第四九話 「生残軍師」
翌朝、街道に敷いた罠の最終点検をしていたオネットの前に、夜明け前にリオンと共に出発していた一人の兵士が慌てて戻ってきた。敵の先発隊でも現れたのかと緊張するが、彼は笑顔で報告してきた。
「オネット隊長! 味方が、生き残りが合流しました!」
その言葉と同時に姿を現したのはかつての戦友たちであった。
彼らは全部で百人ほどおり、オネットたちを数瞬見つめた後、ある者は泣き崩れ、ある者は笑い、ある者は肩を抱き、ある者は深く息を吐いた。オネットはすぐにレージュに知らせるように使いを出す。
「よく生きていてくれた。お前たちと再会できたことを天使に感謝せねばな」
「オネット将軍こそよくぞご無事で」
「ですが、我らもこの半年でだいぶ数が減ってしまいました。面目ありません……」
彼らはみな剣も鎧を身に付けておらず、農夫のような格好をしていた。敵の目を欺くために農夫に扮して逃げ続けていたのだろう。粗末な作業着を着て、髪や顔にも泥を付け、爪の間にまで黒い泥を入れている。
これは、以前にレージュから教わった、敵の目を欺く方法の一つであった。この格好で農村に兵を隠れさせ、カタストロフの裏を突いたことが過去にあった。その経験が彼らを生き延びさせたのだろう。
だが、マルブルが落ちてから半年の逃亡劇で精も根も尽き果ててしまった彼らは意気阻喪としている。
「顔を上げろ。お前たちは何も恥ずべき事はない。散っていった者たちのためにも、お前たちは生きるんだ。もうすぐレージュもやってきて喜ぶだろう」
レージュの名前を出した途端に、彼らの顔はぱっと明るくなる。
「やはり蒼天の軍師様もご無事なんですね!」
彼らは勝利の女神の無事を喜ぶが、オネットは彼らに答えてやることができなかった。どう言ったら良いものかとオネットが思案している間に、後ろから報告を聞きつけたレージュがやってきた。
「みんな!」
「レージュ様!」
鈴の転がるような声に兵たちは歓喜して目を向けるが、次の瞬間には目を見開いて絶句してしまう。
あろう事か、空を翔る蒼天の軍師が馬に乗ってきたのだ。彼女はこのような時、文字通り飛んでくるはずなのに。馬から下りた彼女をよく見てみると、彼らの勝利の女神は、小さく丸みのある顔には火傷の痕が走り、この世のどんな宝石よりも美しい目は片方だけになり、天空を舞う翼は一枚だけという姿になっていたのだ。
「その、お姿は……」
「……ごめん」
その言葉だけで彼らは理解した。レージュの傷跡、彼女の表情、傍にいるオネットの沈痛な面持ち、これだけで赤い光の落ちたあの日に王都で起こった凄惨な戦いを垣間見ることができたからだ。
「なんとお痛ましい……」
「おのれカタストロフ!」
「レージュ様、我らが王はご無事で……?」
「奴らに、連れていかれた」
王は捕らえられ、勝利の女神は傷つき地に落ちた。ならば、自分たちはなんのためにこの半年間、常に追っ手に怯えながら逃げ続けてきたのか。もはやこれまでかと意気消沈する彼らの一人がふと気づく。
「……では、何故レージュ様はここにいらっしゃるのですか?」
レージュは元々、報酬を目当てに戦場で戦い、世界を放浪する傭兵の出身だ。マルブルの人間ではない。マルブルとの一時的な契約はあったが、王は捕らえられ、虫の息のマルブルからは報酬も期待できないはずだ。それなのに、なぜ彼女はまだマルブルの側に立っているのだろうか。
レージュは少し意外そうな顔をしてから微笑んで答える。
「そうだね、理由は三つある。まず一つは、好きだからかな。マルブルも、ローワ王も、もちろんそこに住む人たちも。この国は良い風が吹いてる。こんなに居心地が良かった国は今までなかった。好きなもののために頑張るのは当然でしょ」
自分たちの祖国に純粋に好意を持ってくれるレージュの言葉に、彼らは誇らしげにうなずく。
「二つ。あたしは負けっぱなしってのは大嫌いでね。この傷と羽のお礼はきっちりとしないと気がすまないんだ」
自分たちも同じ気持ちだ、と彼らはまたうなずく。
「三つ。あたしは約束を絶対に守る性分だ。ローワとは約束がある。だからその約束を果たすまではマルブルに協力し続ける。これは強制されたわけじゃなくて、あたし自身の意志だよ」
「その、約束とは……?」
レージュの親しみやすさから、つい近しい口を聞いてしまう兵士を同僚が諌める。
「馬鹿っ! 分に過ぎるぞ!」
本来ならば、王の友人であるレージュは、彼らにとって見ることもできぬほどの雲の上の存在なのである。無礼な振る舞いをしてしまったと慌てて平伏しようとする彼をレージュはすぐに抑える。
「気にしないで良いよ。あたしは身分とか生まれの上下が嫌いだし。でも、約束はあたしと爺さんだけの約束だからね。秘密なんだ。ゴメンね」
「いえ、申し訳ございません。過ぎたことを聞きました。どうか忘れてください」
だから気にしなくて良いのに、とレージュは笑う。
「じゃあ一つだけ教えてあげる。あたしと王の爺さんと結んだ約束の一つに、お互いの約束を果たすまで絶対に死なないというのがある」
一呼吸置いて皆を見回してからレージュは言葉を続ける。
「みんなの信頼する王は、約束を破るような人じゃないでしょ?」
優しい色を湛えた朝日の隻眼でウィンクする。
「だから、大丈夫。連れていかれたけど、爺さんは絶対に生きている。あたしは信じている。だからみんなで取り戻すんだ。マルブルはまだ終わっちゃいない!」
今度は気迫に満ちたレージュの隻眼に、彼らは失っていた自信と誇りを思い出す。
「そうか……陛下は生きておられるのだな」
「ならば我らがお助けしなくてどうすると言うのだ」
「カタストロフに一泡吹かせねば死んでも死にきれません!」
「我らには不撓不屈の勝利の女神がついているのだ!」
「おおー!」
再会した時には消えかかっていた彼らの生の炎が激しく燃え上がる。
「さあ、とりあえず中に入って。食べ物もあるし、怪我をしている人は手当しなきゃ。今の状況も話しておきたいしね」
レージュの先導で彼らは力強い足取りでデビュ砦内に入っていく。
そのとき、最後尾にいた彼らの隊の小隊長が、緊張した面もちでオネットにこっそりと耳打ちする。
「オネット将軍、報告せねばならぬことがあります。この事は、オネット将軍から許可があるまで口外せぬように部下には言ってあります」
「なんだ」
「実は……、レージュ様でない天使様をお見かけしました」
小隊長の報告を聞いてオネットは息をのんだ。
「なんだと。それは本当なのか?」
「はい。小隊の全員が見ています。我々はてっきりレージュ様かと思ったのですが、あのお姿では……」
「いつ、どこで見た?」
「ここより歩いて三日ほどの北西の平原です」
「にわかには信じられんな」
「私も同感です。今でも夢を見たのではないかと思います。ですが、小隊の全員が見ておりますし、なにより、その天使様が現れる前にとても奇妙で恐ろしいことが起きました」
「何が起きた」
「天使様が現れる前、デビュ砦に向かっていた我々は五百ほどのカタストロフ兵を発見しました。幸い奴らには気づかれていませんでしたから、隠れてやり過ごそうとしたのですが……。妙な臭いのする風が吹いたと思ったら、同じ平原にいたカタストロフの兵三人を残して他の五百人ほどが跡形もなく一瞬で消え去りました。そして、空には天使様の姿があったのです。ですが、レージュ様でないとなると……」
小隊長の話は荒唐無稽であるが、レージュという存在を考えると頭から否定することはできない。天使の実在の事もそうだが、レージュが戦列に加わってから、敵兵が突然古代遺跡に飲み込まれて消え去るということが過去に何度もあったからだ。
古代遺跡は出現してから一定の時間後に消える。そのときに中にいる人間も当然巻き込まれて消えてしまう。古代遺跡の古代遺産を求めるトレジャーハンターたちがもっとも恐れるのが、その時間制限による消失だ。いつ現れていつ消えるか全く予想のできない古代遺跡に対抗できる人間は存在しない。また、古代遺産にもそのような力を持つ物があるかもしれない。ともかく、古の力が働いてることは間違いないだろう。
「その話、確かだな?」
「確かです。お許しが出ればレージュ様の御前で今の話をお聞かせすることもできます。レージュ様のいらっしゃるところで嘘をつくことはできませんから」
「わかった。すぐに会議を開こう。これは私一人の手に余る問題だ」
すぐにヴァン・レージュ・ビブリオの三人を呼び集めるよう使いを出す。
「それにしても、もう一人の天使とはな……」
伝説の中にのみ存在していた天使が彼の前に姿を現したのは今から四年ほども前のことだ。その天使は、浅黒い肌に朝日の髪、純白の翼と時刻で変化する不思議な瞳を持った、まだ十にも満たない少女で、歯を見せて「にひひ」と笑った。
天使が現れて驚くのは、後にも先にもあの一回だけだと思っていたが、再び天使発見の報を耳にしたオネットはこれからについて考えざるをえなかった。
悠久の太古に滅んだはずの天使が二人も地上に現れた。いったい今、このマルブルに、いや、アーンゲル大陸に何が起きようとしているのだ。大陸戦争だけではない。この戦の裏で、もっと大きな何かが始まろうとしている気がする。
16/12/28 文章微修正(大筋に変更なし)
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