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第六二話 「遺児軍師」

 ――物語は再びオルテンシアへ。


 マルブル軍の残党がオルテンシア目がけて進軍しているとの報告を斥候から受けたヴェヒターは重々しいため息を吐く。


 マルブル軍が来るということは、クラーケ将軍は敗れたという事だ。今にして思えば少し焦りすぎていた気がする。あのままフクスの助けを無視して、オルテンシアで防衛の構えを取っていた方が良かったかもしれない。だが、既に事は進んでいるのだ。今は差し迫ってくる敵を現状の戦力で対処するしかあるまい。


 しかしその前にやっておかねばならない事がある。


 オルテンシアに潜むレジスタンスを叩き潰す。

 外部から攻めてくるだけなら問題はない。中に籠もって迎撃すればいいのだ。オルテンシアの城壁をもってすれば、死神といえども中まで届かない。しかし、内部で呼応する者がいれば、城壁の守りなど何の意味もなさない。いま憂うべきは、外にいる蒼天の軍師ではなく、中にいるレジスタンス共だ。


 これまでもレジスタンスとの衝突は何度もあった。しかし、首魁しゅかいであるマントゥルを捕らえることは出来ず、グリュックたち間諜も方々手を尽くしているが、掴むのはほとんどが幻だ。これも死神の入れ知恵のせいだろう。マルブルの奴らはこの数年で急に狡賢くなった。

 この限られた城郭まちの中だけの話なのに、掌握しきれない苛立ちがヴェヒターを焦られる。


「ヴェヒター、様……」


 グリュックの声がしたので感情を押し殺して振り返ったが、どうにも彼女の様子がおかしい。いつもの彼女ならきちんとひざまずいて報告してくるのだが、今は両方の膝と手を床にだらしなく付けて荒い息を吐いている。


「どうしたグリュック。報告せよ」

「はい……」


 返事はするが、報告は返ってこない。肩が上下し、呼吸を整えようとしているが、いったい何があったのだろうか。


 ……もしや。


「グリュック、古代遺産を使ったな。その疲労はそうだろう」

「……申し訳、ありません」


 古代遺産は精神を食う。精神を食われれば、体はだるくなり、少し動くだけでも必要以上の体力を消耗する。間諜として厳しい調練をこなしてきたグリュックですらこうなっているのだ。それほど、古代遺産を扱うリスクは大きいと再認識させられる。


「罰は、いくらでも、お受けいたします。ですが、まずは報告を、させていただきます」


 なんとか息を整えたグリュックの口から語られた今後のレジスタンスたちの行動はヴェヒターの予想の通りだった。死神がやってくると同時に内部呼応して城門の解放が最も効果的にオルテンシアを奪還できる方法だからだ。だが、本当にその方法を取るという確信は無く、日時や場所、合図などの詳しい情報もわからなかった。しかし、グリュックの働きによってそれも判明した。


「ご苦労だった。少し休め。古代遺産の疲労は休んで取るしかないと聞く」

「いえ、罰を受けてからです。私はヴェヒター様の言いつけにそむいて古代遺産を使いました。まずはその罰をお与えください」

「ならば今すぐ自室のベッドに横になり、一時間は部屋から出ることを禁ずる。これは罰である。しっかりと受けろ」

「はい、ありがとうございます。ヴェヒター様」


 献身的に頭を下げるグリュックを見てヴェヒターはふと彼女を拾った日のことを思い出した。


               ☆・☆・☆


 十年ほど前、まだ足を怪我していないヴェヒターが国境警備隊の将校として戦場を駆け回っていた頃、カタストロフの国境付近の城郭まちがバルバルス国という敵に襲撃された。ヴェヒター率いる部隊が城郭の敵を叩き潰したのだが、残党が付近の村の方へ逃げたとの情報が入ってくる。それを耳にしたヴェヒターは部下に急いで付いてくるように呼びかけると、赤くなってきた空の下を一人で馬を走らせて村へ先行した。


 ヴェヒターが村に着くと、戦場の恐怖で自棄ヤケになった十人の敵が村を荒らしていた。無意味に殺される自国の村人を見て、ヴェヒターは咆哮を上げて突っ込み、瞬く間に十人全員を切り捨てた。


 太陽が暮れる前に部下が到着し、死体などの処理をさせていると、ヴェヒターの元へ一人の少女がやってきた。聞けば両親を殺され、行く宛がないと言う。


「なぜ私の所へ来た」


 間に合わなかった自分を恨んでいるのだろうか。

 しかし、少女の言葉はヴェヒターの予想と真逆のものだった。


「あなたが、助けてくれたから」


 少女が言うには、自分を庇った親が殺され、自分も殺されそうになった時にヴェヒターに救ってもらったらしい。


「すまない」

「……え?」

「謝って済むことではないが、私の不注意で賊を討ち漏らし、お前の親が殺される事になった。だからといって私の命を差し出すこともできない。この命は祖国のもので、私が自由にして良い物ではないのだ」

「……おじさん」


 黄昏の夕日を背負い、輝きを失った生気のない少女の瞳に、思わず目をそらしてしまう。


 戦場で人の死にいちいち心を動かされているようでは指揮官は務まらない。ヴェヒターはそう考え、普段は感情を押し隠しているが、心の中では自分の非力さを嘆いていた。だからこそ、強くなってより多くの人を救うため、日夜戦場に先陣を切って赴き、その身を痛めつけてもいた。


「襲ってきたのはどこの国の人なの?」

「戦争中のバルバルス国だ。しかし国とは名ばかりで蛮族どもが集まっているだけだ」


 普通はバルバルス国のように膨大な数の蛮族が集まることは無い。たいていは、増えすぎた荒くれ者たちを抑えきれず、自壊してしまうからだ。だが、その頭領が古代遺産を持っているらしく、その力に乗っかろうとする輩が後を絶たず、貧民やら奴隷やらが集まっているという。


「私は、そいつらを倒す力が欲しい」


 馬鹿なことを、とヴェヒターは考え、諭して断ろうとしたが、彼女のくらい瞳に微かな光が灯ったのを見つける。それは復讐の光であった。決して人から賞賛されるべき光ではないが、それでも彼女の生きる希望となるだろう。それに、彼女がその光を宿した原因は自分にもある。その負い目からか、ヴェヒターは首を縦に振った。


「私は、優しくないぞ」

「がんばる」

「いいだろう。私はヴェヒターという。お前は?」

「グリュック」


 そしてグリュックはヴェヒターに育てられ、少女の身でありながら過酷な調練に死に物狂いで挑み続け、優れた諜報員として成長する。そして、体も心も汚すことを厭わないグリュックの活躍は、バルバルス国殲滅に大きく貢献した。


               ☆・☆・☆


 情報がバレたレジスタンス共は何かしら手を変えたいだろう。だが、まともに武器も兵もいない奴らの勝ち筋は外部からの攻撃に呼応して内部から城門を開けるしかない。外部だけ、または内部だけなら現状の兵力でも対応しきれる。

 とにかく、外郭の門だけは、絶対に開けさせてはならない。これ以上は、一兵たりとも城郭まちへの侵入を許してはならない。奴らも必死だろうが、こちらも必死なのだ。


 ヴェヒターはグリュックを下がらせ、伝令役の部下を一人呼び出してこう伝えた。


「これよりオルテンシアを閉鎖する。何人たりとも出ることも入ることも許可しない。逆らう者は切り捨てろ。水路なども全て見張れ。南に出す斥候の数を倍にしろ。死神を討伐するまではその状態を維持する」


 外界を完全に遮断してもオルテンシアには二ヶ月分の蓄えはある。本来ならば、マルブルの厳しい冬を越すためにもっと蓄えがあるのだが、カタストロフが占拠してからの半年間は異常な不作が続き、備蓄の量が減っているのだ。


 しかしそれでも二ヶ月あれば、内に籠もって戦い、本国からの援軍を待つことも出来る。対する死神にはそんな時間の猶予はない。支援を満足に受けられない奴らは早期決着を望んでいるはずだ。まごまごと城郭まちの外で構えている余裕などないだろう。

 城壁上には大砲やバリスタ(注:城壁の上に設置してある巨大なボウガン)もある。いくら死神の軍勢でもこの状況を突破することはできまい。


 だが、油断してはいけない。慢心してはいけない。一見すれば可愛らしいあの天使も、これまでカタストロフ軍数万人を葬り去ってきた死神なのだ。自分の足も、死神が率いる傭兵団にやられた。


 だが、その死神もここで倒す。

 赤い光でも倒しきれなかった死神の命も、ここで終わりにしてやる。


 そして死神を倒した後はあの宰相をなんとかしなくてはいけない。難題が山積みで頭を抱えたくなるが、そんな暇はなく、事態は刻々と進んでいく。


 まずは、全身全霊を以て死神を討つことに集中せねば。


「知略を巡らせられるのは貴様だけではないぞ、死神」

17/03/29 文章微修正(大筋に変更なし)

17/07/14 文章微修正(大筋に変更なし)

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