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第六五話 「鼠捕軍師」

 なにか、おかしい。


 スーリが小さく呼吸した瞬間、場の空気が一瞬で変貌する。今まで生温くよどんでいただけの下水道の空気が一斉に張りつめ、自分を見つめてきているようだ。


 速まる心臓の鼓動を抑えつつ、スーリは倒れたアヴニールの顔を覗きこもうとするが、その肝心の頭が無いので確認することができなかった。

 スーリが何かを感じて後ろに跳び退すさると同時にアヴニールの死体は巨大な何か(・・)に食いちぎられる。


 肉を破り骨を砕く嫌な咀嚼音が下水道に響く。突然のことに彼はその場で立ちすくんでしまった。しかし、暗闇でも目の利くスーリは、眼前のそれ(・・)を目撃したとき、無意識に一歩後ずさってしまう。


 そいつは、馬すら入りそうな金属の虫かごに、異様に細長い手と足をくっつけたような外見をしており、虫かごの中には無数の牙が生え、噛み砕き、すりつぶすようにしてアヴニールの体を食っている。


「なんだ、こいつは……」


 あまりにも現実離れした光景にスーリはおののく。こんな生物は見たことも聞いたこともない。いや、そもそも生物なのだろうか。なんでこんな化け物がオルテンシアの地下にいるのか。様々な考えが一瞬で頭の中を駆けめぐっていくが、もしもこれが現実の物ならば、考えられることは一つしかない。


「まさか、古代遺産なのか……? なんで、こんなところに……」


 すると、化け物の体が発光し、スーリは目を覆う。大した光ではないが、暗い下水道になれた彼の目には強烈な光だった。


 次にスーリが目を開けたとき、目の前の化け物と自分の間に光る薄板のようなものが浮かんでいた。その薄板には燕尾服を着た男の上半身が移っており、嫌らしい笑みを浮かべている。


「よくかわしたものだね。ドブネズミらしく、素早いようだ」

「だ、誰だお前は!」


 薄板の中の男が口を利いたことに驚いたスーリは、反射的に薄い短剣を構えて誰何すいかするが、燕尾服の男は嫌らしい笑みを浮かべたままだ。


「ドブネズミは礼儀も知らないようだね。人に名を聞くときは自分から名乗りたまえよ。私の天使にたかる害虫くん」


 天使? 天使と言ったかこの燕尾服の男は。天使とはレージュのことだろうか。


「まあ、キミの名前なんてどうでもいい。今キミの前にいるこれは侵入者を排除するネズミ取りの古代遺産だ。下水に住むキミたちドブネズミを掃除するのにうってつけだと思わないかね」

「知るか。そこから出てこい!」

「やれやれ。映像だということも理解できないほど下等なのか。だが理解する必要もない。キミはここで死ぬんだ。そして、レジスタンスもね」


 それだけ言い残すと薄板の燕尾服の男は消え、地下道に再び暗闇が満ちる。そして虫かごの箱の正面が前に倒れるように開き、体勢を低くして四つん這いで迫ってきた。まるで、巨大なちりとりの化け物のようだ。


 死んでたまるか!


 その思いがスーリを突き動かした。一目散に逃げ出し、レジスタンスの隠れ家には向かわず、近くの地上への出口へ全力で走る。後ろからはネズミ取りが下水道の壁を這いずり回るように追ってきた。金属の牙をギチギチと鳴らし、自分を食いちぎろうと迫ってくる。


 スーリがなんとか下水道から地上に這い出ると、頭上に星空は見えず、分厚い雲が弱い雨を降らしていた。

 直後にその穴を壊しながらネズミ取りが飛び出てくる。まだまだ明けぬ夜の静かな空気を完全に打ち壊しながら。


 付近を哨戒していたカタストロフ兵も、突然の化け物に驚き、どうして良いかわからず固まってしまっている。その固まった彼らをネズミ取りは前に倒した蓋でちりとりのようにすくい上げ、まとめて虫かごの中にしまい込んでしまう。彼らの恐怖と絶望の声と咀嚼する音を背中で聞きながら、スーリは口元も覆っていた布を剥ぎ取り、久々の外の空気を満喫する間もなく夜の城郭まちを走り出す。


              ☆・☆・☆


 地下の隠れ家でニコニコとして椅子に座っていたメイド服の天使セルヴァは、何かに気づいたようにハッとすると耳に手を当てる。


「もしもしー。あ、ご主人様ー。え? はいー、かしこまりましたー」

「おい、静かにしていろ。でけえ独り言は後にしな」


 共に隠れ家に潜むマントゥルが虚空に話しかけるセルヴァに口をつぐむように言うが、そんなことはお構いなしにセルヴァは会話を進める。


「聞こえねえのか」

「すみませんー、ちょっとご主人様とお話しておりましてー」

「なに、お前の主人と話しているのか。どうやってだ? 俺にも話させろ。この手で会話できるのか?」


 セルヴァの右手を掴み、マントゥルは自分の口元に当てる。


「おい、ご主人様とやら、お前は何者だ。お前はこいつになにをさせようってんだ。レージュ様と知り合いなのか?」


 しかしマントゥルがいくら問うても答えは返ってこない。


「おい、聞いてんのか」

「あのー」

「なんだ」

「もう切れてますー」

「切れ……? 切れてるってなにがだ。もう話せないのか?」

「そうですー」


 舌打ちをしてセルヴァの手を振り払うと、マントゥルはにらむように彼女を見る。


「からかっているんじゃあねえだろうな」

「いいえー?」


 常に笑顔の彼女を見ていると怒る気すら失せてしまう。


「……まあ、いい。で、お前は何を命令されたんだ?」

「はいー、ちょっとお掃除の方をー」

「掃除だ? ここの物は勝手にいじるんじゃねえぞ」

「いえー、ここではなくてですねー」


 すると、篭もった轟音が部屋に響きわたり、下水道全体を揺らし、その振動で棚の物が落ちて埃が部屋を満たす。


「な、なんだなんだ」


 マントゥルが、埃にせき込みながら崩れた物の中から這いずり出たとき、すでにセルヴァの姿は消えていた。


               ☆・☆・☆


 雨を降らす曇天の夜空が頭上に広がる頃、噴水広場まで逃げ込んだスーリはネズミ取りと相対する。以前は市場が開かれていたり催し物をやっていたりして賑やかな広場だったが、カタストロフに占拠されてからはすっかり人通りも無くなり、通行人もほとんどいなくなってしまった。


 しかし、人気がないのは好都合だ。

 弱く降る雨がスーリの頭を冷やす。


 この古代遺産(ネズミ取り)は地の果てまでも追ってくるだろう。逃げ続けてもいずれ追いつかれる。ならば、倒すしかない。古代遺産相手にどこまであらがえるかわからないが、逃げて死ぬのは騎士の恥だ。


 立ち向かうスーリを見てネズミ取りは笑ったように金属の牙をギチギチと鳴らしている。

 スーリは薄い短剣を抜きはなって逆手に構えた。


「来いよ、化け物!」


 とは言ったものの、どうすれば古代遺産(こんなやつ)を倒せるのか見当もつかない。通常なら使用者を倒せばよいのだが、肝心の使用者(あの燕尾服の男だろうか?)がどこにいるかは不明だ。もしも、この古代遺産が遠くからでも操作できるのだとしたら、そもそもこの作戦は使えない。破壊しようにも、古代遺産を破壊できるのは古代遺産だけだ。当然そんなものは持っていない。どう考えても、自分がこの場を切り抜けられる手段はないのだ。


 それでも、生き延びてやる。騎士団入隊時代に、小さい体とすばしっこい動きで灰ネズミと揶揄された自分だ。追いつめられたネズミの意地を見せてやる!


 ネズミ取りが立ち上がると、スーリは雲に覆われた夜空を仰ぐ。狭い地下道ではわからなかったが、ネズミ取りの異様に長い手足で立つと、二階建ての建物をはるかに越え、教会よりも高くなるようだ。


 ネズミ取りが雨を蹴って踏みつぶそうとしてくる。スーリはその攻撃をかわしざまに切りつけるが、異様に綺麗な白い足には傷一つ付かない。そのまま地団駄を踏むように攻撃してくるが、その全てをかわしきる。一踏みごとに石畳はめくれ上がり、噴水の水を波立たせた。


 一撃でも食らったら、終わりだ。

17/03/16 文章結合(大筋に変更なし)

17/03/30 文章微修正(大筋に変更なし)

17/07/14 文章微修正(大筋に変更なし)

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