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第三四話 「告白軍師」

「よくもまあ、そんなにポンポンと作戦が思いつくもんだな、レージュ」


 ヴァンの感心する声を聞き、レージュは思考の沼から一旦抜け出すことにした。ともかく、この老人については考えておかなければならないだろう。


「自分と相手を知っていれば自然と導き出せるものだよ。それに、今回はヴァンの助言もあった」


 にひひと笑うレージュの表情に、何か影のようなものがあることにヴァンは気づく。


「……なあ、レージュ」

「ん、なに?」


 ヴァンは以前から感じていた疑問を投げかけてみる。


「この前の唐揚げ作戦でも思ったんだが、いつも一人で作戦を考えているのか?」

「そうだよ。今はビブリオと打ち合わせることもあるけど、考えるのは基本的に一人だね。白き翼にいた時も、マルブルにいた時もずっと一人で考えてたけど、なんで?」

「辛くないかと、一人で無茶をしていないかと思ってな」


『お前は、少し無茶をし過ぎる』


 平原での演説の後、オネットにも言われた。自分は、そんなに無茶しているように見えるのだろうか。


 自分がやらなければいけない。その思いが強いのは確かだ。オネットやヴァンを信用していないわけじゃない。自分以外は作戦も立てられないなんて考えちゃいない。でも、作戦は軍師たる自分が立てるもので、戦いは彼らの役割だ。そう考えていた。


 自分にできることを全力でやる。白詰草の原でヴァンと語ったあの話。その信念を間違っているなどと思ったことはない。

 だが……。


「無茶なんてしてないよ。大丈夫大丈夫」

「……爺さん。悪いんだがちょっと席を外してくれないか」


 ヴァンは老人に部屋を出るように頼む。客人を追い払うような形になったが、彼は文句の一つも言わないどころか、いやに快く承諾してのそのそと扉から出て行く。


 扉が閉まり、応接室に二人っきりになるとレージュは不思議そうな視線を送ってくる。


「なに、どうしたのヴァン」

「……軍師というのはとても責任の重いものだ。自分の策一つで味方が全滅するかもしれない。大勢の命を失うかもしれない。常にその重みに耐えながら策を考えなければならないのは疲れるだろうと思う」


 突然何を言い出すのだろうかとレージュは疑問に思う。ヴァンの真意はまだ測りきれないが、おそらく心配してくれているのだろうか。


「大丈夫大丈夫。疲れてないよ。みんなも頑張ってくれてるし、あたしも負けてらんないしね」

「辛いと思ったことはないか」

「いやに絡んでくるね。大丈夫だって。あたしは一人でちゃんと立って歩ける。これからだってそうさ。ヴァンも皆も背負って行けるよ。辛くない。それよりも早く作戦の話に戻ろうよ」


 自分の口調が早くなっている。今、自分はこの状況を不利と感じている。ヴァンの言葉に飲み込まれそうになっている。それほどまでに、ヴァンは自分の心の中を的確に見抜いているのか。

 そんな素振りは見せていないはずだが……。


「一人で立って前を見て歩くことしかできないのは大変なことだ。俺も、以前にそんな時期があったからよく解る。それでも強気に歩き続けられるレージュは本当に強いが、倒れたら起きあがるのは困難だ」

「心配してくれるのは嬉しいけど、あたしは平気だよ。無理はしてない。これでいい?」



「じゃあ、なんで牢獄から出た後に吐いた」



 レージュは表情を崩さないように努めていたが、ヴァンの鷹の目はかすかに浮かんだ動揺の色を見逃さなかった。


「……なんのこと?」

「とぼけてもダメだ。俺はお前が牢獄から出てきた後に吐いて震えている所を見た。ガビーから聞いたんじゃないぞ。俺もあの場にいたんだ」


 ヴァンは嘘を言っていない。あのとき、人がいないのを確認はしたが、見落としていたようだ。実際、ガビーには気づかなかった。あの木にいたのだろうか。


「ヴァンにも見られていたんだ。まいったね」

「レージュ」

「な、なに?」


 心の震えが声に出ている。

 白いワンピースからのぞく小さな肩を掴んで自分の方を向かせると、レージュの青空の隻眼がわずかに逃げる。


「逃げるな。俺を見ろ」

「逃げてなんか……ない」


 気丈に視線を戻してヴァンの鷹の目に立ち向かうと、ヴァンは真剣な声で話し始める。


「もっと俺を頼れ、レージュ。確かに俺はレージュほど頭も良くないし、奇策なんて思いつかない。リオンのように強くないし、オネットのような献身さもないし、ビブリオみたいに知識もない。それでもな、なにか手伝ってやりたいんだ。もっと頼って欲しいんだ。もっと力になってやりたいんだ」


 ヴァンの金色の瞳とレージュの青空の隻眼が見つめ合う。ヴァンの顔にある一文字の傷とレージュの火傷で潰れた右目の眼帯が見つめ合う。


「俺は、レージュ一人に全部を押し付けたくない。お前が子供だからじゃない。引け目からの言葉じゃないんだ。友として、親友としてレージュを支えたい。お前が必要ないと言っても、俺はレージュの心の荷物を半分持つ。全部は持たない。全部持ったら対等じゃないからだ。そして、一つも持たないのは友じゃない。今まで一人でも頑張ってきたレージュだ、すぐに全員に頼るのは難しいかもしれない。だから、まずは俺を頼ってくれ。必ず力になると約束する。もしもレージュが倒れたら、俺が起こしてやる。一緒に歩いてやる。だから、一人で頑張りすぎるな」


 ヴァンが想いを語りきると、北国の夏の風がレージュの下ろしている金髪を撫でた。


 真っ直ぐな瞳だった。まるで少年のように、純粋で純朴で純真な視線で、愚直なほどに真っ直ぐレージュを見つめている。

 嘘かどうかなんて調べなくてもわかる。今のヴァンの言葉は、全て本気で言っている。遠慮も見栄も引け目も羨望も無い。ヴァンの心からの本音だ。


 その真実の言葉を受けると、レージュはまずポカンとし、言葉の意味がじわじわと脳内に浸透すると、浅黒い頬が紅潮し、形の良い唇の口角が上がって白い八重歯がのぞき、目尻が垂れ、隻眼が潤み、息が漏れる。


「にひっ、にひひひひひ。にっひっひ」


 レージュは、赤くなった顔を隠すように純白の片翼で自分を包み込む。そのまま足をバタバタさせながら籠もった笑い声が聞こえてくる。


「ちょ、ちょっと待って。にひひひ」


 体の底から暖かい感情が止めどなく湧き出てくる。顔が熱くなる。涙が勝手に出てくる。裸を見られても恥ずかしくもなんともないが、今の顔を見られるのはとても恥ずかしい。きっとどうしようもなく緩みきった顔をしているだろう。両翼があったのなら、今すぐ部屋を取びだして空を飛んで大声で叫びたいところだ。


 今までは頼られてばかりだった。それを苦に思ったことはないし、皆から頼られると気分が良かった。それは本心だ。もっと皆の期待に応えられるように頑張るようにもなった。リオンの戦闘力に頼るように、作戦遂行のために力を頼ることはあっても、心の支えとして人を頼ることは無かった。必要ないと思っていた。だから、一人で頑張ってきたのだ。

 だが、これからは違う。隣に座るこの男、赫赫かっかくの髪と金色の瞳と一文字の傷のある老け顔のこの男が、自分にとって初めての頼れる男になる。その男の名はヴァン。風の名を持つ彼は、レージュの心に暖かな風を吹き渡らせた。


「……おい、大丈夫か?」


 顔を隠している翼をめくろうとするヴァンの手を翼で叩く。


「見るな!」

「見るなったってお前……」

「嬉しいんだよ! バカ! 顔も見せられないほどにね!」


 蒼天の軍師の威厳もどこへやら、そこにいるのはもはやただの少女であった。どれだけ強く、どれだけ頼れるレージュでも、まだ十に少し足しただけの女の子なのだ。他の人とは違う特別な翼があっても、億千の戦術を紡げても、心は普通の少女と変わらないのだ。恐怖も不安も感じることなく、死と隣接する血生臭い戦場に立ち続けられるわけがない。

 それでも彼女は頑張ってきたが、無理はしていないつもりだった。レージュ自身でも気づかなかった心の疲れを、ヴァンは見抜いていたのだ。


 大きな純白の翼から左目だけを覗かせてレージュはつぶやく。


「……ありがと。本当に嬉しいよ」


 この時の涙で潤んだレージュの瞳の色を、ヴァンは一生忘れることがなかった。時間通りの青空ではない。夕焼けでもない。朝日でも、夜空でもない。レージュは気づいていないだろう。これほど深く、これほど人の心の奥に沁みる色になっていることなど、気づくことはないだろう。


「約束しよう。必ずお前を支え続けると」

「にひひ」


 今、レージュは間違いなく一皮抜けた。頼られるだけじゃなく、頼ることを覚えた彼女は、より効率的に荷物を持てるだろう。そして、レージュの心の中で、彼女自身ですら気づかなかった重りが一つ消えた。


「よし、じゃあお礼にヴァンには後で良いことをしてあげよう」

「良いこと?」

「にひひ。お楽しみに」


 レージュがいつもの、いや、いつも以上に晴れやかな天使の笑みをヴァンに向けたとき、まるで計ったかのように老人が部屋に戻ってきた。


 すでにレージュの隻眼に涙は無く、元の青空の色に戻っている。


「話を途中で切っちゃってゴメンね。もう済んだから」

「いやいや、構わぬぞ。若い男女の逢い引きを年寄りが邪魔してはいかんからな。ひぇっひぇっ」


 まるで見ていたかのような老人の冗談を二人は軽く流す。


「さあ、爺さん。あたしの考えた作戦に、まだ何か文句がある?」

「文句など。蒼天の軍師殿が自信を持っているのならば、儂などが口を挟む必要などあるまい」


 よく言う。最初に口を挟んだのはそっちだろうに。レージュは鼻で笑うが、これで自分の作戦に自信が持てた。


()蒼天の軍師ね。今はもう違う」


 翼を失った彼女はもう蒼天を飛べない。しかし、それで挫ける彼女でもない。まだ歩ける。まだ考えられる。まだ、戦える。何故なら、もう一人(独り)ではないからだ。


「あたしは、レージュだ」


 毅然とした表情で微笑むレージュを見て老人も息を漏らして笑う。


「そういやまだ名前も聞いてなかったね。なんていうの?」

「儂は……いや、そうじゃな、おぬしが名付けてくれぬか?」

「はい?」

「儂は長く生きすぎた。もはや儂を知る人間などこの世にはおらぬ。ならば最後の時間だけは、祖国を取り戻した英雄に助力した者として、勝利の女神に名を与えられた者として歴史に残りたいと思うてな」


 そう言いながら老人は懐から一枚の藁半紙を取り出す。一見すると四つ折りにされたただの藁半紙のようだが……。


「なにそれ」

「後で開けてみると面白い事が書かれておるぞ」

「いま見ては駄目なのか、爺さん」

「それではつまらん」


 どこまでも胡散臭い爺さんだ。しかし、どんな手妻(手品)かは知らないが、その藁半紙に何が書いてあるのかは興味がある。とりあえずそのままにしておくことにした。


「さて、名は決まったかの」

「じゃあ、そうだね……」

 隻眼片翼の天使は十字架のサークレットを手で持ってくるくると回す。その回転はすぐに止まった。

「……ヌアージ。あんたの事はヌアージって呼ばせてもらう」

「ヌアージ。マルブルの言葉で雲、か。ひぇっひぇっ。つかみ所が無いと言うことか? ひぇっひぇっ」


 大笑いするヌアージに、レージュは何かを感じる。少なくとも敵意は感じられないが、何だか妙だ。


 あたしは、こいつを知っている?


 懐かしさとも既視感とも違うこの奇妙な感覚はなんだ。この老人とは今日初めて会ったし、言葉を交わしたのも初めてだ。それでも、自分は彼を知っている。彼について何も知らないが、彼についてほとんど知っているような気もする。しかし今はいくら考えても答えはでそうにない。

16/09/29 サブタイトル変更「旧:ヴァンの想い」

16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)

17/03/21 文章微修正(大筋に変更なし)

17/03/27 文章微修正(大筋に変更なし)

17/07/09 文章微修正(大筋に変更なし)

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