第三五話 「御褒美軍師」
レージュの瞳が赤くなってきた頃、村人に作戦の用意をさせてくると言ってヌアージが部屋を去っていくと、レージュとヴァンは揃って藁半紙に視線を移す。
「もう開けてみても良いよな」
「たぶんね。さて、どんな面白い事が書いてあるのやら」
レージュがゆっくりと藁半紙を開いて中身を見た時、レージュの夕日の隻眼が大きく見開かれる。
「俺にも見せてくれ。なんて書いてあるんだ?」
「……ヌアージ」
「何だと?」
レージュは紙をヴァンに見せる。そこにはただ『ヌアージ』とだけ書かれている。
「あの爺さんはお前が名付ける前に当てていたってことか? そんな馬鹿な」
「それだけじゃない。この字、あたしの筆跡だ」
「……書いた覚えは?」
「ない」
二人の間に沈黙が流れる。あまりに奇妙な現象に二人とも考え込んでしまったのだ。
先に考えを述べたのはレージュであった。
「一番現実的な答えは、あの爺さんがとても凄い手品師で、他人の字を寸分違わず真似できるという場合だ」
しかしそれでもかなり無理のある話だ。特に、何故ヌアージの名を言い当てられたかが問題である。レージュがどのような名を付けるかは、勘や経験、これまでの名付けのパターンである程度まで絞れるだろうが、先ほど会ったばかりの爺さんが完璧に言い当てるのは不可能だ。
「古代遺産の力というのは考えられないか?」
「それは違うと思う。古代遺産を使ったならクレースが教えてくれるからね。でも、あのときも今もそんな感じは無かった。もっとも、未来を見通す古代遺産があるとして、それで事前にあたしがヌアージの名を付けると予め知っていて、他人の字を真似する古代遺産で書けば成立はするね」
だが、この藁半紙からは古代遺産を使った痕跡すら感じ取れないし、なんでもありの古代遺産の事を言い出したら切りがない。
「結局、答えは出ないか」
「とにかく、これはあたしたちだけの秘密にしておこう。勝手に他の人に話しちゃダメだよ」
「もちろんだ」
秘密の共有となると、ヴァンは少し嬉しくなる。
「不必要に騒ぎを大きくすることはないし、まずはあの爺さんが何者なのか見極めないと」
「追い出すという選択もあるぞ」
「確かにね。でも、それはやっちゃいけない気がする」
「ほう、軍師の勘という奴か?」
クレースを回しながらレージュは笑う。
「天使の勘だよ。クレースがそう言っている」
「なるほどな。俺の鷹の目はあの爺さんを信用できると見たがお前はどうだ?」
「あたしは……」
ヌアージから感じる妙な懐かしさ。この正体が判明するまでは、疑っておいた方がいいだろう。
「頭から信用はしない。でも、今すぐ追い出すこともしない」
「わかった。俺もあの爺さんの事は気にかけておこう」
レージュは藁半紙を畳んでポケットにしまい、自身の瞳と同じ色をした夕日を見つめる。
「で、さっき言っていた良いことってなんだ?」
「あ、覚えてた?」
「当然だ。もらえる物はもらう主義でな」
レージュと同じように歯を見せてヴァンは笑う。レージュもつられて同じ笑みを返す。
「にひひ。さっき嬉しい事を言ってくれたヴァンには特別にクレースを少しだけ触らせてあげようと思ってね」
「本当か!?」
ヴァンの金色の目が少年のようにパッと輝く。
デビュ砦を取り戻す前に、丘の上で砦を眺めているときにクレースに触れようとした事があったが、あの時はレージュが強く拒否したので仕方なく手を引いた。だが、本心としては残念でならなかったのだ。
「ちょっとだけだからね」
「ああ!」
「息、荒いよ」
ヴァンが期待で興奮する中、レージュは細い指でクレースを持ち上げて、頬を紅潮させながらこちらにそっと差し出してくる。普段のレージュとはまるで違うその姿は、どんな妖艶な遊女が服を脱ぐときよりも官能的で美しかった。
「……触らないの?」
あまりにも蠱惑的だったので思わず固まってしまった。レージュの潤んだ声で意識を取り戻し、クレースを両手でそっと受け取る。
初めて、クレースに触れた。
噂ではいくらでも聞いていたが、実際に見、触れるのでは雲泥の差だ。この質感、この佇まい、現存する装飾品では到底及ばないだろう。珍しいものに目がないヴァンとしては感動すら覚える。だが、これは単なる装飾品ではない。世界のバランスを崩しかねない力を持った道具であることを忘れてはならない。
感触は、ゴツゴツとしていて金属のそれに近い。しかし予想より遙かに軽く、この世界に現存するどの金属で作ってもありえない軽さだ。小さな十字架の一つ一つは、どこにも接合面や接着面が見られないのに、互いをしっかりと結びつけている。少し力を入れて引っ張ってもびくともしない。耳を当ててみても、レージュの言うクレースの声のようなものは聞こえない。どうやって変形をさせているのだろうと指先でいじっていると、レージュが俯いて何かに耐えるように身をよじっている。
「にひ――ひ、ん。あっ……」
しかもなにか変な声まで出ている。面白いのでもう少しいじってやると、クレースを触る場所によってレージュの上げる声や仕草が変わっている事がわかる。
「ちょ、ちょっと、もう終……ひゃ!」
レージュがクレースに手を伸ばすが、ヴァンがクレースをいじるとその手も止まる。
なるほど、これはレージュを操っているようで面白いな。
「いい加減にしろバカ!」
赤面したレージュが無理矢理クレースを奪い取ってヴァンの脳天に叩き込む。鈍い音がした。年端もいかぬ少女の非力な力とはいえ、鈍器で殴られればかなり痛い。ヴァンは赫赫の頭を撫でつつ残念そうなため息をつく。
「せっかくコツを掴んできたんだがな」
「……何がコツだよ。変態」
「変態とは心外だな。俺は珍しかったり貴重だったりする物への探求心は深いんだ。古代遺産なんて滅多に触れるものじゃないんだし、色々試したくなるのは当然だろう。もっとじっくり触らせてくれよ」
しかし、レージュはさっさと自分の頭の上にクレースを乗っけて、小さな手で押さえ込むようにしてガードする。
「もうダメ。これ以上は耐えられない。クレースとあたしは一心同体なの。クレースをいじくり回すのはあたしをいじくり回すのと一緒なんだからちょっとは控えてよね」
クレースはレージュが拾われた時から持っていたというが、もはや自分の半身となっているのだろう。もしかしたら、こんな反応をしてしまうから触らせたくないのだろうか。というか明らかにこれはレージュの弱点だ。普段からやたらと警戒するのも頷ける。
「わかったわかった。悪かったな。ちょっと調子に乗っちまった」
まだまだ触り足りなかったが、レージュが無理して触らせてくれたんだ。ここは引き下がっておくべきだろう。それに、なんだか妙に疲れた。
「まったく……。あんまり触ると疲れるよ」
「たしかに。不思議なものだな。ちょっと触っていただけなのに、少し体がだるくなった気がするぞ」
「実際に疲れてるんだよ。古代遺産の代償は知ってるでしょ」
「ああ、古代遺産は使用者の精神力を食うって話だな。触るだけでもこれだけ疲れるのか」
「触るだけだからそれで済んでるんだよ。あたし以外には使えないから変形しなかったけど、もしもヴァンがクレースを変形させたら一瞬で廃人になってもおかしくはないからね。この子は普通の古代遺産とは違って特別なんだから」
「……やはり恐ろしいものだな。古代遺産というものは」
実際に触れてみるとその驚異がまざまざと感じ取れた。クレースの能力は変化で、それを使えば小さな少女であるレージュですら大陸最強のリオンと同じ働きが出来るという。それだけでもとてつもない力だ。そして、直接見てはいないが、マルブルを焼いたという『赤い光』も古代遺産によるものだという。あまりにも強大すぎる。そんなものを、代償があるとはいえ、誰でも使えるというのはこの世界の毒に他ならない。レージュが破壊したがっているのも解る。
「まあ、あたしは天使だからか精神力を食われるってことはないけどね。身につけているくらいなら何も問題はない。でも、人間は大きな力を持っていると使いたくってしょうがなくなる。どんな犠牲がでようともね。だから、古代遺産は全て消し去らなければいけないんだ」
古代遺産を消す話をするとき、レージュはいつも少し悲しそうな顔をする。それもそうだろう。自分の半身であり、唯一無二の友であるクレースもいずれは処分しなければならないのだから。
しかし悲しい顔も一瞬だけで、すぐにいつもの表情に戻る。
「さて、それじゃあ次はご褒美その2だよ」
ご褒美は一つだけだと考えていたので、まさかもう一つあるとは思わなかった。頼るように言ったことがそれほど嬉しかったのだと思うと、ヴァンとしても、想いを打ち明けて良かったと安堵する。
レージュは自身の右翼から羽を一枚引っこ抜く。その淡く光る羽をレージュはヴァンに手渡した。
「はい」
「天使の羽か。なんて幻想的な羽だ」
受け取ったレージュの羽は、まるで重さなど無いように儚く、握りつぶしたらそのまま消えてなくなってしまいそうだった。
「お守りみたいなものだよ。マルブルの人は名誉の勲章だなんて大げさに言ってるけどね」
天使信仰の厚いマルブルでは、本物の天使の羽は確かに勲章のようなものかも知れない。だがヴァンは、名誉の勲章などより以前に、レージュが自分にプレゼントしてくれたという事実の方が嬉しかった。
「ありがとう。大切に保管させてもらおう」
「ああ、服の中にでも忍ばせてて大丈夫だよ。多少ぞんざいに扱っても平気みたいだし。お守りだからさ、持っててくれると嬉しいな」
「わかった。それなら服の中に入れておこう」
しかしこの羽は意外とデカい。翼が大きいのだから羽も大きいのは当然なのだが、これでは服に忍ばせようにも折れたり崩れたりしてしまいそうだ。
「本当に大丈夫なのか? 服の中に入れたら折れそうだぞ」
「大丈夫だよ。オネットなんかあげてからずっと鎧の中に入れてるもん。この前見たときもちゃんと綺麗に残ってたから安心して良いよ」
それならばとヴァンは服の中に純白の羽をしまう。すると、心なしか力が湧いてくるような気がした。
ヴァンが羽をしまうのを確認すると、レージュは立ち上がり、窓から差し込む夕日を純白の片翼で隠し、浅黒い火傷顔の隻眼に夕日を映して彼女は「にひひ」と笑う。
「これからもよろしくね。赫赫の盗賊王ヴァン」
「こちらこそよろしく頼む。半分の天使レージュよ」
「半分の天使?」
「ああ。隻眼片翼で半分ずつだろう」
「ふーん」
「嫌か?」
「ううん、気に入ったよ。今度からそれで名乗らせてもらおう」
「それは良かった。それと、俺は盗賊じゃなくて義賊だ」
半分の天使と赫赫の盗賊王はしっかりと手を握り合い、お互いの存在を確かめ合う。
すると、急にレージュが純白の翼を折り畳み、その翼で隠れていた夕日がヴァンの目を差す。眩しくて目をつぶった彼の額に何か柔らかいものが触れた。
「そしてご褒美その3、半分の天使からの祝福だ。にひひ」
細く目を開けたヴァンに、レージュは小さな舌を出して悪戯っぽく笑い、軽い足取りで部屋を出ていく。
一層やる気が出てきた。
俺も、頑張らないとな。
16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/28 文章微修正(大筋に変更なし)
17/07/09 文章微修正(大筋に変更なし)