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第五一話 「哀愁軍師」

 いよいよ決戦当日。


 全ての準備が整い、部隊の配置も完了したことを各伝令から伝えられる。心配していたオルテンシアからの出兵もちゃんとされていたようで、およそ二千の兵がこちらに向かってきているようだ。オルテンシアから多くの兵が出てくれば、それだけ城郭まちの奪還がやりやすくなる。地下に捕らえてある捕虜たちの話では、オルテンシアには二千五百から三千程度の兵士しかいないと言うから、これでオルテンシアはかなり手薄になったはずだ。もっとも、ここで勝たないと意味がないが。


 城壁上で、夕日に横顔を当てられた彼女の瞳は赤く焼ける空と同じ色をしている。横ではヴァンが並んで夕日を眺めていた。


「気がかりな事はいくつかあるけど、今はオルテンシアの領主フェールが生きているかどうかだ」


 赤いリボンで髪をツインテールに分けながら革の道着一式を着込んだレージュは続ける。この髪型が一番気合いが入るようで、戦闘中はいつもそうしているようだ。


「彼は優秀な人材だ。マルブルでも有数の大きな町を任されているからね。実際、爺さん(ローワ)の片腕的存在でもある。彼が生きていればオルテンシアの復興は容易だ」


 勝つだけじゃない。勝って次に繋げなければならない。彼女は常にそう言っている。


「間者は既にオルテンシアに忍び込ませてはいるけど、彼の所在については未だに分からずじまいだ。ただ、捕まってもいないらしい。直接確かめるしかなさそうだね」

「それと謎の天使も、だろ。ひょっとしたらお前の家族かもな」

「家族、ねえ……。あたしはどうにも自分が人の腹から生まれたとは思えないんだよね」

「何故だ?」

「それは……」


 沈みかける夕日を眺めたままレージュはつぶやくように問う。



「ねえ、ヴァン。心臓をえぐり出された人間って生きていられると思う?」



 唐突で物騒な質問にヴァンは思わず言葉に詰まってしまう。


「どうした、いきなり」

「答えて」

「……普通に考えたら、死ぬ。心臓を取られて生きていられるわけがない」

「だよね。あたしもそう思う。そんなことされて生きてたら化け物だ」


 ヴァンはレージュの右側に立っているので彼女が宝玉の隻眼(左目)に秘めた表情が見えない。


「マルブルが燃えたあの日に、片目と片翼を失ったあの日に、他にも奪われた()があるんだ。いや、あると思う、かな。体中に剣を刺されてほとんど死にかけてたからよく覚えてないんだ」


 ここまで聞いてもレージュが何を言いたいのか解らないほどヴァンも鈍感ではない。


 まさか、そんなことが。それでは、レージュは……。


 いつの間にかレージュは夕日の隻眼でヴァンを見つめている。その赤は、とても深かった。



「あたしってなんなんだろうね」



 その言葉はやけに乾いてヴァンの耳に届いた。

 ヴァンはレージュから目を離し、ほとんど沈みかけた夕日に目をやる。


 人には無い翼を生まれながらに持ち、大人顔負けの戦略で戦場を渡り、心臓を抜き取られてもなお生きている。自分は、人とは違う。そのことは常に感じていた。だからなんだと考えるようにしているが、どこへ行っても奇異の目は受け続けてきた。その全てを無視することは、難しかった。


「……」


 もし、彼に自分を否定されたらどうしよう。頼ってくれと言われた。しかし、今まで他人を頼ったことがない自分は、どこまで頼っていいのかわからない。今度は、頼りすぎてしまったのだろうか。


 両手に力がこもり、体が震える。

 聞かなきゃ良かったかな。


 でも、逃げない。逃げたくない。

 世界から、自分から逃げない。

 だから、目だけは逸らさない。


 夕日を眺めたままヴァンは小さく吹き出す。


「なんだ、そんなこと。決まっているだろう」


 レージュのように歯を見せてヴァンは振り向いて笑う。その顔に、レージュはローワの面影を見る。


「レージュは、レージュだ。それ以上でもそれ以下でもない」


 固まったままのレージュの小さな体をヴァンは軽々と持ち上げ、彼女を強く抱きしめる。レージュは小さく震えていた。レージュの貧相な胸に耳をあて、その鼓動を聞く。


「小さく、弱々しいが、レージュの心臓の鼓動はちゃんと俺に伝わっている。たとえ本当に心臓を奪われて、それでもレージュが今ここに生きているなら、俺はお前が生きていることに感謝したい。レージュと出会えたことを喜びたい」


 嘘偽りのない、どこまでも真っ直ぐなヴァンの告白は、レージュの震えを止めるには十分だった。レージュも、ヴァンの赫赫かっかくの頭を抱くように包み込む。


「あたしも、ヴァンに会えて良かった。本当に、あんたに決めて良かったよ。――ありがとう。なんだか最近励まされっぱなしだねあたしってば」

「気にするな。俺もレージュには世話になりっぱなしだ。お互い様ってことで良いだろう」

「にひひ。そうだね」


 そのとき、黄昏の空の下の森の向こうに黒く光る一団をレージュは見つける。


「来た」


 レージュはヴァンの頭から飛び降り、城壁から顔を覗かせて目を凝らす。


 彼女の予想通り、その一団は蛇の様に長く伸びてこちらに向かってきた。天使を飲み込もうと黒い蛇が大口を開けて迫ってくるかのように。

 横にいるヴァンもその黒い蛇を見つめている。その表情には緊張があったが、恐れや不安は全くなかった。夕日と同じ色をしたレージュの隻眼の瞳にも、もはや不安や恐怖などかけらもなかった。


「ふむ、いよいよじゃな」


 いつの間にかヌアージが二人の側にいた。城壁を歩いてきたと言うよりは、突然この場に湧いて出たような感じだ。気配に敏感なヴァンですら、察知できなかったようで、二人は同じような顔でヌアージの出現に驚いている。


「ひぇっひぇっ。面白い顔をしておるな。儂も特等席で見せてもらうぞ」

「本当に神出鬼没(しんしゅつきぼつ)な爺さんだな」


 ヴァンは感心するように言うが、レージュは疑いの色が混じった目をしている。


「ヴァンよ。いや、王太子殿下とお呼びした方が良いかの」

「こういう場ではかしこまらなくて良い。昔あんたに助けられた義賊のヴァンとして接してくれ」

「では、ヴァン。お前にとってレージュはなんだ?」


 ヌアージの唐突で抽象的な質問にヴァンは面を食らう。

 レージュの片翼もぴくりと反応し、小さく羽ばたく。


「なんだ、と言われてもな」

「先ほどから見ておったが、なかなか仲睦なかむつまじいではないか。おぬしらが出会ってからまだ一月ひとつきほどだと聞いたぞ」


 そうか。まだそれだけしか経っていないのか。すでに何年も一緒にいるような気がしていた。


「そうだな……」


 思い返せば、この一月ひとつきは実に慌ただしかった。確かレージュに最初に出会ったのは、根城としていた打ち捨てられた廃城の一室だったな……。


 ――山の中で貴族を狙う義賊をしていた自分の前にさらわれてきた片翼隻眼(半分)の天使レージュ。初めて彼女の姿を見たとき、本当に驚いた。しかもその天使と来たら、武装した義賊たちに囲まれながらも全くビビることはなく、生意気で、子供のくせにパルファンを嗜んでいた。チェスがめちゃくちゃ強く、極めつけに、王冠を取り出して俺をマルブルの王太子だとも告げてきた。目が覚めるようなその状況は、幼き日に亡き母が聞かせてくれたマルブル建国のおとぎ話のようだった。まさか、自分が天使と共に行動することになるなど、子供の頃でも夢にも思わなかったものだ。


 そして、星空の下の白詰草の原で語り合ったレージュの夢と自分の夢。レージュは全ての古代遺産を破壊することを、俺は差別のない世界を作ることを約束し、協力しあう事を誓った。彼女のおかげで諦めかけていた夢が再び見えるようになった。あのときに貰った白詰草の冠は、とっくに枯れてしまったが、王冠の入っているあの大理石の箱の中にひそかに取っておいてある。


 それからはマルブル残党軍と合流する。わずか二百程度の兵であったが、誰一人として未来に悲観しておらず、自分たちの祖国を取り戻すために燃えていた。レージュの魂のこもった演説を受け、幼なじみのオンブルと義賊団の仲間たちも、自分について行くことを誓ってくれたのは嬉しかった。


 いつも甲冑を着ている元近衛隊長のオネットは、厳格だが、常に自分の事を気にかけてくれ、レージュの身も案じていたりする優しく頼もしい男だ。王都で司書をしていたビブリオは、オネット以上に規律に厳しく、自分を立派な王にしようと日々働いている。うっとうしく思うこともあるが、自分も王太子として最低限の知識は必要だ。それに、彼から逃げるのは結構楽しくもある。


 わずか三百の軍勢でキメラを有する砦一つを易々と奪還したレージュの策略には脱帽したものだ。彼女が小国マルブルで三年もの間、カタストロフ帝国を相手に奮闘していたのもうなずける。

 砦に捕らわれていたリオンは、その名の通り獅子のような男で、血に飢えて気性の荒い男であったが、彼との調練で学んだことは数多い。戦闘技術はもちろんだが、心のありようも教わった。


 そして、レージュすら計り知れないこのヌアージという老人。ヌアージ()と名付けられた彼は、レージュ以上に謎が多く、目的もはっきりとしないが、悪い奴には見えない。


 こうして思い返してみると、本当に怒濤のような一月ひとつきだった。最初は戸惑っていた自分も、王太子としての心持ちが少しはできた気がするし、もう兵たちとのあいだに溝はほとんどない。と思う。

 この一月の思い出の中には必ずレージュがいる。最初は、何物をも恐れぬ気丈な軍師だと思っていたが、自分が人と違うことに悩み、戦への恐怖もある。笑い、泣き、食べ、眠る、そんな普通の少女と何も変わらない。その彼女を、自分にとっての何かと言うのなら……。


とも、だな」


 その答えに、ヌアージは笑い、レージュも口角を少し上げて片翼を羽ばたかせる。


「そうか」


 ヌアージも短く答え、レージュの横で沈む夕日を眺める。


「レージュよ」

「なにさ、ヌアージ」

「この戦い、勝てるぞ」

「なんでそんなにはっきりと言えるのさ」

「信じておるからじゃよ。蒼天と赫赫かっかくをのう」

「ついこの間会ったばかりじゃん」

「ひぇっひぇっ。確かにそうじゃのう。しかしマルブルの人間から話は聞いておる。カタストロフからの死神の話もな。おぬしの数々の戦もこっそりと見てきておる。それだけ知ればおぬしの人間性は見えてくるわい。もちろんこっちの小僧の事もな。おぬしら二人が手を取って共に歩むというのならば、如何なる困難にも立ち向かえよう」

「当然だ、なあレージュ」

「にひひ。そうだね」

「さて――そろそろ時間じゃな。文字通り目の色が変わっておるぞ」


 レージュの瞳の色が紅から黒へと変わっていく。ヴァンは、レージュの瞳が変わっていく瞬間が好きだった。二つの色が渦巻くように混ざり合い、やがて次の色へと移り変わる。今は、業火を押し包むように闇が湧きだし、徐々にくれないが飲み込まれていく。そして、完全に夕日が沈むと、レージュの瞳に夜天の輝きが満ちる。作戦開始の時間だ。


 レージュは、意識を戦闘へと素早く切り替える。


「じゃあ総大将殿下(ヴァン)、開戦のご指示を」

「ああ。戦闘開始だ。レージュ、合図を頼む」


 レージュはうなずき、髪を縛る赤いリボンにそっと触れると、十字架のサークレットをかかげ、わずかに発光させて全部隊へ戦いの始まりを告げた。




「本当に、いつまでも一緒なら良かったのにのう」


 ヌアージの小さなつぶやきは、彼自身の耳にすら届かずに風に流され、どこかへ飛んでいってしまった。


「ひぇっひぇっ……」


第二章「半分の天使と謎の老人」完

16/09/29 サブタイトル変更「旧:せめて、今だけは一緒に」

16/12/28 文章微修正(大筋に変更なし)

17/03/28 文章微修正(大筋に変更なし)

17/03/30 文章微修正(大筋に変更なし)

17/05/23 文章微修正(大筋に変更なし)

17/07/13 文章微修正(大筋に変更なし)

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