第五三話 「接合軍師」
アーンゲル大陸暦947年、6月26日。元マルブル領オルテンシアにて。
湿気て火の付かないパルファンをくわえた無精髭の男が石壁にもたれて青空を見上げている。暗くて狭い裏路地から見る空は細く遠かった。
無精髭の男は古ぼけた帽子に付いている純白の羽を手に取って青空にかざす。透き通る様な美しさを見せるその羽は、彼の誇りでもあった。
今、このオルテンシアの城郭はカタストロフ帝国の軍に占領されている。マルブル王都に赤い光が落ちたあの日からオルテンシアを含むマルブルの人々は屈辱の日々を送っているのだ。侵略者であるカタストロフはこの街で好き勝手に振る舞い、店の物は強奪し、女は陵辱され、刃向かう者は殺された。オルテンシアの民は怒りに震えるが、抵抗できる力も術も無く、侵略者からこそこそ隠れて過ごすしか選択肢はない。
無精髭の男は手にした純白の羽を見て思う。マルブルの勝利の女神、蒼天の軍師レージュは今どこで何をしているのだろうかと。
侵略者どもが言うには、赤い光とともに死んだという話だが、彼は一片も信じなかった。必ずどこかで生きている。今は反撃の機会をうかがっているのだと信じている。そして、蒼天の軍師がこの地を取り戻そうとした時、その奪還の助けになるために、彼は有志を募ってレジスタンスを立ち上げた。
本当のところは蒼天の軍師が生きているかなんてわからない。生きていたとしてもここまで来れるのかわからない。いつ来るのかもわからない。だが、それでも無精髭の男はその時が来ると信じている。カタストロフの連中にレジスタンスの首謀として追いかけられているが、半年経った今日もまだ生きている。その努力は成果となって、オルテンシアのレジスタンスたちは徐々に力を付けてきた。自分たちだけでオルテンシアの奪還は無理だが、外からの攻撃に呼応することはできる。しかし、現在のオルテンシアは出入を厳しく制限しているため、外部の情報がほとんど得られないのが最大の悩みである。
せめて蒼天の軍師の生死だけでも確認できれば……。
「隊長、隊長! ちょっとこれ見てくれ!」
物思いに耽る無精髭の男を現実に引き戻したのは慌てふためく別の男の声だった。彼はレジスタンスの同士で、組織内の連絡網を統括しているモワノーだ。
「うるせえぞモワノー。外では隊長と呼ぶなっつってんだ……」
湿気たパルファンをくわえたまま器用に喋る特技を持っている彼でも、モワノーが連れてきた人物の姿を見たらパルファンを落としてしまうのは仕方のないことだった。
その人物は、丸縁眼鏡をかけた三つ編みの女中だった。ただのメイドならば何も驚くことは無いが、自分の持っている純白の羽と同じ羽が彼女の背から生えているのならば話は別だ。
「――バッカ野郎! 早く家の中へ隠せ!」
「お、おお!」
一番近い家の扉を開け放って三人は駆け込む。
「どうした同士、何か――」
騒ぐ闖入者に、椅子に座って話していた二人の住人が目をやると、彼らは椅子から転げ落ちる。一人は落とした眼鏡をかけ直し、もう一人は落としてしまった木苺を拾い上げながら、起きあがって翼の生えた女性をまじまじとみる。
「蒼天の軍師様、ではないな。なあ隊長、これは一体どういうことだ。彼女は誰だ? どっから来た? 本当に天使なのか?」
眼鏡の男が問うが分かるわけがない。
「知らん。今から聞き出すんだよ。下、借りるぞ。おい、お前はファナーティに今すぐ来るように知らせてくれ。見つかるんじゃねえぞ」
「わかった」
木苺を口に放り込むと彼は家から飛び出して下水道に続く道に入っていく。
このオルテンシアの城郭は、下水道が完備されており、城郭の地下には下水の道が複雑に入り組まれている。彼らレジスタンスはこの下水道を通ってカタストロフの監視の目から逃れて移動しているのだ。カタストロフ側もそれは解っているのだが、下水道は、迷路のような地上の道よりもさらに複雑になっており、臭くて暗くて狭いので全容を把握する調査は難航している。しかしレジスタンスたちは下水道を熟知しているので、迷うことなく目的の場所へ行けるのだ。
翼の生えた女中と三人の男は一緒に地下へと降りる。
光の入らぬ地下室まで連れてこられても翼の生えた女は何も言わずにニコニコしていた。
「で、お前は一体誰なんだ? 何のためにここに来た? レージュ様の知り合いか?」
「えーと。セルヴァはセルヴァと申しますー。あなたがー『れじすたんす?』のリーダーさんですかー?」
初めて聞いた彼女の声は、予想以上にフワフワしていて、緊迫した場の空気が一気に軽い物になる。
「おい、質問してんのはこっちだ。他の質問にも答えろ」
「すみませんー。リーダーさんと会うように言われていますのでー。他はお答えできませんー」
「……俺がレジスタンスのリーダーのマントゥルだ。レージュ様の知り合いならこれで分かるだろ」
そう言って無精髭の男は帽子に止めてある純白の羽を指さす。セルヴァはマントゥルに近づいて純白の羽根の匂いをかぐ。
「なるほどー。確かにご主人様に教えてもらった匂いと同じですねー。ではあなたがリーダーさんですかー」
「わかったなら答えろ。お前は何者だ?」
「セルヴァはー、あなた方に協力するようにご主人様から申しつけられましてー。何なりとお申し付けくださいー」
「協力だと?」
この天使に協力されるような覚えはないが、知り合いに天使はいる。
「マントゥル隊長。もしかしてこいつのご主人様ってレージュ様のことじゃねえですかい?」
どうやらモワノーも同じことを考えているようだ。
「そのご主人様ってのは誰なんだ? レージュ様か?」
「ご主人様はご主人様ですー。レージュ様はこれから私がお仕えする方ですねー。そのレージュ様がこちらにいらっしゃるまでにあなた方を支援いたしますー。お掃除でもお料理でも夜伽でも何なりとお申し付けくださいー」
「レージュ様がこちらにいらっしゃるのか!?」
眼鏡の男が驚愕して問うとセルヴァは笑顔のまま答える。
「ご主人様はそう仰いましたー。ですから、セルヴァはここでレージュ様がいらっしゃるのを待っておりますー」
「レージュ様は生きておられるんだ!」
「ひゃっほう! さっすがは勝利の女神様だぜ!」
手を打ち合わせて喜ぶモワノーと眼鏡の男をマントゥルは静かにしろと叱る。
「つまりだ、お前ことセルヴァは、ご主人様とやらに言われて、レージュ様がここに来るまで俺たちに協力するために来た、と言いたいのか?」
「その通りですー。さすがですねー。ご主人様の仰っていた通りの方ですー」
「ただ言い直しただけだ。馬鹿にしてるのか?」
「いえいえー、めっそうもありませんー」
どうにもやりにくい相手だ。それに、どうやらそのご主人様とやらは自分の事を知っているらしい。しかし、自分には天使のメイドを従える人物の知り合いなどいないし、レージュにそういう知り合いがいるとは聞いたことはないが……。
「私が誰にも見つからずにこの城郭に入れたのもご主人様のおかげなんですよー」
確かにメイド服で翼の生えた彼女が普通にこの城郭に入ろうとすれば、必ずカタストロフの連中に見つかるだろう。そうなれば、奴らは絶対にセルヴァを自由にはしない。もしも逃がしたとしたら血眼になって探しにくるだろうが、そんな気配も無い。モワノーが連れてくるまでは本当に誰にも見つかっていないのだろう。しかしどうやって?
「おい、モワノー。こいつを見つけたときの状況を教えてくれ」
「へいっ。あれはついさっきのことでさ。俺っちが隊長の近くの通りを哨戒していた時によ、突然横の路地で光の柱がスッと出て、不思議に思って近づいてみると彼女が一人で立っていたんでさ」
「何だそりゃ。夢でも見てたのか?」
「んなわけねえっすよ。ちゃーんと起きてまさ」
「で、他に誰かいなかったか?」
「いいや。完全に一人でしたぜ」
「おい、お前が出てきた光の柱とはなんだ」
マントゥルがセルヴァに問う。
「転移の特殊機械ですねー。ああー、ここでは『ゴダイイサン』と言うんでしたっけー」
「古代遺産だって!?」
「そうそうー。それですー」
確かに何もないところにいきなり人を出現させるなんて古代遺産でないと無理だ。こいつのご主人様とやらはそんなものも扱えるとなると、どうにもきな臭い感じになってきたな。
「もう一度聞くぞ、お前はレージュ様とは知り合いなのか?」
「いいえー。お会いしたことはありませんねー」
「ご主人様とレージュ様は知り合いなのか?」
「さあー? セルヴァはただのメイドなのでー、ご主人様の交友関係はよくわかりませんー」
こいつから情報を聞き出すのは骨が折れそうだ。しかし、レージュが来るまでと言った。ならば、レージュは生きているのだろう。その情報は彼らを勇気づけた。
その時、陽気な声の男が地下室に入ってきた。
「急な呼び出しで飛んできましたよっと。まあ、通ってきたのは臭い下水道だけどね。なんでも、羽の生えた……わーお。本当に天使のお姉ちゃんだ。レージュ以外にもいるんだな」
一見すると気の抜けた表情の軽そうな男に見えるが、実際その通りでかなり軽い。深刻や真面目などと言った言葉は彼に一番似つかわしくないだろう。
「やっと来たか、ファナーティ。お前に聞きたいんだが、この天使に見覚えはあるか?」
「いんや、全く無いね。天使の知り合いはお嬢しかいないし。……で、お嬢さんのお名前は?」
「セルヴァと申しますー」
「へえ、セルヴァちゃんか。可愛い名前だねー。そのメイド服もスッゴい似合ってるよ。眼鏡もとってもキュートだ」
「ありがとうございますー」
ファナーティがセルヴァを口説くのを尻目にマントゥルは考える。
このファナーティという男は、ただのチャラい男ではなく、過去にレージュが所属していた大陸最強の傭兵団『白き翼』の一員なのである。しかし、今のこの町に白き翼本隊がいるわけではない。彼は、白き翼から抜け出して一人でこのオルテンシアに来たと言っていた。信じ難い話だが、レージュの純白の羽を持っているので疑う事はなかった。
「だけどセルヴァちゃんが増えても、現状はどうしようもないね。レジスタンスだけじゃあこの城郭にいる二千五百の兵力に対抗するのは難しいし、外から援軍でも来ない限りは無理だ」
「それがどうにかなりそうだぞ、ファナーティ。レージュ様は生きておられるそうだ。しかも、このオルテンシアに向かってきているらしい」
「本当か! さっすがお嬢!」
大げさなリアクションでファナーティは喜びを表す。
「それじゃあ計画を実行に移すかい」
「ああ、時は来た。ようやく俺たちのオルテンシアを取り戻すことが出来る。モワノー、仲間たちに伝えろ。これから大仕事が始まる。慎重に事を進めろとな」
「アイアイサー!」
ふざけた敬礼をしてモワノーは外へと走っていく。ここから城郭を取り戻す戦いが始まる。突如現れた謎の天使セルヴァ、昔からマルブルでは天使は吉報の知らせだ。流れが来ている。レージュがこちらに向かっているというのはセルヴァの言でしかないが、マントゥルは最初からレージュが死んでいるなどと考えたことはない。
かつて彼女は言った。生きて時を待て。その言葉を信じていたからこそ、今日まで恥辱にまみれながらも生きてきたのだ。
そして、勝利の女神であるレージュがもうすぐ帰ってくる。
さあ、反撃の時間だ。
16/12/29 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/29 文章微修正(大筋に変更なし)
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