第五六話 「別働軍師」
西に傾いてきた日の光が降り注ぐ平野を移動する一団がある。
彼らは、穀物を積んだ馬を二頭引いて歩き、街道を北へ進んでいた。その一団は男女六人で構成されており、子供もいるようだ。一見すると農夫の集団に見えるが、その姿は偽装で、正体は全く別の物である。
「あの丘を越えればオルテンシアが見えてくるはずだ。そこからはカタストロフの斥候も多くなるだろうからな、今まで通り気を抜くんじゃねえぞ」
先頭を歩く金髪の男がそう言うと後ろの女がゆっくりと男に近付いてきた。
「大丈夫ですよオンブルさん。一人、心配な子がいますけどね」
オンブルに話しかけた女性は、あのエプロン姿の似合う義賊の女だった。名をアコニという。レージュのような悪戯っぽい笑みとは違い、お淑やかな落ち着いた笑顔を浮かべている。
「それにしても、ものの見事にバレちゃいましたね」
「ああ。あの嬢ちゃんがあそこまで見抜けるとは思っていなかったからな。してやられたぜ」
「私も油断していたわけではないのですが、いつの間にかバレてしまっていたようです。世間話と料理とお花の事ぐらいしかお話していないのに。そうそう、レージュちゃんは白詰草の花が好きなんですって」
「へえ。ま、あの嬢ちゃんが俺たちより上手だったってわけだ。なんてったって天使だからな。空飛ぶような奴は目線が違うってこった」
オンブルがおどけた調子で言うと、後ろで猟師風の男が豪快な黒髭を揺らして笑う。
「グハハ、その通りだな。全員正解のご褒美に好物の鹿の生肉をまた喰わせてやらねえといけねえ。――そうそう、元騎士団のガキにも喰わせてやっからな。もっと嬉しそうな顔しろよ。せっかくお仲間になったんだからよ、なあ?」
猟師風の男が後ろを振り向くとスーリがふてくされた顔で馬の手綱を引いている。
「……俺はオネット隊長からの命令で仕方なくここにいるんだ。お前たちの指示は聞いてやる。だが、俺は卑劣な暗殺者集団と仲良くやる気はない。そこをよく覚えておけ」
凄みを効かせて言ったスーリだが、彼らは少しも気にしていないようだ。
「あら、嫌われちゃいましたね」
「暗殺者集団じゃねえ、スーメルキ団だ。弱ええくせに口だけは達者だな」
「なんだと!」
かみつくスーリに、静かだが鋭い声が横から刺さる。
「馬鹿にされて吠えるのは弱者だ」
元奴隷のガビーが黒い瞳でスーリを横目で見ている。
「強者ならば甘んじて受け入れ、そいつを見返してやれ」
「……うるさい。偉そうな口を利くな」
ふてくされるスーリを見て猟師風の男がまた笑う。
「ガキってのは反骨精神がないといけねえ。俺はお前を気に入ったがな」
「駄目だよアクストおじちゃん。スーリ兄ちゃんは僕の物なんだからね」
最後尾を歩く小さな少年が猟師風の男にスーリの所有権を主張する。
「なんだよシーカ、ちょっとくらい良いじゃねえか」
「ダメダメ、天使のお姉ちゃんとの約束だもん」
これから危険な場所に突っ込もうというのに、彼らの余裕っぷりにオンブルはニヒルな笑いを浮かべる。
「無駄話はこの辺にしておくか。いいかスーリ、オルテンシアに入ったらお前はシーカの指示で動け。絶対に一人で行動はするな。これは命令だ」
シーカと呼ばれた腕白そうな褐色肌の少年が舌っ足らずな声で同調する。
「そうだよー。兄ちゃんは僕に絶対服従だからね」
「くそっ、なんだってこんなガキに」
「そりゃあお前さんが戦って負けたからだろうが」
アクストが笑ってからかうとスーリは舌打ちを返す。
「命令に従わなければ斬っても良いとレージュから言われている。俺たちは騎士様たちみたいに甘くはない。ここにいる全員が、お前が気づくこともできずに殺せることを忘れるな」
スーリは舌打ちだけを返して歩くことに集中する。
義賊団と行動を共にしないといけないのは虫酸が走るが、陛下をお救いするためならば、これぐらい我慢してみせる。
「おい、お前らは確か七人って話だったよな。一人は先行しているが、もうひとりはどこにいるんだ?」
「エスクドのばあさんはヴァンの側だ。あのばあさんはさすがに戦場に出すのは無理なんでな」
「その代わりに狡賢いったらねえけどな。金にもうるせえしよ」
アクストが笑い飛ばすが、スーリはクスリともしない。
「今はばあさんより自分の心配をしてな。街道を外れて丘を目指すぞ。手早くやれよ」
なぜ騎士団たる自分が義賊団と、しかも義賊団の中でも秘密裏に組織された暗殺部隊と行動を共にすることになったのか。原因は考えるまでもない。あの、生意気な天使のせいだ……。
☆・☆・☆
数日前……。
デビュ砦でクラーケ将軍を待ちかまえていた頃、スーリはレージュに森の中に呼び出される。そこで待っていたのはレージュとオンブルともう一人、シーカ少年だった。レージュは、オネットからの命令書をちらつかせながらスーリとシーカ少年を戦わせ、スーリが敗北すると彼に異動を命じる。その配属先はオンブルが秘密裏に組織した隠密集団だった。
隠密集団は、不殺と自由を掲げる赫赫の義賊団の中にある特殊な集まりで、団長のヴァンはその存在を知らない。そして各々が、いわゆる裏の仕事に特化している。そこに無理矢理編入させられたスーリは、不満を垂らしながらも、上からの命令書があるので仕方なく彼らと行動を共にしているのだ。
そして彼らは、クラーケ将軍との戦いを避け、七人だけでオルテンシアへ潜入するようにレージュから指示される……。
☆・☆・☆
空が赤く染まり始め、黄昏時となった頃、スーメルキ団は丘の頂上付近までやってきた。
オンブルが手を動かして『止まれ』という合図を送る。隠密を貴ぶスーメルキ団は、声を出さずに手や腕の動きで指示を出し合うのだ。
丘を越えた彼らの目の前には麦畑が広がっている。北国マルブルの麦は春に植えて秋に収穫しなくてはならない。そのため、畑には夕日を受けた麦が海原のように伸びている。しかし、見た目は美しくても、今年の麦の出来は良くないようだ。冷夏というわけでもないが、土がやせ細り、元気がないのだと地元の農夫たちは言っていた。
「それにしてもグラディスの奴は遅いな。時間には正確な奴なんだが」
オンブルがぼやくと、彼らの後ろからカタストロフの鎧を着た兵が一人で近づいてきた。スーリが素早く気付いて薄い短剣を引き抜って飛びかかるが、その足に縄が巻き付き、地面に叩きつけられる。
「なにをする!」
起きあがって文句を言うが、縄を投げたシーカは小さなため息をつく。
「落ち着いて。敵じゃないよ。スーリ兄ちゃんが飛び出す前から味方だってサインをちゃんと出してたよ」
「なんだと?」
グラディスが兜を脱いで黒い顔を晒す。奴隷のガビーと同じ南部出身の彼は黒い肌と黒い瞳と黒い髪を持っている。黙り込むスーリにオンブルが鞘の先でスーリをつつく。
「敵だとしてもすぐに殺そうとすんな。常に状況を見て落ち着いて判断しろ。んで、グラディス、その格好が役に立ったってことはよ……」
グラディスの切れ長の目は、切りかかってきたスーリに一瞥もくれず、オンブルに物静かな声で報告をする。
「あまり好ましくない状況だ。カタストロフ兵が城郭の外に展開している。およそ千人。装備を見るに遠征してきたようだな」
その報告を聞いて彼らは小高い丘を登りきり、上からオルテンシアを眺める。そして彼らはグラディスが報告してきた通りの光景を目の当たりにした。
「おいおい。どっからこんなに沸いてきやがったんだ」
「あらあら、どうしますかねえ」
事前にレージュから聞いた情報では、オルテンシアの防衛は二千を出兵させて残った五百人規模で、増援の線は無いと言われていた。カタストロフは、大陸東側をすでに制圧しているので最低限の戦力しか駐留しておらず、主力は西の戦線に集中しているはずだった。この辺りに浮いた戦力は存在しないとレージュもきっちりと調べていたはずだ。しかしどこから沸いたのか、彼らの前には千の兵が存在している。
「潜入して会話を聞いたが、奴らはこのあと城郭に入って現領主のヴェヒターの指揮下に入るらしい。マルブル残党軍が到着する前に中にいるレジスタンスを一掃するようだな」
「あーあ、せっかく天使のお姉ちゃんが二千も引きずり出して手薄にしたのにね」
「内部で呼応する勢力がなきゃさしもの天使の嬢ちゃんも攻略は無理だろう。攻城戦には攻城兵器と最低でも籠もっている相手の三倍から五倍の戦力が必要だからな。レジスタンスが潰されたら全てがパーだ」
「だから、俺たちがいる」
「そうですよ。レージュちゃんに任された私たちスーメルキ団の初の任務なんですから、何が何でも達成しないと」
「……だな。よし、アコニは一度戻って嬢ちゃんたちにこの事を知らせてくれ。伝えたらまた戻ってこい。馬はもういらねえから二頭とも連れていっていいぞ」
二頭いれば交互に乗って常に片方の馬を休めることができる。そうすれば一頭の馬に乗り続けるより早く目的地に着く。
「わかりました。オンブルさんも頑張ってね。あと、スーリ君もね」
アコニはスーリに微笑みかけるが彼は答えずに顔を背ける。そんなスーリの態度に気分を害することなく、アコニは荷を下ろした馬に飛び乗って来た道を戻っていく。
馬から下ろした荷をオンブルが開けると、中には穀物ではなく、カタストロフ兵の鎧一式が入っていた。デビュ砦を奪還した際に没収した物である。
「さてと、そんじゃあ奴らに紛れて入るかね。スーメルキ団としての初仕事だが、いつも通りにやればいいからな」
そしてオンブルたちは黄昏時の闇に紛れてオルテンシアへと忍び込む。
16/11/16 文章微修正(大筋に変更なし)
16/12/29 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/29 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/31 文章微修正(大筋に変更なし)
17/07/13 文章微修正(大筋に変更なし)