて、セルヴァのメイド服が青白く照らされる。
「ぶっ壊しちゃいますねー」
渾身の力を込めて噛み砕こうとするネズミ取りの口から逃れるように、自ら虫かごの中にセルヴァは飛び込んでいく。虫かごの中の無数の牙がセルヴァに襲いかかってくるが、彼女の振るうイガグリがふれた瞬間、ネズミ取りの全身に青白い電撃が走り、気をつけの姿勢で直立して動かなくなった。
一瞬の静寂の後、ネズミ取りはそのまま倒れ込んで、その不気味な巨体は一個の小さな十字架へと変わる。十字架は地面に落ちると、砕けて砂になった。
セルヴァは、青白い光を放つイガグリから元に戻った竹箒で、砂になった十字架を一掃きすると、どうやっているのかわからないがロングスカートのメイド服の裾の中に竹箒をしまい込み、そのまま裾を指でちょいと摘んでお辞儀をする。
「お掃除完了ですー」
二人の男が唖然として見ている中、いつの間にか雨は上がり、いよいよ世界は夜から朝へ移行する。
世界の色が黒から金へと、オルテンシアへ向かっている半分の天使の瞳が黒から金へと変わる。
☆・☆・☆
雨雲は去っていき、東の空が薄く白み始め、夜が明けようとしている。
民家の屋根の上で二人の男がネズミ取りの最後を見届けていた。城郭に突然現れた化け物が、稲光とともに消え去るのを目撃したオンブルとファナーティは一呼吸つく。
「どうやらなんとかなったみたいだね」
「ああ。俺たちも行くぞ」
二人は屋根から飛び降り、薄暗い通りを駆けていく。
「しかしあの化け物はなんだい。カタストロフがあんなものを持っているって知っていたのか?」
「いいや。あんなのを持っているなら、初めから使えばレジスタンスは一掃できていたからね。間諜の女の子が古代遺産を持っていたように、ごく最近、古代遺産を管理する人間がここに来たみたいだね」
「カタストロフの古代遺産の管理って確か皇帝だよな。そんな一番上の人間がこんなところに来るのか?」
「先帝が倒れてからはレシュティ姫が皇帝になったようだけど、どうだろうねえ。お嬢との因縁もあるし、無いとは言い切れないんだよね」
「なんだって? レージュとカタストロフの女帝は知り合いなのか」
「俺たちは傭兵だからね。戦う場があればどこの国にも行くさ。それで数年前にカタストロフに行った時に、お嬢とレシュティ姫さんが取っ組み合いの喧嘩をしちゃったんだよね」
一国の姫君と殴り合うなんて恐れ知らずも良いところだ。しかも相手は最高の軍事力を誇るカタストロフである。殴り返してくる姫も姫だが、レージュの胆力は底が知れない。いや、無謀さと言った方がいいだろう。
オンブルは改めてレージュの無茶苦茶さに舌を巻いた。
「なんでそんなことになったんだい」
「それがねえ――」
しかし彼らの会話と足はここで止まる。北の外郭門が近づいてきたところで、彼らの前にグリュックが立ちふさがっているからだ。
「待っていたぞ」
「待っていたそうだぞ、色男」
「それは嬉しいねえ。俺も会いたかったよ」
「お前たちに外郭門は開けさせない」
軽口を崩さない二人の男にグリュックは腕を振り払う。
「私はヴェヒター様の目であり耳であり刃である。ヴェヒター様が万一のためにここを死守しろと申された。ならば私は、全身全霊を持ってこの門を守り、この門を開けようとする全ての存在を排除する」
十字架を取り出して振るう。二人が避けると後ろの民家の壁が激痛で弾け飛ぶ。彼らは素早く物陰に隠れた。
「見えない針を一発でも食らったらおしまいだ。激痛で何もできなくなるからね」
「さらに空中に止めておくこともできる、か。まったく、なんて厄介な代物だ。距離を取れば射抜かれて、近づけば設置してある針に当たるってんだからな。どうしろってんだい」
「だけど、彼女を何とかしないとお嬢たちは入ってこれない。ここが正念場って奴だね。気合い入れて行きなよ」
「言われるまでもない。時間が迫っている。早くしねえとレージュにどやされちまう」
「確認したいんだけど、北門からって情報はお嬢にちゃんと届いているんだろうね? たぶんもうそこまで来てるよ、お嬢は」
「大丈夫だから安心しろ。いいから余計な心配はせずに目の前のあいつに集中してろ」
「まあ、信じるしかないか」
彼らが隠れる木箱が激痛で弾け飛ぶと、二人は別々の方向へ飛び去る。
17/03/30 文章微修正(大筋に変更なし)
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