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第六〇話 「冷徹軍師」

挿絵(By みてみん)

 二階まで埋まりそうな雪と枯れ木に閉ざされていた、マルブルとカタストロフの国境近くにある大森林は、今では青空の下で一面の緑に彩られて夏の様相を呈していた。


 そんな森の中の白い小屋で、ライン少年は一通の手紙が届いていることに気付く。

 いつ誰が届けたのかはもう気にしないことにした。この小屋には手紙だけでなく、食料や水も毎日定期的に届いているのだ。届いているというよりはいつの間にかそこにあると言った方が正しいかもしれない。この半年間、届けてくれた人を一度も見たことがないのだから。


 手紙はラインに宛ててある。この小屋に来る前は文字の読み書きができなかったラインだが、冬の間にローワから丁寧に教えて貰ったので、今ではなんとか読めるようになっていた。裏には宰相コシュマーブルの名前とカタストロフの国旗である鷲と十字架の剣が封蝋に押されている。


 中の手紙を読み間違えないように注意しながら読むと、その驚愕の内容にラインは目を見張った。半年前の赤い光の日に死んだ死神が生きていると書かれているのだ。

 何度確認しても読み間違えではない。呼吸が荒くなり、心臓の鼓動が早くなるのを感じつつ読み進めると、一ヶ月ほど前に死神が再び現れてマルブル国境にあるデビュ砦を奪還した後、現在はオルテンシアに進軍中だと書いてあった。しかも手紙の最後に、この内容をローワに伝えるようにと記されている。


 冷や汗をかいた手でラインは手紙を強く握りしめた。このことを報告すればローワは喜ぶだろう。だが……。



「やはり、生きていてくれたか」


 ローワは報告を聞いて真っ白なマフラーを撫でながらゆっくりと息を吐く。


 ここへ来て半年が経ったが、その間、ローワは徐々に衰えてきていた。なぜか肉類を食べなくなり、足の腱を切られているため運動はおろか歩くことすらできず、一日中ベッドの上で過ごすという寝たきりの状態が続いていたからだ。背負って部屋を歩いたり、マッサージをしたりもしたのだが根本的な解決にはならない。せめて外に出て日の光を浴びたりすれば多少は違うのだろうが、宰相からの言いつけによって外出は一切禁止されている。


 そんなローワにレージュ生存の報告はさぞ喜ばしいことだろう。暗いこともあった表情がとても輝いて生き生きとしている。だが、そんなローワとは裏腹にラインの表情は曇ったままだ。


 あの死神が生きている。自他ともに大陸最強と認める軍事大国のカタストロフが苦戦した唯一の相手。それは百万の軍勢を有する大国などではなく、ただ一人の少女であった。


 カタストロフは現在、大陸統一のために全土を相手に奮闘している。今、カタストロフに敵対する死神がよみがえったのなら、今度はマルブルだけでなく他国の全ての力を用いて迎え撃ってくるだろう。そうなったとき、祖国は耐えきれるのだろうか。奴は数万のカタストロフ兵を策にハメて殺し、人の命なんて何とも思っていない冷酷な死神だ。もし、もしも万が一、いや、あり得ないことだが、死神に負けるようなことがあれば……。

 夏の暑さによる物ではない汗がラインの背筋を冷たく流れる。


「ラインよ。お前はレージュのことを冷酷な死神だと思っているようだが、そんなことはないぞ」


 考えを見透かされたようにローワに優しげな声をかけられる。


「確かに彼女は冷徹な判断を下すことができる。一部の兵から酷薄すぎると言われたことも一度や二度ではない。だが、そこに彼女の優しさがある」


 よく分からないと言った表情のラインに、ローワはマフラーを撫でながら微笑みかける。


「あれは一昨年の初冬だったな。マルブル北西にあるグラソン砦での攻防の事だ」


               ☆・☆・☆


 味方の兵が惨殺される様を見て、グラソン砦の防衛隊長であるジャンティーは我慢ができなかった。外に出て戦うなという命令を無視して単騎で砦を飛び出していく。彼の後ろからは幾人もの兵たちが同じように飛び出してきた。


「お前たちは戻れ、これは私の戦いだ!」

「ジャンティー隊長!」

「隊長だけ行かせるわけにはいきません!」


 その時、彼らの前に曇天の空から降る雪を追い越して隕石のように何かが地上に降り立ち、積もった雪が巻き上がる。竿立つ馬を落ち着かせ、落下物の正体を見極めようと目を凝らすと、長くて真っ白なマフラーをなびかせた蒼天の軍師が雪煙の中から現れた。首もとにぐるぐるに巻かれたマフラーの上からは、怒りに歪んだ表情の蒼天の軍師が、ジャンティーをにらみつけて両手を広げて進行を阻止する。


「何を勝手に出撃しているんだ! そんな指示はだしていないぞ馬鹿!」

「どけ、軍師殿」

「誰がどくか。戻れ!」

「兵が、仲間が無惨に殺されていくのだぞ。それを指をくわえて黙って見ていろというのか!」

「そうだよ!」


 全速力で飛んできたのだろう。真っ白なマフラーを下げて口元をさらして荒い呼吸を整えようとし、噛みつくような剣幕でレージュは両眼の蒼天の瞳でジャンティーをにらみ続けている。


「今ここで出て行って何になる。あんたはこの砦の兵全員をああいう目に遭わせたいのか。ここが落ちたらこの砦だけじゃない。マルブル全体が危機に陥るんだぞ!」


 マルブルを危険にさらすと言われ、ジャンティーは少し落ち着きを取り戻したようだ。後続の兵士たちもジャンティーに追いついてきた。


「このままおめおめと引き下がれと言うのか」

「今は耐えるときなんだ。ここで籠城していれば相手はいずれ撤退せざるを得ない。そうなれば勝ちなんだ。奴らはこの冬を絶対に越せない。それはあんたもわかっているでしょ。挑発に乗らないで」


 様々な言葉を並べて説得するレージュだが、ジャンティーは表情を緩めることはなかった。


「それで、捕らえられてもてあそばれて死んだ兵たちは報われるのか」

「……」


 レージュの真っ白なマフラーが風で揺れている。


「私には、我慢できない。たとえ奴らの策にはまろうとも、私の信念が奴らを許さない」


 ジャンティーが再び馬を進めようとすると、後続の兵たちも一斉に馬を走らせようとする。レージュは頭の上の十字架(クレース)を一つジャンティーに素早く投げて鎧にくっつけると、クレースを双剣に変化させてリオンの構えをとった。


退しりぞけ!」


 降る雪を吹き飛ばすほどの獅子の咆哮で彼らの馬は前脚を上げて止まる。彼らの目の前には、説得する蒼天の軍師の姿はすでになく、行く手を立ちふさぐ獅子将軍リオンの姿があった。これでは進むことができない。


 ジャンティーも相当の剣豪だが、リオンには逆立ちしても勝てない。騎乗というハンデがあるが、それぐらいでリオンとの力量差は埋めることはできないだろう。


「二度は言わんぞ、ジャンティー。これ以上進むのなら軍令違反としてお前を殺す。こんな不名誉な死はお前の望むものではないだろう。お前の死に場所は必ず用意してやると約束しただろうが。今は兵とともに砦に戻って耐え凌げ!」


 獅子(リオン)の口調で吠えるレージュを前にしてもジャンティーだけは怯むことなく馬を進めようとする。


「天使レージュよ。私は地獄に堕ちて構わない。だが、死んだ兵たちは天国へ連れて行ってくれ。それが、私の最後の頼みだ」

「この、わからずやが!」


 ジャンティーはゆっくりと馬を進める。雪の降る曇天の空に、雪を踏む音が静かに昇っていく。


 もしも彼がレージュの願いを無視して突き進むと言うなら、彼女の中にある最善の行動(・・・・・)が実行されるだろう。その冷酷無比な判断ができることが、彼女が優れた軍師であることの証明であるのだから。


 周りの兵士たちが困惑して見守る中、二人の距離がどんどん縮まり、ジャンティーが馬をあと五歩進めれば、レージュの射程に入るところまで来た。


 ジャンティーは思った。これ以上進めば絶対に見切れない神速の一撃が飛んでくるだろう。そしてその攻撃は確実に自分を絶命たらしめる。防ぐ手だては、一切無い。たが、戻る足も無い。

 ジャンティーは歩調を緩めることなく毅然と進んでいく。


 あと四歩。レージュは双剣を強く握って構え直す。


 あと三歩。レージュは真っ直ぐこちらを見据えている。


 あと二歩。レージュの両の瞳に暗雲が立ちこめる。


 あと一歩。レージュの全身に必殺の力がこもる。


 射程に入る。レージュから発せられた、切り裂かれるほどの殺気がジャンティーの全身を強く打った。

16/12/29 文章微修正(大筋に変更なし)

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