第三八話 「分裂軍師」
「まだです」
オネットがヴァンを制止させた瞬間、リオンが残った剣で切り上げると、レージュはアームを使って地面から飛び上がって木に張り付いて避ける。
まだ、戦いは終わっていない。
リオンの方を向いたレージュは荒い息をつきながらアームを後ろに回して木をよじ登っていく。笑ってはいるが流れる汗は滝のようだ。クレースの活動限界も近いのだろう。対キメラの時は終わった後も余裕そうだったから、いかにリオンが強いのかが窺い知れる。
しかし、武器も持たずに木に登って何をするのだろうか。ヴァンが疑問に思っていると、レージュは葉の生い茂る枝の一つにアームを伸ばし、枝葉の中から一本の剣を取り出す。何時の間にそんなところに隠していたのかと思ったが、さっき目潰しの土を掴むために放り捨てた剣が一本あることを思い出す。
レージュがそこまで計算して戦っている事にヴァンは舌を巻いた。
取り出した剣をアームではなく自らの手で持ったレージュを見てリオンが舌打ちすると、レージュも同時に舌打ちした。
滝のような勢いで木から飛び降り両手で握った剣で切りつけるレージュを、同じく両手で剣をしっかりと握ったリオンが待ち受ける。
「ラァッ!」
「オオッ!」
激しくぶつかり合うと、両者の剣は折れ、リオンの額には細く赤い筋が走る。互いに素手になった。リオンは舌打ちをしてすぐさま徒手の構えに切り替え、レージュの着地を狙って回し蹴りを入れようとするが、その鞭の様な鋭い蹴りはレージュの顔に触れる直前で止まる。
「時間切れだ」
リオンが一度舌打ちをして息を吐くと、レージュは着地してそのまま前のめりに倒れる。それと同時に六本腕のアームを構成していた十字架がバラバラになって元のサークレットの形に戻り、リオンの背中に張り付いていたクレースの一部も剥がれ、ひとりでに元の位置に収まる。
オネットが止める必要も無く、ヴァンがレージュに駆け寄ると、彼女は地面に突っ伏したまま小さな寝息を立てている。クレースの活動限界がきたのだ。
しかし、あの顔面を床に打ちつけた時といい、本当に突然寝るんだな。これではうかつに戦闘で使えないのも頷ける。もし戦っている相手が敵だとしたら、確実に殺されているとヴァンは考える。
ヴァンがレージュを抱き起こして顔をのぞき込むと、土の付いたあどけない寝顔に思わず口元が緩む。しかし、その浅黒い肌には火傷の痕が走り、右目の眼帯の奥には何もない。戦争に敗北し、左翼と共に奪われたのだ。だが、それでもなおレージュは立ち上がって戦いに身を置く。不安から嘔吐し、押しつぶされそうになっても、懸命に前を向き、決して足を止めることなく進み続けている。
強い。心の底からそう思った。
レージュは、強すぎるほどに強い。
強すぎて、不安になるほどに。
だが、いくら強くても彼女はまだ少女だ。表には出さないが無理をしている所もある。支えてやると約束したからには、俺も、もっと頑張らないといけない。
レージュの心の荷物を、半分持てるようになるために。
ヴァンはクレースに触らないように注意しながらレージュを抱き抱え、柔らかな顔に付いた土埃を指で優しく払い落とし、お姫様だっこで城内へ戻ろうとする。しかし、思いのほか片翼が邪魔で抱えにくい。仕方なく背に負い直した。
「殿下のお手を煩わせずとも私が運びます」
「いや、俺にやらせてくれ」
「ですが……」
食い下がるオネットにリオンが無言で肩を叩く。そうすると、もうオネットは何も言わなかった。
☆・☆・☆
ヴァンが砦内に入っていくのを見届けると、リオンが低く笑う。
「俺は殿下を好ましく思えてきたな」
「なんだ、突然」
「調練用の木剣だが、剣と剣で語り合った。今は迷いで鈍っているが、本質は荒々しく芯のある真っ直ぐな剣だ。そういう剣を振る奴は嫌いじゃない」
「それなら私だって殿下のことはお慕いしている」
「どうかな。お前は殿下個人を本当に慕っているか。王太子殿下だから敬っているのではないか?」
「馬鹿なことを言うな、リオン。私は常に祖国マルブルの事を想っている。たしかに殿下は義賊という暗い道におられたが、そんなことは関係なくいずれマルブルの王となられる御方だ。臣下が王を敬うのは当然だろう」
「そういうことじゃねえんだがな」
やや不真面目なリオンは平民の出で、武力一つで将軍の地位までのし上がってきた。貴族出身の真面目で石頭なオネットよりはヴァンに近い存在だ。ヴァンの考えることはオネットよりわかっているという自負はある。
「あまり殿下をいじめてやるなよ、オネット」
人が人らしく生きる世界。ヴァンの理想は絵空事に等しい。しかし、リオンはヴァンの瞳と剣に何かを感じた。この固まりきった階級社会にヴァンがどこまであらがえるのか、それの終結を見るまで、ヴァンが潰されるのはおしいとリオンは考えたのだ。
牢屋から解放されて初めてヴァンに出会ったとき、少年のように輝く彼の金色の瞳には夢と理想が詰まっていた。その光は、今では囚われの王ローワに似ていた。しかし、今はその光も少し鈍っている。余計なことで頭を悩ましているからだ。そしてその悩みを取り除くのは自分じゃない。最も近しい友か、小娘がその役目に相応しいだろう。
砦に戻ろうと踵を返したリオンだが、レージュの事を思い出して舌打ちする。
それにしても癪に障る小娘だ。
あの小娘は最後の一太刀の時、クラーケとかいうタコではなく別の人間をマネしていた。あの舌打ち、あの力、他ならぬ自分のマネだ。しかも、マルブルが敗北して牢につながれる前の、全盛の頃の自分の力だった。もしも古代遺産の時間が切れていなかったとしたら……。
勝負には勝ったが、自分に負けた。リオンは額の血を乱暴に拭って振り返る。
「オネット、少し付き合え」
「無理はするなリオン。貴公は先日まで牢につながれていたのだぞ。近くに戦いも始まる。治療に専念しておいた方が良いのではないか」
「戦うことが俺の治療法だ。お前も知っているだろう、堅牢地神よ」
「仕方のないやつだな、獅子将軍は」
リオンは調練用の剣と盾を拾い上げてオネットに投げ渡す。オネットは笑みと軽いため息を一つ吐いてそれを受け取った。
☆・☆・☆
王太子として頑張ると決めたは良いが、具体的にどうすればいいのかまだ分からない。そんなことを考えながら砦の廊下を歩いているヴァンに声がかかる。静かで知性のある声だ。
「殿下、こんなところにいらしたのですか」
ヴァンが嫌そうな顔で声のした方を向くと、ゆったりとしたローブを着て眼鏡をかけた銀髪の青年が呆れたような顔で立っていた。
「殿下、感情はあまり表に出さず奥に隠しておくものです。それに、王太子としての勉強は、部屋を抜け出す技術を上げるものではありません」
「椅子にあんなに長く座ってたら玉座に座る前に俺が玉座になっちまうぞ。ちゃんと話は聞いているから大丈夫だ」
「そうですか」
ビブリオの眼鏡がキラリと光る。
「ではアーンゲル大陸暦936年にローワ陛下が行われた施政を三つ以上お答えください」
「……」
「……」
背負ったレージュの小さな寝息だけが聞こえる。
「……それにだな、何も勉強から逃げるためだけに抜け出したわけじゃない。リオンに鍛えてもらってたんだ。俺自身が強くなれば自分の身は自分で守れるし、戦場でも戦えるじゃないか。悪い事じゃないだろう」
「殿下、兵士たちが泣きますよ。何のための兵ですか。殿下は戦わないでもよろしいです。前にも申し上げたでしょう、殿下のすべきことは――」
「わかったわかった。俺が悪かった。とりあえず今はこいつを部屋に寝かせてやりたいんだ。それが終わったら勉強でも書類仕事でもやってやる」
ビブリオがメガネの位置を直す。
「本当ですか?」
「本当だ。俺は約束を必ず守る男だ」
「途中で歩いたりわざと迷ったりして時間稼ぎもしませんか?」
「俺はそういう姑息なことはしない。やると言ったらやる」
「それでは今後も仕事や勉強の途中で部屋を抜け出したりしませんね?」
「それはまた別の話だ」
逃げるように会話を打ち切って走り出す王太子の背中を見てビブリオは眼鏡の位置を直してため息を漏らす。
自分の仕事に戻ろうと踵を返すと、ビブリオの正面の通路を何かが横切った。
「……今のは?」
見間違えでなければ、ビブリオが見たものは金色の小さな姿だった。小さな金色というとレージュを思い浮かぶ。そして、はっきりとは見えなかったが、白い翼のようなものも見えた気がする。
だが、今レージュは殿下の背で眠っており、たったいま後ろの通路に消えていった。ヴァンが走っていった方向とレージュらしき姿が通り過ぎた通路は真逆であり、仮に彼女が起きたとしても、今この瞬間に自分の正面を通り過ぎるなんて不可能だ。
考えても答えは出そうにないので、レージュらしき姿が向かった通路の方へ向かう。
「レージュ?」
しかし、ビブリオが通路をのぞき込んだときにはレージュどころか誰もおらず、ただ北国の夏の風だけが吹いていた。
「……見間違いですか」
はっきりと姿を見たわけではない。思い返してみれば義賊たちのなかに金髪の子供もいた。おそらく考えている間に子供は走り去っていったのだろう。視界の端に金色と白色が通り過ぎたのでついレージュだと思ってしまっただけだ。
「さて、先に殿下の執務室に行って書類を整理しておかなければ」
不思議な体験はひとまず頭の隅に追いやり、ビブリオは再び歩き出す。
その栞のような細長い後ろ姿を、通路の影からこっそりと覗く存在がいることに、ビブリオは気づかなかった。
「ニヒヒ……」
16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)
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