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第四二話 「弁舌軍師」

 太陽がのんびりと青空の海を泳いでいる。


 中庭に集められた兵士たちは、きちんと整列して、城壁上の天使と王太子をじっと見つめていた。


 オネット・リオン・ビブリオの三人は、ヴァンとレージュが立っている城壁の先にある見張り塔への入り口で王太子殿下(ヴァン)に三者三様の眼差しを送っている。これはヴァンからの指示で、兵たちは、リオンやオネットに見られていると、本心を隠してしまうからだ。スーリは一般兵と同じように下にいる。

 オンブルたち義賊団にも声を掛けたのだが、「俺たちはヴァンを信頼している。今更話を聞くまでもない。見張りでもやっているさ」と断られてしまった。



 こうしてヴァンと並んで上から見ていると、やはり不満の残る兵士は多いとレージュは思う。ここで一気に解消してやらないと今後の作戦に支障がでる危険性があるのは間違いない。戦いの日は近いのだ。


「ヴァン殿下から皆に話があるそうだ」


 ここで静聴しろだの黙って聞けだの言うと兵士たちは自分(蒼天の軍師)に従って聞いてしまうだろう。そうならないように、彼らへの干渉は最小限だけにとどめておく。この場は、あくまでヴァンと兵たちだけなのだ。


 レージュが目配せをして下がって、ヴァンが一歩前に出てくると、場内の空気がより引き締まる。そして彼らは気づく。ヴァンの頭の上に乗っている大理石の王冠に純白の羽が付いていることを。


 平原で最初に出会ったときには王冠に羽は付いていなかったはずだ。天使の羽はマルブルでは最高級の勲章である。天使(レージュ)があの赫赫(かっかく)盗賊(・・)を認めたというのだろうか。



 ヴァンは、一度大きく深呼吸してから話し始める。


「みな、忙しい中よく集まってくれた。少しだけ俺の話を聞いて欲しい。あー、まず言っておきたいのは、戦争なんざ下らねえもんだという事だ。国と国、王と王、地位だ名誉だ領土だ資源だ、とそれぞれが自分の国の力を振るってつぶし合う。勝手にやってろ。俺は今までそういうことから逃げてきた。遠ざかってきた。一生関わりたくねえと思っていた」


 城内がどよめきだす。ビブリオも心配そうな目を向けているが、オネットとリオンは黙ってヴァンの背中だけをじっと見つめている。


「戦争は民衆を苦しめ、飢えや貧困を作り出す。戦争なんぞ糞食らえだ。武力を振りかざし、弱者をいたぶり、そのなけなしの財産を搾り取る。俺はそんな戦争が嫌だった。戦争に巻き込まれるなんて、ごめんだった」


 見張り塔の入り口までレージュがやってくると、ビブリオは慌てたように耳打ちする。


「レージュ、これは殿下が兵との結束を結ぶものではないのですか?」


 近いうちに(いくさ)に出るというのに、総大将が戦争など嫌だと言ってしまっては兵たちはどう思うだろうか。ビブリオはそう言っているようだ。


「そうだよ」

「でしたら、もっと兵たちを鼓舞するような内容にしないと……」

「ヴァンが伝えたいのはそういうことじゃないと思う」


 皆目分からないと言った風な顔のビブリオにレージュは悪戯っぽく微笑む。


「ヴァンは、兵たちと友達になろうとしているんだよ」

「友達……? 王太子殿下と兵が……?」


 頭を抱えそうになるビブリオを、もうレージュは見ていなかった。



「だが!」


 ヴァンが声を張り上げ、兵たちの心に全力で語り続ける。その額には汗が浮かび、一言一句に彼の魂の言葉が乗っている。


「だが、やらなきゃならない戦いはある。逃げちゃいけない戦いはある。自分の仲間を、自分の家族を傷つけられて黙っていられるわけがない。それから逃げるのは臆病者のする事だ。復讐だ報復だと聞こえは悪いかもしれねえが、やられたらやりかえす。それができずに縮こまって震えているのだけは我慢がならねえ!

 俺だって仮にもマルブルの出身だ。あれは世界一美しい都だ。断言できる。俺を育ててくれたお袋もいた。そして、親父はマルブルの王だ。その国が焼かれた。この戦いは俺に関係のない話じゃない。俺だって当事者だ」


 オネットとリオンも真剣な面もちでヴァンの言葉を聴いている。


 ヴァンは一度大きく息をつく。


「俺は、人が人として生きる世界を作りたい。戦争だ古代遺産だと争い苦しむ世界を見たくないんだ。だが、俺には武力が、財力が影響力が、力が足りなかった。だから俺は目を閉じて世界を見ないようにした。現実に絶望して義賊にもなった。平和な世界など、所詮世迷い言だと諦めかけていた。

 そんな時、天使が俺の目を開けてくれた。俺に賭けると言ってくれた。義賊をやって冷え切っていた俺を目覚めさせてくれた。だから俺も天使に賭ける。命を含めて全てを賭ける。先のデビュ砦奪還作戦で俺はレージュと共にキメラを討った。レージュが策略を用いて華麗に打ち勝った様を、お前たちも見ただろう。そのときに確信したさ。こいつといれば絶対に勝てると。その勝利の女神が俺を選んだ。ちょっと前まで義賊だった俺を選んだんだ。俺をマルブル王の息子だと信じてくれるなら、俺の夢を望んでくれるなら、俺は全力でお前たちを掩護(えんご)する」


 腕を振り払って外套(がいとう)をはためかせ、赤銅の髪を赫赫とさせて、玉の汗を飛ばしながらヴァンは宣言する。


「約束する! 勝利の女神とともに侵略者カタストロフをマルブルから一掃することを! 捕らわれた国王を救いだし、再びマルブルに世界一の美しさを取り戻すことを! そして、このアーンゲル大陸から争いを排し、誰もが苦しまずに生きていける世界を、真の平和をここに約束する!」


 ヴァンの魂からの声が反響して砦に、青空に、地面に、兵に、世界に浸透していく。




 兵たちは、ヴァンが言ったことを以前に聞いたことがある。

 言葉は違うが、彼らが忠誠を誓った賢王ローワも同じことを言っていた。


『争いを排し、真の平和を』


 今、赤銅の髪の男は、ローワ王と同じ世界を見ている。

 同じ王冠に同じ天使の羽を付け、同じ夢を望んでいる。


 ならば、自分たちが()にすべきことはなんだ。


 


 ヴァンは荒い呼吸を整えようと一度深呼吸して演説を終えた。


「……以上だ。静聴、感謝する」


 胸の内は語りきった。自分にできることは、全力でやった。これで駄目だったら、また別の手を考えるしかあるまい。


 一瞬の静寂が砦内を支配する。


「ヴァン王太子殿下万歳!」

「ヴァン王太子殿下万歳!」


 刹那の無音の後、城内が兵士たちの雄叫びで満ちる。彼らは腕を振り上げ、城壁上のヴァンに期待の目を向けている。


 もはや彼らはヴァンを義賊上がりの男として見ていない。

 王の選定をする伝説の天使が見定めた王太子として仰いでいる。


 彼にならば、自分たちの力を尽くしたい。

 彼の理想のために尽くしたい。


 その思いは歓声となり、城壁の外にまで響き渡った。


               ☆・☆・☆


「ね、大丈夫だったでしょ」


 力が抜けたかのように壁に手をついているビブリオに微笑みかけるレージュだが、彼女も直前まで呼吸することを忘れていた。


「あいつには元々人を引っ張っていく力がある。だからこそ、俺たちみたいなはぐれ者をまとめられるんだ」


 そんなときに突然背後から話しかけられ、レージュとビブリオがびっくりして後ろを向くと、オンブルがニヒルな笑みを浮かべて立っている。どうやら気配を消して下から上ってきたらしい。


「……音も無く背後に近づくの禁止」

「義賊の癖でな」


 しかしヴァンの演説を聞かないと言っていた彼がなぜここにいるのか。


「聞かないんじゃなかったのか」


 リオンがそれを皮肉る。


「あんだけでかい声出していればどこにいても聞こえちまう。どうせ聞こえるんなら近くで見ておこうと思ってな」

「素直じゃないねえ」

 と、レージュ。


「んで、どうだい。俺たちの団長様はよ」

「この声を聞いても説明が必要か?」


 リオンが腕を組んだまま中庭の方を(あご)で指す。ヴァンが手を振っている中庭からは割れんばかりの歓声が轟いている。


「やれやれ、騎士さんたちもようやく分かってくれたか。鎧ばっかり着込んでるから頭まで固くなっちまうんじゃねえか?」

「にひひ、言えてる。中でもオネットの頑固さは凄かったもんね。あたしが軍師になったときなんかさあ――」

「レージュ。その話はもういいだろう」


 オネットが慌ててレージュの話を止めに入る。


 ローワ王の一任でレージュが軍師に選ばれた際、ほとんどの将校から反対の声が出た。幼子に戦争の何がわかると、遊びで兵を動かされてはたまらないと、至極真っ当な意見が彼らの口から出てきた。その中でも特に強く反対していたのがオネットだ。結局はレージュの素晴らしい采配に考えを改めるのだが、そのときの話は今でもマルブル騎士団の将校の間では語り草となっている。


 するとそこへヴァンが袖で汗を拭きながらやってくる。レージュとオンブル以外は膝を折って頭を垂れた。


「なんだなんだ、人が真面目に頑張っているのにこんなところで楽しそうな話してるじゃないか」

「おう、ヴァン。なかなか王太子が板に付いてきたじゃねえか」

「茶化すんじゃねえよ」


 オンブルを小突くヴァンの顔には達成感が浮かんでいる。


「お疲れ、ヴァン」

「殿下。お見事な演説でした。これで兵たちも一丸となって殿下の剣となり盾となりましょう」


 レージュとオネットもヴァンの苦労を労う。


「ああ。見守っててくれてありがとうな。お前たちがいなかったらここまで喋れなかったかもしれない」

「にひひ」

「もったいないお言葉で」

「それにしても、やはり緊張するなこういうのは。レージュが平原で疲れ切っていたのもわかるな」

「そうでしょそうでしょ。もー肩こっちゃうよね。あたしはもうやりたくはないね」

「同感だな」


 仮にも王太子と軍師が『演説は肩が凝るから嫌だ』などとのたまっているのを見て、ビブリオは軽く目眩を起こすが、リオンは愉快そうに低く笑っている。


「オネットたちも楽にしてくれ。兵が見ていなければ頭を下げる必要はないと言っただろう」


 敬われるのを苦手とするヴァンは頭を下げられるとむず痒くなるのだ。


「いえ、これは我々が頭を下げたくなったから下げているのです。まことに、お見事にお役目を果たされまして……」

「そうですかい。んじゃお言葉に甘えますかね」


 オネットが感動で震える声を絞り出している横でリオンが事も無げに立ち上がった。オネットはため息を付いてからヴァンを見、彼がうなずくのを確認してから立ち上がる。


「……リオン。貴公はもう少し殿下に対する敬いの心をだな――」

「その殿下が楽にしろと言ったのだ。あのまま膝を折っていた方が殿下のご意志に逆らうのではないか?」


 そうは言っていないと食い下がるオネットだがリオンはどこ吹く風である。


「で、なんて言ったんだ?」

「何がですか?」

「オネットが初めて会ったレージュに何を言ったかが気になるんだが」

「殿下、後生ですからその話は蒸し返さないでいただきたいのですが……。あの頃はまだ未熟でした故、物事をちゃんと見れなかったのです」


 恥ずかしがるオネットを見てレージュはにひひと笑う。


「あれはもう四年くらい前だっけ。あたしが八歳だか九歳の時にマルブルで軍師になったんだけどね。そのときにローワの爺さんがオネットたち将軍と上級将校を集めてあたしを軍師として紹介したのさ。そうしたらオネットが『陛下、ご乱心召されましたか。こんな(ちい)』むぐっ」


 オネットは、自分の口真似で言い掛けたレージュの小さな口を塞ぎ、軽々と持ち上げてヴァンに一礼する。


「では殿下。私はこれにて失礼いたします。さてレージュ、できあがった罠を点検に行こうか。下で集まっていた兵たちも外に出さなくてはな」


 レージュを抱いて逃げるようにオネットが去った後、リオンが大声で笑い出す。


「まったく、いつまで恥ずかしがっているのやら。そう考えているのだからあの小娘(レージュ)に今でもからかわれるのだ」

「リオンは何を言ったのか知っているのか?」

「あの時に俺は奴の隣にいましたからもちろん知っておりますが、話すことはできませんな。俺が殿下にその話をしたのがバレたら、一年間はずっとグチグチと説教を聞く羽目になるのでな」


 そう言って去っていくリオンは足を止め、ヴァンの方を振り返る。


「殿下」

「なんだ、リオン」

「どうかご自分の夢に押しつぶされぬよう、お気をつけを。殿下は潰れてしまうには惜しい人だ」

「……ああ、大丈夫だ。ありがとう」


 改めて感じる自分の掲げた理想の重さ。今はまだ自分で持てているが、この先どんどん膨らんでいくだろう。そして、夢が重くのし掛かられたとき、自分は耐えきれるのだろうか。いや、耐えきってみせねばならない。

 俺は、必ずこの夢を実現させる。



 人が人として生きる世界。それは確かに素晴らしい世界かもしれない。しかし、そんな世界は現実にあり得ない。人は、弱い。弱さ故に幸福な者を妬み、弱さ故に力なき者を虐げる。人が人である以上、戦争の無い平等な世界などあり得ないのだ。

 ヴァンの演説を聞いてからビブリオはずっと黙ってそのことを考えていた。人には限界があるのだ。その限界を超えて人は進むことはできない。無理に進めば、待っているのは残酷な最後だけだ。そうならないように、自分が殿下の進む道を、マルブルの行く道を正しく示させねば……。

16/09/29 サブタイトル変更「旧:赫赫の夢」 文章微修正(大筋に変更なし)

16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)

17/03/29 サブタイトル変更「旧:辯舌軍師」 文章微修正(大筋に変更なし)

17/06/20 文章微修正(大筋に変更なし)

17/07/12 文章微修正(大筋に変更なし)

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