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第五四話 「内政軍師」

 セルヴァがオルテンシアに来てから三日後。領主ヴェヒターはクラーケ将軍に死神討伐を指示していた。


「無論私も全力を尽くす。私とて死にたいわけではない。貴公は死神退治に専念していただきたい。それも今すぐにだ」

「心得た」


 厳格にうなずくと異形の腕を再び外套の中にしまってクラーケ将軍は部屋を去っていった。

 クラーケ将軍が出て行くと、ヴェヒターは椅子に体を預ける。



 ヴェヒターとてこのオルテンシアに派遣されてから領主の椅子にただ座っていたわけではない。他国の城郭まちを占領したならば、自治はこちらで治めなくてはならないのだ。

 まずは戦後の混乱を鎮圧させ、武器を奪って容易に反乱や奪還をさせないようにする。そして城郭まちが機能するように人を配置し、住人たちが元に近い生活ができるようする。そのために、城壁よりも高い書類束の相手をしなくてはならなかった。


 カタストロフ(我々)がオルテンシアを占拠してからのこの半年は、城郭の復興と統治に奔走してきた。クラーケの横暴があったが、住民の暮らしは概ね回復してきたと言ってもいい。目の上のたんこぶなクラーケもこれから出兵する。勝てば死神の脅威は去ったことになり、クラーケも昇進し、こんなところではなく西側の連合軍との戦いへ精鋭として送られるだろう。


 マルブルの民は、忠実とは言わないが、こちらが余程の無理を言わなければ大体は従う。特に城郭の復興に関してはそれなりに積極的になる。住民に復興をやらせると、なにか妙な細工を仕込まれそうで気が引けるのだが、自分の部下を復興作業に割いている余裕はない。とはいえ、いつまでも城郭が壊れたままというわけにもいかないのも現実だ。なるべく見張らせているが、全部の人員を監視することはできない。

 これが他の国ならば別に良いのだが、あの死神が一度通った城郭と考えると、妙な知恵を付けている可能性が捨てきれないからだ。だが、それでも住人の協力は必要だった。


 一部のレジスタンスが表だって今も抵抗を続けているが、死神を討ち取ればそれも鎮静するはずだ。


 復興用の資金は、オルテンシアに蓄えられていたものを使ったが、それでも足らない所は本国から金を出してもらっている。死神を討ち、統治が行き渡って城郭まちの安全が確保できれば、外から商人なども入ってくるようになり、城郭に金が落ちる。あとは経済を回して本国に借金を返せば自分の仕事は終わりだ。数年で片づくことではないが、じっくりと内政に力を入れていけば必ず解決できる問題である。

 以前は戦場を駆ける武官だった自分だが、どうやらこういった文官の仕事の方が合っているのかもしれないなとヴェヒターは自嘲気味に笑う。


 しかし、今は内政だけを見ている暇はなく、外にも目を向けなければならない。


 クラーケ将軍の二千の兵ならば、手勢三百の死神に十分勝てるはずだ。もしも多少の生き残りが集まっていたとしても五百程度にしかならないだろう。

 だが、戦争は数字だけで勝敗が決まるものではない。特にあのレージュ(死神)相手では数字など全く意味をなさない場合もある。

 幾多もの戦場を駆け、死神とも対峙したことのあるヴェヒターにはそれがとても身に染みていた。クラーケ将軍もヴェヒターに劣らず戦場を渡り歩いている優れた将であるが、死神と直接対峙した事はない。戦力よりもそのことだけが気がかりだった。口を酸っぱくして気を付けろと言っておいたが、どこまで効果があるかはわからない。

 考えたくはないが、万が一クラーケが死神に敗北したときのことも考えねばならない。


 クラーケ将軍に出撃命令を出して少しした後、ヴェヒターは誰かに呼びかける。


「グリュック」

「ここに」


 すると、一人しかいないはずの部屋の中で女の声が答える。いつの間にか、ヴェヒターの後ろに若い女が立っていたが、ヴェヒターは振り返ることなく話を進める。


「マントゥルとファナーティはまだ捕まえられないのか」

「申し訳ございません。情報のあった場所に向かったときには既にもぬけの殻でした」

「良いように踊らされているな」

「面目ありません」


 ヴェヒターは話を切り替える。


「天使の噂は本当なのか?」

「確証は取れておりませんが、天使を見かけたという噂は町中に広がっています。そして、レジスタンスたちは、表面上は変わらず活動を続けていますが、内側では今まで以上に息を潜めています」


 数日前から、メイド服の天使を見かけたという噂がオルテンシアには流れている。レジスタンスたちが勢いをつけるために流した流言飛語りゅうげんひごかと思ったが、勢いがつくどころか逆に沈静化してきた。

 まるで、来る時のために力をためているように。


 いずれにせよ、速やかにレジスタンスは潰しておかねばならない。クラーケ将軍が死神に勝てれば良いのだが、楽観はできない。本当は本国の援軍を待ってから出撃したいところだったが、死神に時を与えたくはなかった。たとえクラーケ将軍が勝てなくても足止めにはなるはずだ。内部で呼応するもの(・・・・・・・・・)がいなければ、如何に死神の軍勢とはいえ三百という少数でこの城郭まちを落とすのは不可能なのだから。


 だがレジスタンスどもはドブネズミのようにこそこそと下水道に隠れ、我々に尻尾を掴ませない。手を抜いているわけではないが、それ以上に奴らが隠れるのが上手いのだ。

 この城郭まちの道は迷路のように入り組んでいる。半年の調査で地上の全容は掴みつつあるが、地下道までは把握し切れていない。地の利は完全に向こうにある。


 クラーケ将軍は、前々からいつでも出兵できるように準備をしてきていたので、今日の夜にはデビュ砦に向けて出撃するだろう。これでこの城郭まちに駐留する兵は麾下きかの五百のみになる。この人数でも守りきる自信はあるが、不安の種はできる限り潰しておきたい。


 しかし、どうすればレジスタンスどもの根城を突き止められるのだろうか。幾度となく考え、効果がありそうな策は実行してきたが、掴むものはいつも幻だけだった。



「やあ、ヴェヒター」


 苦悩するヴェヒターに予期せぬ声がかかる。間者の女(グリュック)ではない。紳士的な男の声だ。顔を上げたヴェヒターに燕尾服の男は笑みを浮かべたまま手を振っている。


「これは宰相殿……。いつ、こちらへ? 知らせてくだされば迎えを出しましたのに」


 全く気配を感じなかった。いつの間にこの部屋へ入ってきたのだろうか。間者の女(グリュック)も驚いたような顔をしている。


「いいんだ。私が勝手に来ただけだから。ああ、座ったままでいてくれて構わないよ」


 杖を持って腰を浮かせるヴェヒターを、コシュマーブルは優しげな笑みを浮かべたまま制し、窓の外の青空を眺める。


「ここに、彼女が来るね」

彼女(・・)、とは?」

「決まっているだろう。天使レージュだ」

「……何故、それを」


 レージュが生きていることはついさっき知ったばかりなのに、遠く離れたカタストロフの帝都にいるはずの宰相が何故その情報を知っていて、何故こんなにも早くここまできたのか。混乱を防ぐためにまだ通達はしていないはずなのに。


「なぜ私がそれを知っていて、こんなに早くここまでこれたか不思議なようだね。フフフ、答えは簡単さ。私はこの国の宰相だからね。国の中の事はよく分かっている」


 お目付役が潜んでいたということか。そいつがレージュ(死神)の動向を掴み、帝都まで知らせたのだろう。心の中でヴェヒターは舌打ちをする。


 常に笑顔を張り付かせているこの若い男。宰相として優れた手腕の持ち主だが、ヴェヒターはコシュマーブルが好きではなかった。


 レシュティ姫に選ばれて宰相となるまで、コシュマーブルはまだ騎士見習いの身であった。騎士としての能力はぱっとしなかったが、書物を愛し、顔も良かったので貴族の女たちからはちやほやされていた。

 病に倒れた先帝の後を継いでレシュティ姫が皇帝となると、宰相に騎士見習いのコシュマーブルを抜擢する。その異常な人選に城内は上を下への大騒ぎになるが、レシュティ姫が強引に公務を行わせると、先帝崩御の国内の混乱を瞬時に解消し、攻め込む隙を窺っていた他国への牽制を成し遂げ、瞬く間に国民の不安を取り除いたのだ。その仕事ぶりは重鎮たちも舌を巻いたという。


 しかし、先のマルブル侵攻だけは腑に落ちないとの声も多い。マルブルが大理石の値段を不当に釣り上げ、侵略してきたとのことだったが、大理石はまだしも、武力で大きく劣るの国がそんな行動(侵略)をするのは不自然だ。そしてマルブルとの宣戦自体はレシュティ姫が発令したのだが、裏ではこの男が焚きつけたのではないかとヴェヒターは考えている。


 だが、何のために? そんなことをしてこの男に何の利益があるのだろうか。

 先帝の時代は、同盟国であったマルブルとの関係はそう悪いものではなかったし、大理石と軍事で釣り合いは取れていたはずだ。多少マルブルが割りを食っていたかもしれないが、賢王と呼ばれたローワ王がその程度で怒り心頭となり侵攻してくるはずがない。

 レージュ(あの小娘)の入れ知恵とも違う。宣戦を布告した時点では、まだ死神はマルブル側でなかった。

 いくら考えても答えは未だに分からずじまいだ。


「宰相殿、死神の情報はどこまで……?」

「安心したまえ。帝都でこの事実を知っているのは私と姫様だけだ」


 宰相であるコシュマーブルにはともかく、レシュティ姫には知られたくなかった。レシュティ姫は死神レージュを討ち滅ぼさんと躍起になっていた。戦時中も、マルブルという敵国だからではなく、もっと個人的な感情で動いているようにも思えた。そんな姫がレージュ復活を耳にすれば、心を痛められるかもしれない。そうならないためにも、秘密裏に死神レージュを葬り去ろうとしていたのだが……。


「キミは本当に良い家臣だ。そこまで姫様の事を思っているのだね」


 まるで心の内を読まれているかのようなコシュマーブルの言動にヴェヒターはギクリとする。


「そんなキミにプレゼントを持ってきたんだよ」


 そう言ってコシュマーブルは机の上に十字架を二つ転がす。それを見てヴェヒターとグリュックは息を呑む。


「十字架……。まさか、これは」

「そう、古代遺産だ」

16/12/29 文章微修正(大筋に変更なし)

17/03/29 文章微修正(大筋に変更なし)

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17/07/13 文章微修正(大筋に変更なし)

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