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第四七話 「信用軍師」

 真剣な眼差しで自分を見つめ返してくるラインにローワは口元を緩める。


「あの娘もだいぶ舌がうまくなったものだ。ついこの間まではほんの赤子だと思っていたのだがな」

「姫様はご立派な方です。まだお若いのに、先帝が病に伏せられた後のカタストロフ帝国を背負ってまつりごとに臨まれております。宰相様の賢明な力添えもあり、カタストロフはよりよい国になっています」

「実権は宰相が握っているのか?」

「宰相様はあくまで姫様のめいを受けて動いていらっしゃるだけで、実権は姫様にあると聞いています」

「ふむ。先ほどそなたは勇猛なカタストロフと言っていたが、カタストロフに敗北した国は皆、暴力による圧政に苦しんでいるという。マルブルの民が虐げられたりしていないか心配だな」

「誇りあるカタストロフの騎士様たちがそのような非道な行いをするはずがありません。敗戦国の負け惜しみでしょう」


 ラインは情報を引き出されていることに全く気づいていない。ローワにとって、外の情報を入手する術は、このラインをおいて他にいない。『使える情報は可能な限り仕入れておく』、彼女はよく言っていた。


あれ(赤い光)ほどの古代遺産を扱える人間がカタストロフにはいるということを恐ろしくはないのか」

「そんなことはありません。古代遺産は自国の繁栄には必要不可欠なものです。それに宰相様は常に国と姫様のことを考えておられます」


 つまり宰相が赤い光を使うように指示したと言うわけか。もしくは宰相自身が使った可能性もある。しかし、あれほどの力を持った古代遺産を使用する代償は人一人の精神ではとても賄えないだろう。


 ローワは、古代遺産の使用や代償などについてはレージュ(天使)から詳しく聞いていた。なので、赤い光に喰わせた精神は数千から数万に及ぶであろうことは推測できる。だが、もしも一人であの規模の古代遺産を動かせるとなると、もはや人間業ではない。天使であるレージュですら、一人では使えるかどうかわからない。


 末子であったレシュティ姫が他の兄弟を差し置いて皇帝に立つと同時に抜擢されたあの宰相、必ずなにか裏があるはずだ。それも、人知を超えたなにかが。


「どうしても、私を逃がしてはくれぬのか?」

「はい。ローワ国王陛下にお仕えする事になっても私はカタストロフの人間です。祖国から受けた命令を、いえ、祖国を裏切るわけにはいきません」

「仕方あるまいな。――君はまだ若い。これから先に色々な事があるだろう。だが、物事を見るときは、国の眼鏡を通して見るのではなく、自分の目で見ると良い。そうすれば、必ず正しい姿で物事が見えるだろう」


 ラインは言葉を返さなかった。

 自分は、ちゃんと正しい姿で物事を見ている。祖国カタストロフこそが世界の正義であり、そこに住む自分は正しき人間なのだ。そう、信じている。


 返事をしないラインの態度を、ローワは不快に感じたりせず、ただ窓の外を眺めている。何時の間にか雪が降り始めていたようだ。


「久々に人と話して腹が減ったな。ライン、料理は得意か? 何か作ってくれ」

「はい。何かご希望のものはありますか?」

「では暖かいスープを頼む。雪の降る日は、それが良い」

「かしこまりました」


 ラインは深く礼をし、この部屋に入ってきたときとは打って変わって落ち着いた態度で部屋を出ていく。




 調理場でカットされた新鮮な食材が煮立った鍋の中でグルグル回っている。その様を眺めながらラインは大きなため息を付く。


 なぜ、自分はあんなことを言ってしまったのだろうか。国王を相手にあんなに無礼な口をきくなど、あのときの自分はどうかしていた。目上の者に対し意見を申すなど、カタストロフではあってはならないことだ。


 自責の念に駆られながらもラインは着々と料理を進める。給仕見習いの彼は、当然ながら宮廷で料理を任されたことなど無いが、細工屋の彼の家が貴族に召し上げられる前は家族のために料理を作っていた。なぜなら、彼の作る料理が一番美味いからだ。特別な方法を取っているわけでもないのに、同じように料理した母親よりも美味いという。その理由は、元々料理の才があったのもあるが、なによりも、彼の舌がとても優れており、水に溶かした塩の量を一粒単位でわかるほどであったからだ。その類稀なる味覚で、常に最適の味を判別できる。母親や兄弟が細工屋から食堂にしようかと話していたそんな折り、父親が戦争で古代遺産を手に入れて献上したことで彼らは貴族に召し上げられた。


 夢であった宮廷の厨房に給仕見習いとして入るや否や、マルブルとの戦争が終わり、宰相に命じられ、気づけば彼は今ここにいる。その怒濤のような出来事を思い返すと、さっきとは違うため息が出る。


 せっかく、宮廷の調理場に入れたのに。


 しかし見方を変えれば、今は、自国ではないが国王に自分の料理を出すことができるのだ。それは宮廷調理師として最高の栄誉なのである。


 先に焼いて油の染み出る豚肉や適度に切りそろえられた野菜が泳ぐ半透明なスープを掬って味を見、棚の中からいくつかの香草や調味料を取り出し鍋に放り込む。他にも、棚の中には見たことのない調味料や香草や木の実がたくさんあったが、一舐めするだけで彼は味の特徴と使い方を理解していた。再び味を見て彼はうなずく。


 美味い料理を作って、無礼を詫びよう。だが、非礼は詫びるが、なんと言われようと、祖国カタストロフが正しいことは間違いない。その考えは決して変わることはないだろう。




 部屋に一人になったローワは、ライン少年との会話を思い出す。マルブルが落ちたのは真実であろう。赤い光の襲撃、そして自分が捕らわれたことを考えればうなずける。天が裂け、地が燃えたあの惨状は、永遠に瞼の裏に焼き付いたままだろう。数えたくないほどの死者が出た。男も女も子供も年寄りも関係なく死んでいった。だが、レージュがあの戦いで死んだとはどうしても考えられない。大事な約束もした。必ずどこかで生きている。今はそう信じるしかない。自分にできることがそれしかないのは歯痒いが、自分がやれることをやるだけだ。


 それにしても、とローワは思う。ラインの言葉には『自分』がなかった。人から聞いた。誰かがそう言っていた。そんな言葉ばかりだった。そのことを頭から否定するつもりは無い。しかし、彼は他の見方を知らずに生きている。それはとても勿体ないことのように思えた。自分と話すことで、彼が他の世界を知ることができれば良いのだが……。


 横に置いた真っ白なマフラーをローワは優しく撫でる。

 寒さの厳しいマルブルの岩山で放牧されている山羊の毛から織られたこのマフラーは、滑らかで光沢があり重さなど無いように軽く、しかし寒風は通さず、保温性にとても優れている。その山羊は、体毛のほとんどが灰色なのだが、十数頭に一頭のみ、灰色に紛れて数本だけ真っ白な毛が生えている。その僅かな白い毛だけを集めて織られたマフラーは、マルブルでは天使の羽(・・・・)と称され、通常は国王への献上品として贈られる。しかし、今ここにある真っ白なマフラーの持ち主は(ローワ)ではない。


 彼女から友好の証である純白の羽を受け取った際に交換したのである。『これも、マルブルでは天使の羽と呼ばれているのだ』と言って彼女の細い首にマフラーを巻いてみたのだが、小さな彼女には長すぎたらしく、端が床についてしまう。切るわけにはいかないし、これ以上巻けば彼女の顔が埋まってしまう。どうしたものかと考えるローワに彼女は歯を見せてにひひと笑った。


『飛べば後ろになびくから大丈夫だよ。地上にいるときは余った部分を翼にかけておけば……、ほら』


 その幼くも覇気に溢れた顔を思いだし、ローワは笑ったように息を漏らす。

 空飛ぶ彼女の浅黒い肌に、マフラーの白が良く映えていた。彼女は、雪のちらつく灰色の空を飛ぶときは、必ずこのマフラーを付けて飛ぶ。だが、あの日、降る雪も蒸発するほどの灼熱に包まれた赤い光の落ちた日に、彼女はマフラーを付けていかなかった。

 『預けるだけだから、後で返してよね』。そう言って、彼女が赤い空に向かった後、戻ってくることはなかった。そしてマルブルは陥落し、自分は今、彼女のマフラーを持ってここにいる。


「彼女は、無事に私の息子を見つけてくれるだろうか。私は信じて待っているぞ、我が友レージュよ」


 窓の外では深々と雪が降り続けている。ローワは、ライン少年が美味そうなスープを運んでくるまで、じっと舞い散る雪を眺めていた。


 レージュ。後に世界最強とうたわれる傭兵団『白き翼』が、寒風吹き荒ぶマルブルの地で捨てられていた羽の生えた赤子を拾い、天に掲げて名付けたその名の意味は、夢を叶える天使(・・・・・・・)

16/09/29 サブタイトル変更「旧:信じられること」

16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)

17/03/28 文章微修正(大筋に変更なし)

17/03/30 文章微修正(大筋に変更なし)

17/07/13 文章微修正(大筋に変更なし)

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