第四六話 「賢王軍師」
「失礼します」
ラインが部屋の中に入ると、程良い広さの中に木製の家具が慎ましやかに置かれている。壁には織物がかかっており、天使の描かれた絵画もあった。中は暖かく、下の暖炉の熱が来ているようだ。
そして、部屋の中央にある大きなベッドに、新雪のような真っ白なマフラーを持った白髪の老人が上体を起こしていた。部屋に入って扉を閉めるとラインは即座に平伏する。
「ローワ国王陛下にお目通りがかない恐悦至極にございます」
父親が、レシュティ女帝に古代遺産を献上したときにやっていた口上を思い出しながら述べた。
敵国の王と言えど、元は同盟国であったマルブルの王がいる部屋なのだ。敬意を払うのは当然である。しかし、そんなラインの緊張を見透かすように老人は穏やかな声で顔を上げるように言う。
「私は今、玉座に座っているわけでも、王冠をかぶっているわけでもない。ただの一人の老体だ。そう畏まる必要はない」
「――はい」
ゆっくりと顔を上げ、ラインはベッドの上の老人を恐る恐る見上げる。
ローワ王の顔には深いしわが刻まれ、髪も髭も白く染まって体は枯れ木のようだが、その金色の瞳には未だ強い光が宿っており、見ていると圧倒されるようである。
「この部屋は結構暖かいようだが、廊下は寒いのか?」
「……は?」
その言葉がラインの耳に入って意味を理解するまでに若干の時を有した。そして、少年は自分が防寒着を着たままだと今頃になって気づく。
「し、し、失礼しました!」
慌てて脱ぎ始めるラインを見てローワは愉快そうに笑う。
「そんなに緊張せんでも大丈夫だ。私の事は知っているようだが、改めて自己紹介をさせてもらおう。私はローワ。マルブル国の現国王をやっている。そなたは?」
「は、はい。私はカタストロフ下級貴族シュトローマンの子、ラインと申します。カタストロフ宰相様からの命により、今日よりローワ国王陛下の身の回りのお世話をやらせていただきます。なんなりとご命令ください」
「ふむ……」
長く白い顎髭を撫でながらローワはラインの黒い瞳を見つめ続けている。
ローワの見た目は既に六十を超えているというのに、金色の瞳はこんなにも若々しく、生き生きとしている。鷹の目のようなその瞳からラインは目を離すことができなかった。
「ローワ国王陛下……私の顔に何か……?」
「人が嘘をついているかどうかは目を見ろと友人から教わったのでな。どうやらそなたの言うことは本当のようだ。早速で悪いが、私がいま置かれている状況を教えてくれ」
「は、はい……」
素直に説明しても良いのか一瞬だけ逡巡するが、宰相からローワ王の要求にはできる限り答えるように言われていることを思い出す。ここから逃がしたり、外部と連絡を取らせなければ良い、と。
そしてライン少年は、マルブルが敗北したこと、ローワをここに監禁するように命じられたことを語った。ラインがしゃべっている間、ローワは無言でラインを見ていたが、光の柱に包まれてここへ来たことを話すと、ローワの凛々しい眉がぴくりと動いた。
「光の柱、か」
ローワは真っ白なマフラーを折りたたみ始める。綿でも絹でも無い材質のマフラーは、まるで雪が舞い散るように優しく折りたたまれていく。
「実は私も光の柱に包まれてついさっきここへ来た。おそらく古代遺産の力であろう」
「あれが、古代遺産……」
人を一瞬でどこにでも送り届けられる古代遺産の便利な力にラインは内心で感嘆の息を漏らす。古代遺産を積極的に収集し、戦や生活に活用していくカタストロフでは、古代遺産の研究は熱心に進められている。もっとも、一般の人間は見ることも体験することもないだろうが。
「恐ろしいものだ。世の理から外れたあれは、私から様々なものを奪っていく」
しかしローワは古代遺産を良く思っていないようだった。どういうことかと問いたい思いはあるが、そんな踏み込んだ質問はラインにはできない。
「では、レージュはどうなった?」
死神レージュの名を聞いてラインは体を強ばられる。祖国カタストロフが何よりも手を焼いた死神は、赤い光と共に焼失したと聞いている。そして、ローワ国王とレージュは友人同士であった事も、噂で聞いたことがある。
「どうした。答えられないのか」
「……赤い光で、死んだと聞いております」
ローワが金色の瞳で今まで以上にラインを見つめてきた。そのあまりの眼力にラインは息苦しくなってきて目をそらしてしまう。
「そうか」
レージュの死を聞いてもローワの声に落胆した色は全くなかった。
「カタストロフではそうだろうな。だが、レージュはきっと生きておるぞ」
何故? という彼の心の中を見透かしたようにローワは続ける。
「彼女は約束を絶対に守る娘だ。私との約束を破って勝手に死ぬはずがない。同じく赤い光を受けた私がここでこうして生きているように、彼女もこの空の下のどこかで必ず生きている」
あまりにも迷い無く言ってのけるローワにラインはぽかんとしている。
「信じられぬか? 無理もない。そなたはカタストロフの民であるからな。では、これを見よ」
ローワは真っ白なマフラーから淡く光る一枚の純白の羽を取り出す。説明されるまでもなく、それが蒼天を翔る翼を持つレージュの羽だとラインは理解した。
「以前に彼女からもらったものだ。淡く光っているだろう」
「はい」
「私はこれが彼女が生きている証拠であると考えている。抜け落ちた彼女の羽は光の粒となって消えるが、手渡された羽は何があっても決して無くならない。彼女の意志が宿っているのだろうな。つまり、彼女が死んでいるならば、この羽も消えて無くなるはずだ」
確かに、ローワ国王の持つ羽からは生気のようなものすら感じ取れる。しかし、まさか。
死神が生きているかもしれないというのか。
そのことは、カタストロフのラインにとっては背筋の凍る話だった。せっかく戦争が終わったというのに、自国を絶望に追い込んだ死神がどこかで生きているとなると、反撃の機会をうかがっている可能性がある。いや、絶対にそうだろう。
このことを早く本国に知らせねばならない。しかし、どうやって? ここは外界とは完全に隔絶されている。なにか連絡が取れる方法を考えなくては。近くに村でもないものか……。
「ラインよ」
思考中にローワから声をかけられ、ラインはビクッとする。
「無理な相談だと思うが、念のため聞かせてくれ。私は急いでマルブルに戻らねばならないのだ。私をここから逃がしてくれぬか?」
「……申し訳ありません。それだけはできません」
自分が与えられた仕事はローワ王をここに監禁しておくこと。それだけはやり遂げねばならない。
「もしもローワ国王陛下にお逃げになられますと、国家反逆の罪で私の首が飛びます。それだけなら構いませんが、家族にも危険が及ぶかもしれません。ですので、どうか出歩かれませぬよう……」
「やはりそうか。だが案ずるな。私は、もはや一人で歩くことも立つこともできん」
ローワが綿入りの布団をめくると、枯れ木のような足の足首の辺りに包帯が巻かれている。怪我でもしたのだろうかと思うラインにローワは静かに告げる。
「カタストロフ捕らわれたときに足の腱を切られた。よほど私を動かしたくないらしいな」
「……まさか、勇猛と謳われているカタストロフがそんなことをするはずがありません」
「一つの国の中にずっといると周りのことが見えなくなるものだ。――先のマルブルとの戦争の発端はなんと聞いている?」
「それは、マルブルが大理石の値段を不当に釣り上げ、あまつさえ不可侵の条約を破って国境を越えて進軍してきたからだと……」
「ではラインよ。私が、それは全て嘘だと言ったらどうする? あの戦争は、カタストロフがマルブルの大理石と美しい大地を力ずくで奪いたかったからと言ったら?」
「そんなことは、あり得ません。カタストロフは常に正義のために戦っています」
これまでの戦争だってそうだ。古代遺産を多く所有するカタストロフを狙う国はいくらでもある。祖国は、自衛のために戦をしているのだ。その結果、領土を広げることはあるが、他国の土地を奪うために戦争をしたことなど一度だってない。
このときのラインは、国王相手に物を言っているという事を忘れている。普段の彼ならば萎縮してしまって、反論を述べることなどできはしない。だが相手は長らく国王として国を背負ってきた人物だ。人心の掌握ならば、ラインなどでは想像も付かないほどの経験を積んでいる。その結果、ローワの放つ自然な親しみやすさと、それと気づかせない巧みな話術で、ラインはどんどん饒舌になっていた。
「正義はカタストロフにあります。祖国が侵略のために兵を動かしたことは一度もありません」
「ふむ。どちらの言い分が正しいかは水掛け論になるな。ただ、マルブルの民を不当に傷つけたカタストロフを私は許しはしない。そしてなによりも、あの赤い光を決して許さない」
赤い光は、祖国を脅かす国を一瞬で滅ぼす浄化の光だと、古の天使がカタストロフに遺した覇国の力だとラインは聞いたことがある。その力でもって、敵国マルブルを倒したのだ。
「赤い光は、戦争を早く終わらせるために必要だったと、宰相様は仰られました。姫様も、古代遺産を集め、使いこなしていくことこそがカタストロフの繁栄につながると信じ、その力で持って大陸を統治すると宣言なされました」
ローワが金色の瞳でじっとラインの黒い目を見ている。ラインも、目をそらすことはなかった。
16/09/29 サブタイトル変更「旧:信じること」
16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/28 文章微修正(大筋に変更なし)
17/07/13 文章微修正(大筋に変更なし)