第五〇話 「敬愛軍師」
「レージュが解放したデビュ砦のカタストロフ兵が、ここから北へ三日程行った平原で突然姿を消したそうだ」
かつての戦友が合流した後、オネットはヴァン・レージュ・ビブリオを集め、深刻な顔で話を切り出した。
「消えた? あの五百人が?」
驚くヴァンにオネットは真面目な顔でうなずく。
「説明してくれ」
オネットの隣に立っている農夫の格好をしたままの男がそのときの状況を語り出す。彼は合流した部隊の小隊長だ。
デビュ砦でレージュが復活したとの噂を耳にした彼らは、半年の逃亡で疲れ切った体でデビュ砦へ向かっていた。その途中で、砦から解放された五百人のカタストロフ兵を発見する。
カタストロフへの怒りはあったが、勝てぬ戦はしてはいけないとレージュから叩き込まれた彼らは、息を潜めてカタストロフ兵たちをやり過ごそうとしていた。そして誰もが認識できないまま五百人の人間が目の前で突然消えたのだ。あまりにも異常な状態に動けずにいると、無事だった三人のカタストロフ兵が奇声をあげながらどこかへ走り去ったという。
「全員が消えたわけじゃないのか。うーん。ちゃんと情報が届くかなぁ」
この突拍子もない話を聞いてレージュが疑いもしないので、彼の話は本当の事だとヴァンたちは認識する。
解放した捕虜たちが、レージュ復活の報を持ってオルテンシアに着くタイミングを見計らって、捕らえてあるフクスの伝書鳩を飛ばした。しかし予想外のハプニングが起こったことで、もしかしたら伝書鳩しか届かない可能性が出てきた。そうなると、オルテンシアからの出兵が遅れるかもしれない。遅れるだけならまだマシだが、籠もって出てこなくなったら最悪だ。ともかく、もうすぐ斥候が帰ってくる。その報告次第でどう動くかは決めよう。
「おそらく古代遺産か古代遺跡でしょう。人間業ではないですから」
銀髪をきらめかせながらビブリオが現状出せる答えを導く。古代遺産は言わずもがな、古代遺跡も、中に入ったまま遺跡が消えると、この世界から消えてしまうという話は、この世界に生きるものなら誰もが知っている。実際に、出現直後にすぐ消える古代遺跡は珍しくない。というより、長期間残っている古代遺跡の方が珍しい。
そして、古代遺産と言えば、と男たちはレージュを見る。
「一応言っておくけど、あたしじゃないからね」
彼らが何かを言う前にレージュが先に答える。
実は以前にも似たようなケースがあった事をヴァン以外は知っている。レージュ本人は否定するが、彼女が来てからそのような事が頻繁に起こるようになったし、古代遺跡が意思を持ってこちらの味方をしているようにしか彼らには見えないのだ。
「とにかく、これでカタストロフの兵力は五百減ったって事だね。相手の兵力が削がれるのは助かる。情報は、届いていることを願おう。フクスの伝書鳩が届いていればなんとかなる」
「それと、なのですが……」
言いにくそうにする小隊長に続きを促す。
「その五百人が消えた直後、空を飛ぶ一人の天使様の姿を見ました。我々はてっきりレージュ様かと思ったのですが……」
またも皆の視線がレージュに集まる。
「……だから、あたしじゃないって。この翼でどうやって飛べと?」
兵士たちは、あの時はまだレージュが片翼であることを知らなかったので、レージュが助けてくれたのだと思いこんでいたが、片翼ではどうやっても飛ぶことができない。あの平原の空にいることはできないのだ。
「まさかレージュ以外にも翼の生えた人間がいるとは……」
ビブリオの呟きは異様な響きを持って部屋に充満する。
ヴァンがふとこの前のことを思い出す。
「もしかして、この間ビブリオが勘違いしたレージュってその天使のことなのか?」
「断言はできません。ですが、可能性はあります」
寝ているレージュをヴァンが運んでいくのを見送った直後にビブリオの視界に映ったレージュのような姿。しかし、何分ちゃんと見たわけではないので断定はできない。
ビブリオが考えを巡らせていると、レージュも細い指でクレースを回しながら唸っている。
「うーん、どうだろ。あたしと瓜二つならともかく、部外者の天使が入ってきて誰も見てないなんて事ありえるかな? 少ないとはいえこの砦には三百人の人間がいるんだよ。しかも異常がないか毎日ちゃんと巡回もしているし、無駄や見落としがないように順路や人員はあたしが考えてある。それらを全部かいくぐって逃げ続けるのは無理だと思うよ。天使なら翼もあるから隠れにくい」
レージュと同じように大きな翼があるなら目立つし、隠れきるのは難しいだろう。
「古代遺産を使って隠れているとかは無いのか?」
「それはない。この砦内で古代遺産が使われたならクレースがすぐに気付くからね」
「ビブリオの見間違いの可能性も捨て切れません。警備が万全な以上、ここにはすでにいない事も考えられます」
「オネット殿の言うとおりですね。不明確なことを前提に議論をしても結果は得られません」
見張りに穴はない。存在が確認できないのならば、いるかもしれないという妄想に捕らわれるよりも、すっぱりと考えから切り捨てて先に進むしかないだろう。
「所在はともかく、カタストロフ兵五百人を消したそいつの目的が気になるな」
ヴァンの当然の疑問にオネットとレージュもうなずく。
「敵国の兵を消したからと言って、こちらに味方していると楽観視することはできぬでしょうな」
「だね。小隊長、そいつはどっちへ飛んでいった?」
「北へ。オルテンシアの方角へ凄い速さで飛んでいきました」
「オルテンシア、か」
この砦に迫るクラーケ将軍を退けた後の目的地、オルテンシア。オルテンシアは小国マルブルでも大きな城郭で、そこを奪還することができれば、今後の作戦の拠点となるだろう。その天使は、たまたまその方角に飛んでいっただけかもしれないが、ここにいる全員が、特にレージュは、もう一人の天使もオルテンシアが目的地だろうと直感していた。
その天使の目的は分からないが、必ず捕まえて話を聞かなければならない。もしも本当にオルテンシアにいるのならば、道すがらで探す手間も省けるとレージュは考える。しかし――。
「一番の問題は、その天使があたしたちに刃を向けてくるかどうかだ」
もしも古代遺跡を操っているのがその天使で、こちらに敵対するのならば、相手はかなりの難敵となる。普通の兵隊ならば手も足も出ずに消されてしまうし、クレースという古代遺産を持つ自分でさえ、どう戦っていいのか見当も付かない。少なくとも、自分が単騎で前に出なくてはならないだろう。
「その天使が敵かどうかは今考えてもわからねえな。レージュ、一応聞くが、そういった知り合いはいるのか?」
レージュは首を横に振る。
そんな人物がいると知っているなら、真っ先に会いに行って自分の存在とはなんなのかを聞いている。自分のルーツは自分一人で探すしかないと思っていたが、まさか同じように翼の生えた人物がいるとは思いもしなかった。
だが、手の届く現実に現れた以上、なんとしてでも会わなくてはならない。レージュは固く決意した。
「あの……」
これまで自分から発言したことのなかった小隊長が発言しても良いか求めている。レージュが許可すると、彼は一度深呼吸をしてから話し始める。
「差し出口かもしれませんが、もしもあの方が本当に伝説の天使様の再臨だったとしましても、私は、今もここで命を賭けて導いてくださるレージュ様こそを伝説の天使と信じ、あの方がレージュ様に刃を向けるようなら、命に代えても全力でお守りいたします。レージュ様こそが我らの勝利の女神なのですから。これは、私だけではなく、兵士全員が同じ考えです」
彼の言葉を受け、首に結んだ赤いリボンをいじりながらはにかむ彼女は本当の天使のようだった。
「……そっか。うん、ありがとう」
思えば、自分はこんなにも慕われていたのか。ヴァンに頼るように言われてから、皆の言葉の受け取りかたが少し変わった気がする。以前の自分ならさっきの小隊長の言葉も、ただの兵たちの士気高揚としか見ていなかったかもしれない。
何かが自分の中で変わった。そんな気がする。
隣のヴァンを見ると親指を立てて不器用なウィンクを送ってきた。レージュも歯を見せるように笑って返す。
「よし、とりあえずその天使の事は保留にしておいて、今は目の前の事から片づけていこう。カタストロフ軍ももうすぐやってくるはずだ。オネットは砦前の指揮に戻って、ビブリオは村人たちの方で、小隊長以下後から合流した兵で動ける者はカタストロフから没収した装備を使ってね。無理そうなら後方で働いてもらうから。さあ、存分に戦ってやろうじゃないか。みんな、よろしくね!」
自分たちの結束力の強さを表すように、全員が力強くうなずく。
16/12/28 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/28 文章微修正(大筋に変更なし) ロゴ追加
17/03/30 文章微修正(大筋に変更なし)
17/07/13 文章微修正(大筋に変更なし)