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第四五話 「従者軍師」

 秋の終わり頃から雪に閉ざされていた深い森の中も、春を過ぎるとようやく起き出し、雪が少し残る中で動物たちも活動を再開し始める。


 そんな森の中に一軒の小屋がある。小屋は白い石造りになっており、給仕服を着た栗色の髪の少年が小さな厨房で食材を切っている。肩に黒い線が入ったこの給仕服は宮廷料理人見習いの証だ。

 広い厨房ではないが、小綺麗にまとまっているので作業はし易く、屋敷に住む人も少年を含めて二人しかいないので不便は無い。


 煮立たせた鍋に香草で下拵えをした豚の肉と新鮮な根菜を放り込み、数分煮た後、塩や香辛料を入れて味を調える。本来、香辛料類はとても高価で希少なものであるが、少年はそんなことを気にすることもなく鍋に放り込む。肉に火が通り、野菜も十分柔らかくなったのを確認すると、木皿によそい、少し炙った柔らかい白パンと一緒に木の盆に乗せて厨房を出る。


 木の盆の上に乗っているのは、庶民の食事と同じパンとスープという質素なものであるが、品質は雲泥の差だ。スープにはこんなに肉を入れられないし、香辛料などもってのほかだ。庶民では、わずかな塩を入れた野菜ばかりの水っぽいスープしか食べられないし、パンだって白くて柔らかいパンではなく、歯が欠けそうなほど堅くて黒いパンだ。黒パンがあんまり堅いので、スープに浸して柔らかくしてから食べるのが一般的である。


 しかし、少年が作った料理は、見た目こそ地味だが、とてつもない金額がかかっている。そんな高級な食事を持って少年は屋敷の二階に上がり、部屋のドアをノックする。返事を受けて部屋に入ると、ベッドの上で老人が体を起こして彼の入室を歓迎した。


「ああ、ライン。下から美味そうな匂いがしていてな。腹が減ってしまった」


 確かな知性を湛えた金色の瞳の老人は、手に持っていた真っ白なマフラーをベッドに優しく置いて少年に微笑みかける。


「はい。今そちらに持って行きますね」


 ラインと呼ばれた少年は微笑みを返して、老人のベッドの横にある水差しとコップの置かれた机に盆を置くと、食事に重要な道具が欠けている事に気づく。


「あ、いけません。スプーンを忘れてしまいました」


 スプーンを持ってこようとする少年を老人は手で制する。


「なに、気にすることはない。パンで掬って食べれば良いのだ。民はそうして食べている」


 そう言って老人は白くて柔らかいパンを皺だらけの手でちぎってスープに浸け、具材を掬ったパンごと口に運ぶ。

 根菜も肉も軟らかく煮込まれており、老人でも難なく食べることができるようになっている。


「うむ。美味い。やはりラインの作る食事は素晴らしい」

「勿体ないお言葉です。本来でしたら、もっと豪勢な食事でないといけないのですが……」

「いや、私がこれを作ってくれと頼んだのだ。これでよい。それにな、この年になるとこういう料理の方が良いのだ」

「……ローワ様は変わっておられます」


 ローワ(マルブル国王)は白い髭を揺らして優しげに笑う。


「そうかな。王は多少気が抜けていた方が良いと私は思うのだ。もちろん重要な場ではきちんとしていないといかんが、普段は抜けていた方が臣下が真面目に働くようになる。常に気を張っていては臣下も疲れてしまうからな。なにより、そのほうが私が楽だからだ」


 そう言って笑いながらパンをスープに浸して食べ続けるローワを見てライン少年は苦笑する。


 本当に、この御方は変わっている。


               ☆・☆・☆


 ラインが、ここにローワ王を監禁して見張っているように本国から命令されたのは4ヶ月ほど前だ。


 アーンゲル大陸歴947年 1月9日

 帝都カタストロフの宮廷にて――。


 赤い光(・・・)で冬都マルブルが焼かれて戦争が終わった冬、カタストロフ王城の給仕見習いとして忙しく働いていたラインに突然異動命令がかかる。その異動先が、雪にまみれた北部の大森林の中の小さな小屋だと聞かされたときは言葉を失った。

 そんな僻地へ飛ばされる自分は何かとんでもない失敗をしてしまったのではないかと落ち込むラインだったが、見る者を安心させるような笑顔を浮かべた宰相から直々に呼ばれ、妙に温かい部屋で事の詳細を聞かされると、彼はまたも言葉を失う。


「捕虜として捕らえたローワ王を逃がさないようにしばらく見張って欲しい。これはキミにしか頼めない事だ」


 様々な疑問が一瞬だけ脳裏を過るが、ラインが口にしたのは次の言葉だけだった。


「かしこまりました」


 下っ端の自分がどう思おうと、上からの命令には従わねばならない。それがカタストロフの基本方針だ。ラインだけではない。カタストロフの子供は皆そういう教育を受ける。そうすれば戦場で兵が迷うことが無くなり、皆が一丸となって行動できる。そしてカタストロフという国は強固になり、大陸を支配できると教えられてきたのだ。

 そして、皆が皆それが正しいと信じている。


「キミが行くところは今は雪に埋もれている。とても寒い。私は寒いのが大嫌いでね。ちらつく雪も嫌いだ。キミはどうかな?」

「大丈夫です。どんな所でも自分の仕事はやり遂げます」

「そうか。やはりキミに頼んで良かった。色々と準備もあるだろう。荷物をまとめて明日の朝、ここへ来なさい」


 燕尾服の宰相から優しい声でそう伝えられると、自分でも不思議なくらいやる気が出てきた。


 ラインの異動は異常なほど滞りなく進み、肩に金の線が入った給仕長もラインが突然出て行くことに何も言わなかった。緊張と不安で眠れないので、遠くで暮らしている両親への手紙を書いて夜を過ごした。もちろんローワ王を見張るためなどと書けるはずもなく、ただ異動することになったことと、これまで貯めた僅かばかり給料を感謝の言葉と共に添えた。そして翌朝に給仕長に手紙を託し、荷物を背負って指定の時間通りに宰相の元へ赴く。宰相は昨日と同じようにパリッとした燕尾服を着ていた。


「時間に正確だなキミは。とても好感が持てる。ああ、防寒具はすぐに着た方が良い。あそこはここよりずっと寒い」

「はい」


 何故今なのかと疑問に思うこともなくラインは言われたとおりに荷物から防寒具を取り出し、着込んでいく。上官が防寒具を着ろと言ったら真夏だろうと着るのだ。防寒具と言っても、この世界にそんなに優れた防寒具はなく、早い話がただの重ね着だ。下級でも貴族のラインは、綿の入った上着を最後に着られるが、庶民は本当にただの重ね着で冬を凌ぐしかない。


 着膨れてもこもこになったラインの額に汗が浮かぶ。冬真っただ中の一月だと言うのに、この部屋は異常に暖かった。暖炉はあるがそれだけでここまで暖かくはならない。ラインは知る由もないが、これも古代遺産を使って部屋を暖めているのだ。


「じゃあ行くよ。心配はいらない。次に目を開ける頃にはそこに着いている」


 宰相が優しく笑って指を弾くと、足下から朝日のような光の柱が現れ、そのまぶしい光にラインは目を閉じ、次に目を開けたときは暖かな宰相の部屋ではなく、雪に埋もれた森の中の小屋の前に立っていた。


 先ほどまで自分は宰相の私室にいたというのに、どうしてこんな深い森の中にいるのだろうか。あまりにも突飛な出来事にラインは目を白黒させるが、この肌を刺すような寒さは現実のようだ。凍った空気を吸い込むと、鼻の奥がツンとして涙が出てくる。


 そして奇妙なことに、周囲には2メートルを超えるほど雪が積もっているのに、小屋とその周りだけはあまり積もっていない。まるで、ここにあった雪をくり抜いて小屋を置いたように。


 新年を迎えたばかりの冬の森の中は白と灰色に包まれ、陰鬱とした雰囲気を醸し出している。雪が音を吸い込むので辺りは耳鳴りがするほど静かだ。木々が邪魔してあまり見えない空は、雪こそ降っていないものの濃い曇天である。ライン少年は、鼻っ柱をほんのりと赤くして、白い息を吐いて目の前の小屋を見上げた。


 小屋は、白い石を使った二階建ての味わい深い作りになっており、上級貴族が避暑地に建てる別荘を小さくしたように見える。屋根の傾斜がきつくなっているので雪は全て下に落ち、小屋の中で雪に潰れされることはなさそうだ。小さな窓がいくつか付いているが、全てにガラスがはまっている。しかもよく見ると二重窓になっている。


 だが、小屋の様子をじっくりと眺めるよりも前にやらねばならぬことがあった。この小屋に監禁されているというローワ国王に会わねばならない。会うだけでなく、今日からしばらく他国の国王と二人っきりで一緒に生活をしなければならないと思うと、成り上がり下級貴族の末っ子であるラインは緊張で息苦しくなってくるが、ここまで来たらもはや逃げることはできないのだ。というより、この小屋から離れたら間違いなく生きて戻ってこれないだろう。


 白い息を吐きながら雪の道を歩くと靴の底からギュ、ギュと音がする。自分の歯がカチカチ鳴っているのは寒さのせいか、それとも緊張のせいか。しかし、やらねばならない。それが宰相様から与えられた仕事なのだ。


 ラインは意を決して玄関の戸に手をかける。


「失礼します……」


 恐る恐る入った屋内は薄暗く、そして狭い。だけども暖かかった。狭い方が熱が溜まるのでラインとしてはありがたかった。北国では寒さを凌ぐために壁を分厚い石壁にしていると聞いていたが、なるほど、確かに木やレンガではここまで暖かくはならないだろう。


 入って正面に上へ続く階段があり、右手側には食料を備蓄する場所と小さな調理場がある。そこには、さっき採れたばかりというような新鮮な野菜や果物が並んでおり、肉類もいぶされていたり塩漬けにされて保存されていたりと、ついさっきまで誰かがここで生活していたように見えた。

 いや、誰か、ではない。ここにはローワ王が監禁されているのだ。家の中なら自由に動けるのだろうか。だが、雪に閉ざされたこの辺りで作物が取れるとは思えない。どこかに保存していたのだとしても、通常の保存方法ならばここまで瑞々しくは残っていないだろう。いったいどんな方法なのだろうか。


 左手側にはこぢんまりとした一室があり、おそらくそこが自分の寝床だろう。その部屋には暖炉があり、今もパチパチと薪の爆ぜる音が聞こえる。自分だけの個室があり、さらに暖炉まで設置されているとなると、まるで上級貴族にでもなったようだ。そして左奥は壁になっている。後でわかったのだが、そこは薪などが貯蔵されている倉庫で、何故か外からのみ入れるようになっているようだ。

 ラインは建築に精通していないので、この小屋の放つ妙なちぐはぐ感には全く気づかなかった。ただなんとなく居心地の良い小屋だな程度にしかとらえていない。


「誰かいるのか」


 いきなり自分以外の声が聞こえてラインは口から心臓が飛び出しそうになる。


「強盗の類なら好きな物を持って行け。変な話だが、私もここに来たばかりで何があるのかわからないのでな」


 老実とした声が二階から届いてくる。

 そうだ、まずはご挨拶をしなければならない。あまりにも奇妙なことが連続して起こっていたので本来の目的が栗色の髪の頭から抜け落ちてしまっていたのだ。早くも失礼なことをしてしまったと焦るラインだが、とにかく自分が強盗ではないことを知らせねばならない。


「僕……あ、いえ、私は強盗ではありません。ラインと申します。ご挨拶が遅れたことをお詫び申し上げます。今日からここでローワ国王陛下にお仕するよう仰せつかった者です」


 階段を上りながらラインは説明をし、その部屋への前へ歩いていく。


「……ふむ。そういうことならばこの部屋へ入ってきてくれ。自分の置かれている状況を知りたいのだ。扉越しではゆっくりと話もできんのでな」


 やけに素直に入室を許してくれたが、自分がもしも本当に強盗で嘘をついているとは考えないのだろうか。しかし、ラインとしても部屋に入らないと始まらない。入っても良いなら入るべきだ。


「か、かしこまりました。失礼します」


 ラインが部屋の扉を開けると、外の木に乗っていた雪が地に落ちた。

16/06/10 本文に日時を追加。

16/09/29 サブタイトル変更「旧:賢王と少年と雪」

16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)

17/03/28 文章微修正(大筋に変更なし)

17/03/30 文章微修正(大筋に変更なし)

17/05/02 文章微修正(大筋に変更なし)

17/07/13 文章微修正(大筋に変更なし)

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