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第五九話 「酷薄軍師」

「それにしても大きな城郭まちだねえ、スーリ兄ちゃん」


 横を歩くスーリは答えずに城郭を眺めている。見慣れたはずの石造りの町並みはどこか薄汚れているように彼には見えた。


「でも外を歩く人が少ないね。きっと前は賑やかな城郭だったんだろうね」


 一応の生活はできているようだが、やはり活気は消え失せている。



 オルテンシアに向かう途中に畑があったが作物の実りは良くないようだった。マルブルでは、北の方は寒すぎて作物がまともに作れないので、オルテンシア以南の平地で作るか、他国から買うしかない。マルブルの大理石や工芸品は高く売れるので財力には困ることはないが、それは平時の話だ。戦争に敗北し、自治権を奪われた今、国の収益は全てカタストロフに吸い上げられている。作物の収穫が悪ければ、待っているのは飢えだ。


 オルテンシアの行く先に苛立つスーリの前にシーカが飛び出してきて顔をのぞき込んでくる。褐色肌のシーカの大きな目を見ていると心の奥まで覗かれていそうな気分になった。


「ねー、聞いてるー?」

「……なんでお前と一緒に歩かなきゃいけないんだ。一人の方がやりやすい」

「だめだよ。僕はスーリ兄ちゃんを鍛えて天使のお姉ちゃんに羽をもらう約束なんだから。勝手に行動しちゃダメ」

「どいつもこいつもあいつを持ち上げるな。あんな鳥の羽の何がいいんだか」

「ええー、兄ちゃんは見る目がないね。あんなに綺麗なのに」


 大げさに声を上げるシーカの口をスーリは急いでふさぐ。今は潜入中なのだ。こんなことで目をつけられてはたまらない。


「大丈夫だよ。こそこそしてた方が怪しまれるって」


 スーリの拘束から易々と逃れてくるくると踊りながらシーカは問う。


「なんで兄ちゃんはそんなに天使のお姉ちゃんのことを嫌っているのさ。マルブルの人にとっては勝利の女神なんでしょ?」


 スーリは目をそらして拳を強く握る。


「あんな奴、勝利の女神でもなんでもない。勝つためなら味方を見殺しにしても良いのか」

「……どういうこと?」

「お前に話す義理はない」


 不機嫌そうに言い捨て、スーリはシーカを突き飛ばすようにして歩き出す。



 そうだ。あいつは、あの時、あの雪の降る砦で――。


               ☆・☆・☆


 ――今より一年半ほど前。アーンゲル大陸暦945年11月のことだ。

 多大な犠牲の元に、奪われた国境を取り戻したカタストロフは、再びマルブルに全力の攻勢をかけるが、防衛を得意とする彼の国の国境付近の防御は、二年ちかくも戦った後の小国とは思えないほど堅く、死神(レージュ)の防衛線を突破できずにいた。


 山あいにある一本道をふさぐように建つ砦がある。砦の名はグラソン砦。砦の左右は切り立った崖になっており、とても上ることはできない。マルブルとカタストロフの北側を隔てる山脈を越えるにはここしか道がなく、両国にとって要の砦である。そのため、この砦を陥落させればカタストロフの勝利は一気に近づく。


 カタストロフ軍は、本格的な冬が来る前に大挙して重要拠点であるグラソン砦に侵攻していたが、一向に陥落させることができずにいた。それもそのはずだ。十一月とはいえ、北国の雪山は既に真冬、カタストロフ軍たちの想像を遙かに越えた厳しさだったからである。たくましい馬も屈強な人間も寒さで次々に死んでいく。しかし冬国に住むマルブル人はもちろん寒さに対して強く、馬も特別な品種で足が短く毛が長いので、平野にはやや不向きだが、寒さにめっぽう強い。


 人も馬も失い、大がかりな攻城兵器は全く運用できず、常に歯の奥が震えており、もはや戦闘どころではないが、それでも彼らカタストロフに退くという言葉は無かった。このグラソン砦を落とせと命令されたからには、必ず落とさなければならない。たとえ、どれほどの犠牲を払おうともだ。


 そして、疲弊して時間の猶予もない彼らはある残忍な方法を取る。余所で捕らえたマルブル軍の兵士たちを砦から見える位置で惨殺し始めたのだ。そして首を切り落とし、砦に向けて弩で発射した。



 味方の兵たちが為す術もなくなぶり殺される様を見て、当時の砦の指揮官であるジャンティーは我慢できなかった。人一倍部下の信頼が厚い彼は、同時に部下への接し方も我が子のように優しく厳しいものだった。

 愛する子を無惨に殺されて怒らない親がいるはずがない。絶対に野戦を行うなとの命令を無視してジャンティーは単身で出撃し、カタストロフの陣営に馬を走らせた。あまりにも無謀な突撃である。同じく我慢できなかった多数の兵たちも馬に乗り、馬が足りなくなるとかちでジャンティーの後を追った。


 当時グラソン砦に配置されていたスーリも仲間を惨殺された怒りに震えていたが、ともに出撃することができなかった。最初に飛び出した者たち以外は、副隊長に強く止められていたからだ。


 そこへ、曇天の空から降る雪を追い越して天使が舞い降りてくる。天使は先頭のジャンティーの前に立って何か言葉を交わしているようだ。城壁上にいるスーリたちのところからではなんと言っているのかわからない。少し話していたかと思うと、天使は突然十字架のサークレットを双剣へと変化させる。まさか、命令を無視したジャンティーを処罰するつもりなのだろうか。


 居ても立ってもいられずに現場へ向かおうとするスーリの肩を副隊長が強く掴む。


「行くな」

「しかし副隊長!」

「行ってはいかん」


 肩を掴む副隊長の手に痛いほどの力が込められる。嫌な予感がしてジャンティー隊長の方を向き直るが、すでに彼は雪の向こう側に消えており、天使の姿もなく、出撃していった兵は砦に戻ってきている。

 何が起こったのかと考えている間に蒼天の軍師がこちらへ飛んできた。スーリたちの前に降り立ち、顔の下半分を覆う真っ白なマフラーの上から、ぞっとするような冷たい目を向けてくる。


「副隊長だよね。戻ってくる兵を収容したら急いで門を閉めて」

「ふざけんな! 隊長がまだ外にいるんだぞ!」


 突然割り込んできたスーリにレージュは不快感を露わにした目を向ける。


「……あんた誰?」


 副隊長が、最近配属された新兵のスーリだと伝える。


「ふーん。じゃあ新兵君にもわかりやすく言ってあげようか。彼はもうここの隊長じゃない。部外者(・・・)を収容するほどの余裕はないんだ」

「なんだと?」


 どす黒くなった天使の瞳が副隊長をにらみつける。


「門を閉めろ。これは軍師としての命令だ」

「……はっ」


 一切反論せずに要求に答えようとする副隊長にスーリは全身の毛が逆立つのを感じた。だが、副隊長が逆らえないのは、この天使に絶対の権限があるからだ。でも、自分はそんなのは知った事じゃない。味方を見捨てて門を閉めるなんて絶対に許さない。


「おい、お前!」

「スーリ、やめろ」


 怒りに我を忘れたスーリが副隊長の声も聞かずにレージュに詰め寄って胸ぐらを掴む。スーリの燃える灰色の瞳を、レージュは夜でもないのに漆黒に変わっている瞳で見つめ返す。

 マフラーの隙間から白い息が漏れる。


「いや、いい。ケツに殻の付いたひよっこ新兵だけど、言いたいことがあるなら言うべきだ。とりあえず門だけは閉めておいて」

「ふざけたことをぬかすな! ジャンティー隊長がまだ向こうで戦っているんだぞ!」

「多勢に無勢だ。彼は命令を無視して馬鹿みたいに突っ込んで死んだ。それに、あんたみたいなガキに言ってもわからないだろうけど、勇敢と蛮勇は違う。味方を不利に追い込む存在は紛れもなく敵だ。あんたは敵をこの砦に入れろっていうの? もっとも、死んでいるから帰ってこれないだろうけどね」

「――貴様ッ!」


 レージュの物言いに我慢できず、スーリは強く握った拳を彼女の柔らかな頬に打ち込む。真っ白なマフラーが軌跡を描いてレージュは倒れ、雪をかぶった城壁上をクレースが転がる。雪上には小さな赤い点々ができた。


「天使だかなんだか知らないが、味方を見殺しにするのがお前のやり方なのか」

「……」


 レージュは、殴られた頬を撫でながらマフラーで口元を覆ってゆっくりと起きあがり、駆け寄ろうとする副隊長を冷たい目で制する。


「おい、なんとか言ったらどうなんだ。蒼天の軍師様よ」

「クソガキ」


 それだけ言い放って、レージュはクレースを拾おうと手を伸ばす。自分がレージュの眼中にないことに頭に来たスーリはクレースを踏みつける。するとレージュの瞳が瞬時に業火で燃え上がった。


「クレースに触るな!」


 その叫びは、耳ではなく魂に響いた。それを聞いたスーリは一瞬すくみ上がり、無意識にクレースから足をどける。副隊長もまた、体を強ばらせていた。

 クレースを拾い上げ、手で軽く払うと小さな頭に乗せ直す。すでに瞳の色は赤から黒に変わっている。


「軍師に逆らった罰として、こいつには一ヶ月の糞尿処理係を命じる。隊長殿(・・・)、部下の教育は徹底させておけ」

「……ははっ」

「スーリ、だっけ。その顔と名前、覚えておくよ」


 その後、開かれたグラソン砦の門に怒濤の勢いで向かってきたカタストロフ兵たちだったが、眼前まで来て門は閉められ侵入することはできなかった。そしてカタストロフ軍は、砦に籠もったままのマルブル軍をついに陥落させることができず、被害甚大で退却していった。


               ☆・☆・☆


 苦々しいことを思い出し、スーリは足元の石ころを蹴飛ばす。


「ねー、どうしちゃったのさ。さっきから黙りこくっちゃって」


 大地を踏みしめるように歩く彼の後ろからシーカの軽い声が追ってくる。


「うるさい。暗殺なんてしている卑怯な奴が俺に話しかけるな」


 シーカはきょとんとした。


「暗殺が卑怯?」

「そうだ。そんなのは正々堂々と戦えない臆病者のすることだ」

「騎士さんも待ち伏せや奇襲はするじゃん。偽の情報を流して騙し打ちをしたりもする。あれは卑怯じゃないの?」

「それは戦法だ。卑怯じゃない」

「それってずるくない? 騎士なら何でもしてよくて僕たちみたいなのは何をしても駄目って」

「当たり前だ。騎士はみな誇りと信念を持って戦っている。お前たち外道と一緒にするな」

「その言い方、傷つくなぁ。誇りがなんだってのさ。そんなので生きていける騎士さんたちは楽でいいね。なりたいとも思わないけど」


 シーカと話しているとまるでレージュと話しているみたいでスーリは怒りを覚えた。レージュ(あいつ)も年下のくせに人を小馬鹿にしたようなしゃべり方をする。


「僕は、暗殺の方がよっぽど効率的で人道的だと思うけどな。暗殺なら一人が死ぬだけだけど、野戦とか攻城戦でやり合うとお互いに人がいっぱい死ぬ。人が多く死ぬ方が騎士の信念なの?」


 スーリはもう何も答えなかった。

16/12/29 文章微修正(大筋に変更なし)

17/03/29 文章微修正(大筋に変更なし)

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17/07/13 文章微修正(大筋に変更なし)

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