第五八話 「漏洩軍師」
宰相コシュマーブルの指示した地点にグリュックが隠れて待っていると、下水道の木蓋を外す音が聞こえた。地下の道を使うのは普通の人間ではない。耳を澄ませていると、その後に誰かが這い出てくる音がする。一、二、三。三人だ。臭いと文句も言っている。声からして男だろう。
まさかと思い、こっそりと覗いて三人の顔を確認するとグリュックは目を見開いてすぐに隠れる。なんと、あれほど探しても見つからなかったマントゥルとファナーティが並んでそこにいるではないか。もう一人の金髪の男は知らないが、ともかくレジスタンスの首魁であるマントゥルとその右腕のファナーティが一緒にいるということはただ者ではないはずだ。
宰相コシュマーブルにこの場所で待機するように指示されたが、正直な所、本当に何かあるとは思っていなかった。
ヴェヒターの懐刀として抜擢されている彼女は、戦闘力よりもその諜報力を買われている。その自分が、未だにこの城郭のレジスタンスの首魁を捕まえられていないことを彼女は恥じていた。だが、ようやく目の前に汚名返上のチャンスが舞い降りてきたのだ。必ずものにしてみせる。
この辺りは、以前は怪しげな薬や道具を扱う裏の通りだった。しかしカタストロフが占拠してからはそのような輩も払拭され、今は空き家が多く並び、貧困層などが勝手に居住している。以前にここも調査したことがあるのだが、レジスタンスの影はなかった。ともあれ、ここは慎重に行動せねばなるまい。グリュックは息を潜めて彼らの会話を盗み聞く。
☆・☆・☆
三人の男の会話を聞いていたグリュックは自身の心臓の高鳴りを抑えるのに少し苦労した。
死神レージュがやってくるだと。さらにレジスタンスたちは内部呼応して南門を開かせ、このオルテンシアを取り戻すという。この男たちの話を、グリュックは一言一句正確に頭の中に刻み込んだ。
これまで散々探しても見つからなかったのに、こうもあっさりと見つかり、オルテンシア奪還の作戦まで知ることが出来た。宰相の助言通りに動いたら、拍子抜けするほど物事がうまく進んでいく。だが、グリュックは一片の油断もしない。静かに動き出し、ヴェヒターへ報告するために立ち上がる。
瞬間、背後から振り下ろされる剣に気づいたグリュックは、前方に飛んで転がるとすぐに起きあがって自分を攻撃してきた男を視界に捉える。
「こんなところでなにをしているのかな。異常なほど身のこなしの軽い綺麗なお嬢さん」
ファナーティはヘラヘラと軽薄そうに笑って剣を構えている。だが、目元は一切笑っていない。それにしても自分に気づかれずにここまで近づけるとは。大陸最強の傭兵団である『白き翼』の団員という看板は伊達ではないようだ。
「ねえ、キミ、カタストロフの人間でしょ。こんなところでなにをしていたのかな?」
「……」
ようやく尻尾を掴んだと思ったら、逆に追いつめられてしまった。いつもなら町娘のふりでもして逃げるところだが、とっさに剣を避ける動きを見せてしまった以上はそんなことはできない。すぐさまこの場から退散したいところだが、この男はそれを許さないだろう。
「今ね、お嬢が翼と目を失ったって聞いたんだ。カタストロフの誰かにね。たぶんキミじゃないと思うけど、ちょっとはけ口になってもらうよ」
笑っていない目のファナーティは剣を握ったままゆっくりと歩いてくる。
白き翼はカタストロフの先鋭部隊でも敬遠するほどの実力を持っていた。例え一人だけであろうと、油断をして良い相手ではない。
だが突破する。決断したグリュックの動きは速かった。
彼女は豊満な胸の間に隠している薄いナイフを取り出して投げつける。ファナーティもそれは予想していたらしく、持っている剣で弾いていなす。短剣を投げた直後にグリュックは逃げ出した。彼女にとってこの戦いは無意味だ。例え白き翼の団員相手だろうと、戦って負けるなど考えていないが、今すべきことは情報を持ち帰ること、ただそれだけだ。
素早く身を翻した彼女は、家と家の壁の間を飛び上がっていき、屋根に登って走り去っていく。ファナーティも彼女と同じように壁を蹴って登り、雪国特有の急な傾斜になっている屋根の上を走って彼女を追いかける。
家を三軒飛び越して後ろを振り返るとファナーティの姿はなかった。
あきらめたのか? いや、そんなことはない。この情報が持ち去られることは奴らにとって致命的だろう。助けを呼びに行ったか、それとも……。
走りながら思案しているグリュックの前方からファナーティが姿を現す。
「逃がさないよ」
どこを通ってきたのか、行く手にはファナーティが立ちはだかっている。このまま逃げることは困難だろう。相手をしている時間はないが、逃げ続けた方が時間を浪費してしまうと考えた彼女は、隠し持っている古代遺産を思い出す。
この状況を見越して宰相殿は私にも古代遺産を? 先ほどの彼らの密会の場所を特定した事といい、先見の明に優れている御方と聞いていたが、これほどとは。
古代遺産は無闇に使うなとヴェヒターからは言われていたが、この情報を届けないまま捕まるわけにはいかない。ここが使い所だと彼女は考える。
グリュックが再び自身の豊満な胸に手を突っ込み、そこから十字架を取り出す。それは、白き翼の団員であるファナーティには見慣れた物であった。
「ちょっと子猫ちゃん。そりゃあ流石に冗談キツくない?」
その十字架は古の超科学文明の遺産、古代遺産だ。ファナーティの軽薄な笑みもひきつる。
「冗談かどうか試してみるか」
グリュックが十字架をファナーティに向けてかざすと、ファナーティは咄嗟に横に飛び退く。すると、先ほどまでファナーティが立っていた屋根の部分が弾け飛び、破片が空中に舞って地面に落ちていく。
本物だ。本物の古代遺産だ。
冷や汗がファナーティの背を伝う。
「あぶないあぶない。それはどういった古代遺産なんだい?」
「それが分かるのは貴様が死んだときだ」
グリュックが十字架を振るうとファナーティはしゃがんで避ける。なにかを飛ばしているようには見えないが、ともかく十字架が通った線上にいるのはまずい気がしたのだ。
ファナーティの予想通り、十字架の振られた線上にある煙突が弾けたように壊れる。やはり何かを飛ばしているのだろうか。なんにせよ、深く考えている暇はない。とりあえず今は彼女を捕獲しなくてはいけない。場合によっては殺害も致し方がない。
北国特有の急斜面の屋根を蹴って進み、回り込むようにしてグリュックの後ろに素早く移動する。あまりにも速いファナーティの動きにグリュックはついていけていないようだ。グリュックが視界に捕らえるよりも速くファナーティは動き続け、ついに完全に背後を取る。ファナーティは飛びかかってグリュックを押さえつけようとするが、突然、彼の体に異変が起こる。
「ぐあああ!!」
突如襲ってきた謎の激痛にファナーティはたまらず叫び声を上げてのたうち回る。かろうじて自分が屋根から落ちることは防げたが、手から離れた剣が屋根を滑って地面の石畳に落ちる音がした。だがそんなことは彼の耳に届かなかった。腕を無理矢理引きちぎられたような痛みでファナーティの頭の中はいっぱいだ。当然、逃げるグリュックを追うなどと考えられない。
「ファナーティ、どうした!」
マントゥルとオンブルが民家から飛び出してくる。彼女との戦闘の音が聞こえたのだろう。
ファナーティが屋根の上にいると気づいたオンブルは壁を蹴って屋根まで軽やかに登ってきた。
「何があったい」
オンブルは剥げた屋根や壊れた煙突を見てファナーティに状況の説明を求めるが、ファナーティは腕を押さえてただ必死に耐えているだけだ。
「腕をやられたのか。見せてみろ」
ファナーティが押さえている腕を引き剥がし、服を短剣で破いて確認するが、どこにも異常は見られなかった。外傷はなく、骨も折れていない。
「おいおい、なんともないぞ。何を痛がっているんだい」
「な、なんともないだって……?」
ファナーティが恐る恐る自分の腕を確認すると本当に何ともないように見える。言われてみるともう痛みも引いている。さっきまでの耐え難い激痛が嘘のように消えてしまった。
「彼女は?」
慌てたようにファナーティは周囲を見渡すが、もうグリュックの姿はどこにもなかった。ファナーティが呼吸を整えると、家の中の階段を上ってきたマントゥルが窓から顔を出す。
「ファナーティ、大丈夫か」
「ごめん。しくじった。間者の女の子に情報を持って行かれた」
「なんだと? 今の話を聞かれたというのか?」
「ああ」
マントゥルの眉が寄る。
「なぜ一人で対処しようとした」
「……お嬢の事を聞き出そうと思ったんだ」
マントゥルは頭を押さえて呆れたようにかぶりを振る。
「俺が音に聞いた白き翼にはそんな間抜けはいなかったはずだがな」
ファナーティは黙っている。だが、次の言葉は聞き流すことはできなかった。
「そんな程度で白き翼を名乗るとは、レージュ様もさぞガッカリするだろうな」
「なんだって? あんたに俺たちとお嬢の何がわかるってのさ」
珍しく怒気を露わにしてファナーティはにらみつけてくるがマントゥルは平然とそれを受け止める。
「おい、仲間割れしている場合じゃねえだろ」
オンブルが二人を止めようと近づくと、切り裂かれたファナーティの服の切れ端に何か光る筋のような物を見つける。
「何だ? 服に何か……」
「触らない方が良い。たぶんそれだ」
それに気づいたファナーティは、さっきの痛みの原因がその細い光の筋にあると理解する。
「それってなんだい?」
「さっき俺が痛がっていた原因の古代遺産だ」
ファナーティがオンブルから剣を奪って剣先で服をひっくり返すと、極細の針のような物が刺さっているのを確認する。髪の毛よりも細いのでさっきは視認できなかったが、こうして落ち着いて見るとよくわかる。
「ファナーティ、今、古代遺産と言ったか?」
「そうだよ、マントゥル。カタストロフの間諜の女の子が古代遺産を持っていたのさ。まさかそんな物を持っていると思わなかったよ」
古代遺産と聞いたオンブルは口笛を吹く。
「へえ。古代遺産なんかとやり合ってよく無事だったな」
「白き翼はお嬢っていう古代遺産持ちがいたからね。普通の人より知識はあるさ」
「だが、情報は持って行かれた。これは、まずいことになったぞ」
こちらの手の内がばれた。このままでは作戦の遂行が不可能になる。
「ともかく、急いで対策を練り直すぞ。時間がねえ。お前に説教を垂れるのは後回しだ」
三人は地下の隠れ家へと急ぐ。
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