第六六話 「窮鼠軍師」
スーリは、攻撃を避けて斬ることを繰り返すが、ついに傷つけることなく短剣は折れてしまう。忍ばせてあった投刃を打つも、効果はなかった。隠し持っていた様々な武器や方法を取るスーリだったが、何をされてもネズミ取りは平然としている。
肩を大きく上下させ、打つ手なしかと焦ったスーリは、攻撃を避けた際に濡れた地面で滑って足をくじいてしまう。その一瞬の隙にネズミ取りの蹴りを受けてしまい、ガードした左腕の折れる音を聞きながら民家の石壁にたたきつけられてしまった。全身がバラバラになったような痛みに崩れ落ちたスーリの前にネズミ取りの大きな口が迫る。雨が滴る無数の牙が生えるその口は、確実な死としてスーリを飲み込もうとしている。
ここまでなのか。
こんな所で俺は死ぬのか。
死にたくない。
レージュやシーカに良いように使われ、陛下をお救いすることもできずに死にたくない!
迫る無数の牙に思わず目をつぶったスーリの体に衝撃が走る。ネズミ取りの攻撃じゃない。この感覚は誰かに抱えられているようだ。
スーリがおそるおそる目を開けると、そこには黒々とした逞しい筋肉の鎧を持つ男が自分を抱き抱えていた。
「ガビー!?」
スーリの危機に駆けつけたのはスーメルキ団のガビーである。スーリを小脇に抱えたままネズミ取りの攻撃をかわし続けて距離をとり、そのまま狭い路地に逃げ込む。
「無茶をする」
ゆっくりとスーリを下ろすと、ガビーは路地の向こうの古代遺産の様子を見る。
「だが、勇気はあるな」
スーリの方を見ずにそう褒めるが、彼は赤い唾を吐き捨てる。
「お前らに褒められても嬉しくもねえ。お前の配置はここじゃねえはずだが、なんでこんなところにいるんだ。スーメルキ団は助け合わねえんじゃねえのか?」
「子供は放っておけない」
「子供扱いするな!」
スーリの激昂はガビーにはそよ風程度にも感じなかった。
「古代遺産の使用者はどこにいる?」
「わからねえ。薄板に入った燕尾服の男ならいたが、どこかに消えちまった」
「そうか」
ガビーは古代遺産の方だけを見続けていた。ネズミ取りは見失ったスーリを探すようにウロウロしている。スーリは立ち上がろうとしたが、立つときに足に激痛が走った。左腕は折れ、全身も軋むように痛むが、壁に右手をかけながらなんとか立ち上がる。
「……で? 助けに来たからにはなにか策でもあるのか?」
「術はない」
「ふざけるなよ。じゃああれに殺されるのを待っていろって言うのか!」
「そんなことは言っていない」
ガビーは右手を天に突き上げ、素早く指と手首を動かす。すると、隠れていた路地の両脇の民家の屋根から何者かが走り去る気配がした。
今のガビーの手を動きはスーメルキ団で使われている暗号である。あまりにも素早くてスーリには全て読みとれなかったが、『所在不明』『捜索』という単語だけはわかった。その指示で様子を見に来たスーメルキ団のメンバーが使用者を探しに行ったのだろう。だが、スーリは彼らが周囲にいるなど微塵も感じなかった。オルテンシアに入る前にオンブルから言われたことを思い出す。
『ここにいる全員が、お前が気づくこともなく殺せることを忘れるな』
気配を察することなら、上級将校以下の騎士たちの誰よりも長けている。その自分が、ここまで接近されていることに全く気づけなかった。シーカと最初にやり合ったときも、背後をとられていた。こんな奴らを組織して、いったいあいつは何をする気なのか。
「おい、お前たちの目的はなんだ。こんな集団を作ってあいつは何をする気なんだ?」
ガビーは答えず、古代遺産を観察するのを止めてスーリに歩み寄る。
「逃げるぞ」
「逃げるだと? あいつをぶっ倒さねえのかよ」
「俺たちは正面切った戦いはしない。常に敵の裏をかき、後ろから刺すのが役目だ」
「卑怯者が。俺はあのクソ古代遺産を倒すまで戦い続けるぞ」
「……手のかかる子供だなお前は。俺の子はもっと素直だった」
「ああそうかよ。じゃあ俺のことは放っておいてその子供のところにでも行ってろ」
「死んだ」
「は?」
「その子は戦火に巻き込まれて死んだ。会いに行くのは俺がこの世での役目を終えてからだ」
「……」
気まずい空気の中、彼らの後ろから、雨降る夜に似つかわしくない暢気な声がかかる。
「あー、見つけましたー」
二人が振り向くと、メイド服を着た天使が眠そうに歩いてきた。
「……天使、だと?」
さしものガビーもセルヴァの登場には虚を突かれたようだ。丸縁眼鏡をかけたメイド服の天使は、ロングスカートの裾をちょいと摘んで深く礼をする。
「おはようございますー。ご主人様の命によりあなた方をお助けしますー」
そのまま何かを振り落とすように裾をバタバタと揺さぶると、どうやって収納していたのかわからないが、長い竹箒が長いスカートの中から出てきた。竹箒を拾い上げて、セルヴァは古代遺産を見上げる。
「ご主人様がー、あのネズミ取りを掃除するよう仰いましてー、お掃除してきますねー」
ロングスカートの裾をはためかせながら掃除用の長い竹箒を振り回して槍術の様な構えをとる。表情はとぼけた笑顔のままだが、纏う気迫は一変した。
「参りますー」
17/03/16 文章結合(大筋に変更なし)
17/03/30 文章微修正(大筋に変更なし)
17/07/14 文章微修正(大筋に変更なし)