第四話 「猿轡軍師」
この世界で天使というものを目にすることがあるとすれば、書物や伝承の中でしかありえない。現実に見るのはいずれもまがい物ばかりで、見世物小屋の中と相場が決まっている。だが、少女の翼は彼女自身の体にとても馴染んでおり、生まれ持ったものだとヴァンの審美眼は見抜く。
天使の少女の姿を見た途端、藁束頭の男が勢いよくドアにぶつかって大きな音を立てる。
「どうした? オンブル」
「ああ、いや、何でもねえ。あんまり可愛いんで驚いちまっただけさ」
「驚くのも無理はありやせん。あっしも初めて見たときは腰を抜かしちまいましたから。こいつは翼が生えていやすが、キメラってわけじゃありやせんぜ。正真正銘のモノホンの翼でさ」
キメラとは、古の技術の力によって動物と合成された人間のことである。その技術はある日突然この世界に現れ、人類はそれを古代遺跡と名付けた。
翼を持つ少女は膝を立てるように座り直し、ヴァンをじっと見つめている。
「……こいつはとんでもない掘り出し物だ。おとぎ話の中からでも盗んできたのか?」
その少女は、現実であることを誇示するように片翼をはばたかせた。すると盗賊たちは一斉に喚きだす。
「すげえ! 本物の天使だ!」
「しかも可愛い女の子だぜ。ちょいと焼けてるがな」
翼を有する彼女には三つ欠けているものがある。一つは右目。二つ目は純白の左翼。そして三つ目は恐怖。さらわれてきた子供だというのに、怯える様子が一切無いのだ。
「ふぁんふぁ……」
少女がなにかを喋っているが、猿轡が邪魔で上手く舌が動かない。ヴァンが取ってやるように言うと、少女を運んできた団員が猿轡を取り外す。
「ふー。さらわれるってのもなかなか貴重な体験だったよ。……あんたがヴァンだね?」
両手両足を荒縄で縛られて強面の盗賊たちに囲まれているのに、毅然とした態度で隻眼片翼の天使は問う。小さな鈴が転がる音のような声にヴァンは笑い声を浴びせる。
「どうやら俺の名声は空の上にまで届いたらしい。古代遺跡の天使様が驚いて落っこちてきたようだぞ」
ヴァンの冗談に団員たちは声をそろえて豪快に笑う。
「そうだぜお嬢ちゃん。俺がヴァンだ」
「ふーん、思ったよりも老けてるね……。とりあえずこの縄を解いてもらえない? こんなんじゃ対等に話もできないからね」
そう言って縄をヴァンにつきだしてくる。どこまでも恐れを知らない少女らしい。
「そりゃあできねえ相談だ。折角の上玉を逃がすわけにはいかないからな」
「逃げないよ。あたしはあんたに届け物を持ってきたんだから。……いいや。自分で切る」
そういって少女は、頭に乗っている十字架のサークレットに両手を縛る縄を当てると、荒縄はすっぱりと切れてしまう。
「よっと」
自由になった手でサークレットを持って足の縄も切断して立ち上がる。なぜあんな古ぼけたサークレットで縄が切れるのかわからないが、これで少女は自由になってしまった。
「……おい、なんで誰もあのサークレットを奪わなかったんだ?」
危険なものには見えなかったが、さらってきた人間は薄い衣類以外すべての装飾品をはぎ取るという手筈になっている。それが彼らの常識だった。
「奪おうとしたんだが団長、近づけただけで手が切れちまうんだ」
「まるで鎌鼬ですぜ」
「棒とかで引っかけて取ればいいだろう」
「駄目なんだ。鉄製の槍でもみじん切りになっちまった」
「それにめちゃくちゃ睨んでくるんでさ!」
「……そういう大事なことは早く言え」
折角のお宝が自由になってしまった。さしものヴァンも顔から余裕が消え、焦るように指だけで団員たちに指示を飛ばす。アジトの中に緊張が走り、何人かが素早く動いて出口と窓をふさぐ。
翼があることを除けばただの少女なのだが、団員たちの誰もが、何故か彼女ならこの状況を打破することができるのではないかと考えていた。団員たちに動揺が芽生え、お互いの顔を見合わせ始める。
「狼狽えるな!」
その団員たちを一喝の下に黙らせたのは、剛毅な団長のヴァンではなく、さらわれてきた少女の方だった。時間が止まったように動かない団員たちを見て、少女は「よし」と小さくうなずく。
「警戒しなくても逃げないよ。あたしは誰かに平伏したり叩頭するのが大嫌いなだけだから」
十字架のサークレットを頭に引っかけ直すと、少女は一人の団員を指さす。
「そこのあんた。あたしから奪ったものの中にどうやっても開かない大理石の箱があったでしょ。それを持ってきて」
天使は、恐怖で怯まないどころか盗賊たちを顎で使おうとしている。あまりにも異質な少女の行動に、彼らの時間は戻り、ため息と共に呆れかえる。
「――なんなんだ、こいつは」
16/03/13 文章微修正(大筋に変更なし)
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