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第六三話 「集結軍師」

 太陽が天頂から西に向かっていく蒼天の下を、オルテンシアに向かって進む一団がある。彼らは一様に白と黒の鎧を着込み、一部は乗馬していた。

 先頭の赫赫かっかくの髪の男が横を行く片翼の天使に話しかけている。


「しかし、敗戦してからのマルブルの動きは見事だな。すぐに兵は散り散りに逃げて生き延びているし、城郭まちではレジスタンスが結成されている」

「戦争には常に万が一がつきまとっているからね。負けるつもりは無かったけど、そうなったときの準備ぐらいはしてあるさ。あたしには、絶対にやりきらなきゃいけないことがあるからね」


 彼女がやらなくてはいけないこと、それは全ての古代遺産の破壊。それが自分の生きる意味だとレージュは言う。自分も、あの白詰草の原でそれに協力を約束した。


 だが、本当にそんなことが可能なのだろうか。


 誰がどれだけ持っているかもわからない古代遺産を一つ一つ潰していくつもりなのか。そのことをヴァンはレージュに聞いてみる。


「当面はそれしかないね。でもそれだけじゃ一生かかっても終わらない」

「じゃあどうするんだ?」

「実は、以前から古代遺跡には何度か入って調べたことがあるけど、その中で使えそうな情報をいくつか見つけた。今はまだわからないけど、もしかしたら古代遺産の機能を全て停止させる方法があるかもしれない。それができれば古代遺産なんてただの十字架だ」

「古代遺跡に何度も入ったことがあるのか。危ないまねをするもんだな。入っている時に遺跡が消えたらおしまいだぞ」


 時間で消失する古代遺跡内に取り残されれば、もう二度と戻ってくることはできないと言われている。

頻繁に出入りできるものでもないが、何度も入るのはリスクが高い。


「消えるまで中にいたらね。消える前に出れば問題はないよ」

「それはそうだが、古代遺跡はいつ消えるかわからないだろう」

「にひひ、それが分かるんだなぁ」


 レージュは自慢げに片翼を羽ばたかせる。


「天使の勘なのかはわからないけど、あたしはね、古代遺跡が消えそうになるのを事前に感じ取ることができるんだ」

「……天使ってのは凄いもんだな」


 古代遺産で一攫千金を狙う盗賊たちなら喉から手が出るほど欲しい能力だろう。未知なる物を好むヴァンとしては、古代遺跡が消える恐れなく見て回れるのは少々羨ましくもある。


 彼らは馬に乗っているが速度は並足だ。先のクラーケ将軍との戦いで、相手の馬を何頭か奪うことに成功したが、全員に行き渡るほどではない。


 途中でさらに百人ほどのマルブル軍の生き残りと出会えたが、彼らは疲労の極みにあった。彼らも復讐に燃えてはいたが、戦闘できるほどの体力は残っていなかったのだ。戦場には連れて行けないと伝えると、せめて武具だけでも共に戦わせて欲しいと彼らは言い、レージュはそれを了承した。

 今では全員が白と黒の鎧に身を包み、仲間の思いを乗せて戦いへ臨もうとしている。


「レージュ、南門に行けばいいんだよな」

「そうだよ。今頃オンブルたちが開けといてくれるはずさ」

「千の増援があったそうだが大丈夫なのだろうか」


 スーメルキ団のアコニが千の兵を知らせてきた時はさすがのレージュも驚いていた。


「……増援はどうやっても起こりえない状況だった。まるで地面から生えてきたような感じだよ」


 最悪の想定として増援が現れることは考えていたが、それを織り込んでもオンブルたちスーメルキ団ならやり遂げられると信じて送り込んでいるのだ。アコニも報告を終えると、なんとかしてみせますと言い、笑って戻っていった。


「心配するな。オンブルならやってくれるさ。俺はあいつの凄さをよく知っている」

「そこはあたしも同感だ」


 レージュが眉根を寄せている。敵の増援やオンブルたちの事で頭を悩ませているのではない事をヴァンは理解できるほどになっていた。


「どうしたレージュ。調子が悪いのか?」

「うーん。なにか薄気味悪い、妙な感じだ。胸の奥がざわざわしている。クレースもなんだか調子が悪そう」

「大丈夫か?」

「うん、大丈夫大丈夫。動けないほどじゃないし、今は止まっていられない」

「無理はするなよ。辛くなったらちゃんと言え」

「にひひ。赫赫かっかくの盗賊王様は頼りになるねえ」

義賊(・・)、な」


 レージュは無理をしすぎる、とオネットから教えられたことがあった。軍師として極力自分を押さえ込んでいるのだろう。

 以前なら体調が悪いとは一言も発しなかっただろうが、これも自分を頼ってくれているからなのだろうか。


 必ず守り通してみせる。

 たとえなにがあろうと、そばにいてみせる。


 ヴァンが一人で決意を固めていると、レージュは既にいつもの不敵な笑みを浮かべて後ろの兵たちに呼びかける。


「明日にはオルテンシア(戦場)だ。みんな、気合い入れてね。半熟卵作戦、成功させるよ!」


               ☆・☆・☆


 オルテンシアの地下に広がる地下水路には無数の通路があり、城郭まちの人間以外が入ったら間違いなく迷ってしまうだろう。そんな地下水路は現在、城郭の人間の隠れ家として使われている。その中の、蝋燭しか明かりのない一室で、数人の男たちが声を潜めて何か議論をしている。


「作戦は変えねえ。外郭の門を開けることでしか俺たちの勝ちは見えない」

「だが相手にバレちまった。向こうは完全な体勢で南門を固める。それに罠だって仕掛けるだろうさ。無理矢理やれば俺たちも蒼天の軍師様も危ない」


 彼らは、城郭まちの地図や集めた情報をまとめた紙を中心に円形に座っており、無精髭の男がしきりに体を動かしたり地図をなぞったりしている。


「じゃあ北門だ」

「落ち着けマントゥル。レージュたちは南から来るんだ。南が開いてなきゃ意味がない」

「だったら北に回り込んでもらって……」

「この城郭だってそれなりの大きさがある。堀もあるから回り込むのにも時間がかかってしまう。よしんば北門を開けたとして、どうやってお嬢に作戦の変更を伝えるんだい。今この城郭まちは完全に閉鎖されている。人も物資も情報もね。地下にできた穴も潰されているか見張られていて出るのは無理だ」

「くそっ。オンブル、お前たちでなんとか出来ねえか。この城郭まちに忍び込めたんだろう」

「そうは言ってもな。あの時とは状況が変わっている。出られることは出られるかもしれねえが、かなり危険な賭けになる。それは最後の手段にしておきてえ」

「じゃあ何か代案を出せ。人の案を否定する時はそれが礼儀だ」


 マントゥルのもっともな意見にオンブルは顎に手を当てて少し考える。


「レジスタンスを総動員して南門を開けるのはどうだ? 人数は結構いるんだろう?」

「難しいな。もしも敵が全軍で防衛しているならば、その数は千五百。対してこっちは城郭中の奴らを合わせれば人数は多いが、戦闘を経験している者は極僅かだ。戦えるのは寄せ集めてもせいぜい五十人程度だろう。しかもここが占拠されてから半年間、常に監視の目があったから調練なんてできるものじゃない。それに、武器も少ない。奴らにほとんど没収された。にらみ合うことも満足にできんぞ」


 マントゥルは奥の部屋にいるもう一人の天使の存在を思い出す。


「そうだ。あのセルヴァとかいう天使に飛んでいってもらえば早いじゃねえか」

「伝書鳩よりはるかにでかいんだ。出る前に見つかって弓矢で射落とされるだろう」

「あいつがこの城郭まちに入ったときに使ったとかいう光の柱はどうだ?」


 マントゥルが一人の男に訊くが彼は首を横に振った。


「彼女が言うには『ご主人様しか使えないから無理』だそうだ」

「なら、セルヴァが出ることは無理でも、注目を集めるぐらいは出来るだろう。その隙に……」


 ファナーティがマントゥルの提案を却下する。


「駄目だ。彼女は危険な目に会わせるわけにはいかない。もしかしたらお嬢の知りたい情報を持っているかもしれないからね」

「じゃあ、どうすりゃあいいんだよ」


 敵は南門に集中している。それを倒すことは現戦力では不可能であるし、北門は手薄だが開けてもレージュたちはそれを知らない。


 策や案は出るがどれも確実性に欠ける。

 オルテンシアから抜け出してレージュに情報を伝える。文字に起こせばそれだけのことだが、それだけのことが実行できずにいるのだ。


 八方塞がりの状況の中、マントゥルはふと思い出す。


「いや待てよ。そういや地下道に新しく穴ができたという報告が前にあったな。その穴ならまだ奴らにも見つかってねえだろうし、外に出られるんじゃねえのか?」


 ファナーティが難しい顔をして答える。


「あの穴は小さい。とても人が通れるような大きさじゃないし、あれ以上穴を広げれば崩れる。子供ならもしかしたら……」


 ファナーティの言葉にオンブルが食いつく。


「ちょっと待て。今、子供と言ったな」

「言ったけど、あれは正直子供でも通れるかどうかわからないよ。それに、下水道を把握しきれていないとはいえカタストロフの兵もうろうろしている。城郭まちの子にそんな危険なことはできない」

「誰も城郭の子供なんか使う気はねえ。できる奴が俺の所にいるんだよ。とびきりチビで有能な奴が二人な」

「頼めるか、オンブル」

「ああ、やってみるさ。そのために俺らはいる」


 一筋の光明が見え始めた。だが、慌てて駆け込んできたモワノーの言葉にその光も曇り始める。


「隊長、大変だ! 南の支部がやられた!」

「なんだと?」

「しかも奴ら支部だけを正確に狙っていやがった。なにか情報を掴んでいるみたいだ」


 間諜の女に情報を聞かれたように、ここ数日でカタストロフの奴らの鼻が急に利くようになった。


 マントゥルは、まず初めに内通者がいるのではと疑ったが、支部や隠れ家の場所はともかく、突然現れたオンブルと話したあの場所はマントゥルとファナーティしか知らず、連絡網のモワノーも知らない。あの時間に正確に待ち伏せすることなど内通では不可能だ。これまでも足跡を残すようなヘマはしていない。いったいどうして急に今バレるんだ。


「残っている全ての支部に伝えろ。地上の支部を破棄して地下に潜り、南門には陽動を送れ。作戦通り南門を開けるように見せかけるんだ。そしてレージュ様が到着するまでに北門を開ける。おい、オンブル。本当に情報をレージュ様に届けられるんだろうな。失敗は許されんぞ」

「必ずできる。こういうことのために俺たちは来たんだ。ここで実力を示しておかねえとメイド服でお茶くみさせられちまう」

「何言ってんのかよくわからねえが作戦はこれで決まりだな。いよいよ敵さんも本気のようだ。おまえら、ここが踏ん張りどころだ。死んでも成功させるぞ!」

「勝利の女神の翼の下に!」


 掛け声とともに各員は動き始める。

 自分たちの場所を取り戻すために。


               ☆・☆・☆


 遠くの山の稜線に太陽がほとんど飲み込まれた。


 薄暗くなってきた雲の広がる空の上で、騒がしくなってきたオルテンシアを見下ろす二つの人影がある。

 まるで絵本の世界のように二人は雲の上に乗っており、一人は背もたれの高い椅子に座り、もう一人は雲に直接胡座(あぐら)をかいている。


「そろそろ舞台も大詰めだ。もうすぐだ。もうすぐまた彼女に会える。ああ、この時をどれほど待ちこがれただろうか」


 燕尾服の男が恍惚とした表情で、恋人を待つような声を上げる。彼の横では片翼の少女が雲を掴んで口に運んでいた。


「ニヒヒ。レージュ、レージュ、レージュ! ニヒヒヒヒ」


 少女は狂気じみた笑い声をあげ、ひたすら雲を食べていく。


「フフ、イデアーも楽しみだろう」


 燕尾服の男は、イデアーの純白の片翼を愛おしげに撫でる。


「愛するべき城郭まちが崩れ、守るべきものを失い、誇りに思っていたものが奪われるキミの表情がまた見たいんだ。あの赤い光の王都で見せてくれたあの表情がまた見たいんだ。さあ、さあ、さあ、早く来てくれレージュ。この偽りの世界で、キミだけが本物なんだ。本物の光なんだ。フフ、フフフ……」


 コシュマーブルは見る者をぞっとさせるような笑みを浮かべる。


「その前に、愛国者であるヴェヒター君をさらに手助けして上げようかな。不穏な動きをするネズミ(・・・)にだいぶ頭を悩ませているようだからね」


 コシュマーブルは燕尾服のポケットから古ぼけた十字架を一つ取り出すと、無造作に眼下へ放り捨てる。十字架は、沈みきる直前の夕日の光をキラキラと反射しながら城郭まちへと吸い込まれていった。

17/03/29 文章微修正(大筋に変更なし)

17/03/31 文章微修正(大筋に変更なし)

17/07/14 文章微修正(大筋に変更なし)

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