第五七話 「信者軍師」
その翌日、路地裏で湿気たパルファンをくわえながら羽根付き帽子をいじるマントゥルはつぶやくようにファナーティに話しかける。
「聞いたか?」
「ああ、聞いた。見た。カタストロフはまだまだ余力があるらしいね」
「まさかここに来て千の兵が入ってくるとはな。くそっ」
「ホント、どこから用意してきたんだが」
感心したような声でファナーティは続ける。
「地上は危ないかもね。そろそろ本格的に地下に潜った方が良い」
「そうだな。まったく、厄介な事になったもんだ」
「だけど……」
「ああ、外では何か大きな動きが出てきたようだな」
二人は隠れ家に向かって歩き出す。
「あのメイド天使はレージュ様が来るまでと言ったが、具体的な日時や戦力なんかは何も知らないようだな」
「まあそこは安心して大丈夫でしょ。なんたってお嬢なんだ。セルヴァちゃんに関係なく、ここに来る前には必ず連絡をよこすだろうさ」
白き翼の団員であるファナーティはレージュの行動をよく理解しているようだ。気が揉めるマントゥルと違って余裕そうな表情をしている。
「先日城に運び込まれたあのカタストロフ兵、確かデビュ砦から来たという話だったよな」
「そうらしいね」
「あれが合図なのか?」
「いや、お嬢ならあんなことしないと思うけどね。制圧した拠点の兵はちゃんと安全に返すはずだ。お嬢ってば慈愛の女神のように優しいからね」
「じゃあその後にこそこそと出て行った二千の出兵か? それともこの千の増援か?」
「それらは大いに関係ありそうだ。でも、お嬢は一方通行な情報は好きじゃないから、もっとわかりやすく確実な方法で合図を出すはずだよ。たとえば……」
ファナーティがたとえを出す前に路地の向こうから、レジスタンスの連絡係であるモワノーが慌てて走ってくる。
「隊長、隊長! ちょっとこれ見てくれ!」
「噂をすればってやつかね」
「外では隊長と呼ぶなっつってんだろモワノー、今度は何だ。天使の次は悪魔でも連れてきたのか。もうおとぎ話は腹いっぱいだ」
モワノーがつれてきた男は、悪魔のように真っ黒い装束を全身にまとい、麦束を短く刈ったような頭でニヒルな笑みを湛えている。
「あんたがレジスタンスのリーダーのマントゥルかい?」
「千客万来だな、おい。で、誰だ、お前は。オルテンシアの人間じゃねえな」
「俺はオンブルってもんだ。レージュの使いで、あんたらを助けに来た」
オンブルと名乗る長身の男は懐から純白の羽を取り出して見せてくる。マントゥルの帽子に飾ってある羽と同じ物だった。
「ビンゴッ」
「隊長!」
「いや、待て」
マントゥルは立ち上がってオンブルに近づき、彼が持っている羽を思いっきり握りつぶす。しかし、手を開くと羽は綺麗な形のままで、全く傷ついていなかった。
「本物みたいだねえ、マントゥル。ただの鳥の羽ならぐしゃぐしゃになってる」
「信用してもらえたかい?」
「ああ。レージュ様の羽は小悪党には到底手に入れられない物だ。歓迎しよう。オンブルと言ったな、俺がマントゥルだ。レージュ様は無事なのか」
「あの嬢ちゃんはちゃんと生きている。噂で聞いているかもしれないが、デビュ砦を奪還したのはレージュだ。今もここに向かってきている」
「では王はご無事なのか?」
「お嬢はいつ来るんだい?」
「お前はどうしてレージュ様と知り合った?」
三人が矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。
「落ちつけって。全部答えてやるからさ、飯でも食わせてくれよ。こちとら急いですっ飛んできて腹ぺこなんだ」
「そうだな。モワノー、お前は各支部の点検をしてくれ。もうすぐ動くことになりそうだ」
そしてマントゥルとファナーティとオンブルは、城郭の隅っこにある空き家の一つに向かった。
☆・☆・☆
隠れ家で、オンブルは干し肉の切れっ端にかじりつきながらこれまでの状況を話し終えた。
「……だいたいの状況は解った。だが、そうか。陛下は捕らわれ、レージュ様は片翼と片目を失っちまったのか」
話を聞き終わるとマントゥルは深いため息を吐き出す。ファナーティは黙って窓から外を眺めている。
「そんで、お前はレージュ様のなんなんだ? 騎士団の連中じゃねえよな」
「強いて言うならこき使われている召使いだな」
「なんだそりゃ。まあ、厳重警戒しているこのオルテンシアに潜入できるほどだ。腕は立つんだろう。他に仲間は?」
「六人潜入している。俺の指示でいつでも動く。今は城郭の状況を調べてさせているところだ。こういうのは人から聞くより自分で見て調べた方が理解できるからな」
「騎士団連中は?」
「この街から出てきた軍隊を打ち破ったらそのまま駆けつけると言っていた」
「二千の兵だぞ。三百人程度でどうするというのだ」
「ちょいとマントゥル。お嬢がその程度の戦力差でやられちまうとでも思ってるの?」
ファナーティが呆れたように諭す。
「……その通りだ。俺としたことが耄碌しちまったか。年は取りたくねえもんだな。レージュ様がいるのならその程度は容易く打ち払えるだろうよ」
両手をあげるマントゥルは無精髭を揺らして低く笑う。
「レージュが近づいてきたら呼応して俺たちも動くぞ」
「城門を開けるんだろ。既に計画は練ってある」
「正解だ。レージュが評価している通りだな。あんたの頭は切れるようだ、マントゥルさんよ」
「なに、内部だけじゃ力が足りないから外から呼び込むしかないと考えただけだ。褒められるような事じゃない」
しかし、とマントゥルはため息をつく。
「予想外の敵の増援で、外郭の門と城前の門を両方とも同時に開けるとなると人手が足りん。仕方ないが外郭だけはなんとか開けて城前は一度諦めて……」
「いや、諦める必要はないぜ」
オンブルがニヒルな笑みを浮かべて一枚の紙を取り出す。
「城前の門は俺たちが開けることになっている。レージュから絵図ももらっているからな」
「そこまでお見通しなのか。蒼天の軍師様は千里眼でも持っているのかと思ってしまうな」
オンブルから受け取った絵図には、城前の門の見取り図が精密に記されている。ここまで正確に記憶しているレージュの頭脳にマントゥルは舌を巻いた。
「だがたった七人でどうやって城門を開けるんだ?」
「それはだな……」
そして詳しい打ち合わせが終わると、ファナーティが笑っていない目でオンブルをのぞき込む。
「ところでさあ、オンブルだっけ? お嬢の目と翼を奪った奴が誰か知っている?」
「いや、知らねえ。ちゃんと聞いたことはないな。赤い光の時って言ってたからおそらくカタストロフの連中だろ」
「隠してないよね?」
このファナーティという男、なかなかに眉目秀麗だが、心の奥には何か暗い物を抱え込んでいるようにオンブルは感じた。
「隠す必要がないだろう。何をそんなにムキになってんだ」
普段の軽薄な調子は消え、冷ややかな声で囁くようにファナーティはつぶやく。
「ムキになるさ。白き翼の掟でね、お嬢を泣かした奴には制裁を与えることになっている。きっとお嬢は翼と目を失ってすごく泣いたと思う。だから、お嬢を泣かした奴は八つ裂きにしてやらないといけないんだよ。必ずね」
「ファナーティ、落ち着かねえか。今は目の前の作戦に集中しろ」
マントゥルの鋭い声が届くと、ファナーティはため息をついてオンブルから離れる。
「……いけないいけない。お嬢がいつも言っていたっけ。『どれだけ熱くなっても頭の中だけは冷やしておけ』ってね。ちょっと頭冷やしてくるよ」
ファナーティが民家を出ると、マントゥルは無精髭の顎を指で掻く。
「すまんな、オンブル。見ての通りファナーティは白き翼の団員なんだ。レージュ様の事になると気が気じゃないんだろう」
「そのようだな。しかし、あれが大陸最強の傭兵団白き翼か。さすがに動きに隙がないな。それに、随分とあの嬢ちゃんを好いているようだ」
「赤ん坊の頃から育てているらしいからな。俺らマルブルよりも深く想うところがあってもおかしくはない」
「なるほどねえ」
それにしても、ファナーティの変わりっぷりはどうだ。まるであの嬢ちゃんを信仰しているようだ。白き翼っていうのはそんな奴らばっかりなのだろうかとオンブルは考える。
「ところで、ひとつ確認しておきたいんだが、領主のフェールってのは生きてんのか?」
マントゥルが渋い顔でオンブルの問いに答える。
「わからん。我々もその所在は掴めず、カタストロフの連中も探しているようだ。探していると言うことは、まだ捕まってはいないということだ。今は、そう考えるしかない」
だが心配するなとマントゥルは続ける。
「戦いが終わればひょっこりと現れる。あの男はそういうものだ」
「ずいぶん信頼しているんだな」
「知らぬ仲でもないからな」
何かを含んだような笑い声をマントゥルは上げた。
その時、妙な音と叫び声が彼らの耳に届く。
考えるよりも先に二人は隠れ家を飛び出した。
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