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第三二話 「老人軍師」

 太陽が頂点より少し西に傾いた頃、レージュはこの間までフクスが使用していた部屋で、周辺の地形が描かれた地図を机に広げ、眉間にしわを寄せてパルファンをくわえていた。窓からは、夏の始まりを感じさせる爽やかな風が入ってくる。


「……人が、ちょっと足りないな」

 地図の上には、白と黒のチェスの駒がいくつかと藁半紙が数枚並んでおり、いつものようにクレースを回しながら、これからの作戦を思案しているようだった。

 概ねの作戦内容は整ってきたのだが、現状砦内にいる人員だけでは、かなり慌ただしく動かなければならない。急くことは作戦の成功率を下げることになる。可能ならそれは避けたい。


「近隣の住民に協力を願いましょうか。裏方の人間が増えれば前線に人員を割けます」

 隣にいるビブリオが提案する。王立図書館で若くして司書を務めていた彼の知識は、レージュも頼りにしており、最近は作戦を練る時には同席してもらうこともある。ヴァンも同席させようかと考えたが、見つからなかったのであきらめた。


「そうだね。あんまり軍人以外の人を巻き込みたくないけど、そうも言ってられない。今からだとぎりぎりだけど、なんとか間に合うかな。じゃあちょっと馬で行ってくる――」

 そのとき、部屋の扉が叩かれ、入室の許可を求める声が聞こえる。ビブリオと顔を見合わせ、レージュは入室を許可する。


 開かれた扉を見ると、一人の若い兵士が肩で息をしながら敬礼して、伝令からの情報を伝えにきた。

「し、失礼します! 見張りより伝令をお伝えいたします。えと、不審な老人が、周辺住民と思わしき集団とともに、砦前に近づいてきます。武装はしていません。不審な老人は不届きにもレージュ様を呼び出しております。い、いかが致しますか」

 所々噛んだりつかえたりしているのは、緊張しているからだろうか。

 しかし、そんな細かいことなど気にもならないような内容に、レージュとビブリオはいぶかる。


「……不自然なくらいに良いタイミングですね」

「だね。方角は正門?」

「あ、も、申し訳ございません! 正門の方向でございますです!」

 自分の質問で、声がうわずって言葉遣いもおかしくなってしまう兵士に、レージュは思わず吹き出してしまう。

「こんな小娘にそんなに緊張しなくても良いって。報告ありがとうね、すぐ行くよ」

 怪しくても罠でも行くしかあるまい。本当に村人たちなら出向く手間が省ける。

「はっ! 失礼しました!」


 若い兵士が、入ってきたときよりは自然に敬礼して退出した後、レージュはパルファンを一息吸い込み、ゆっくりと吐き出す。


「それにしても、レージュはパルファンが好きですよね」

「まあね。マルブル産のパルファンの香りは特に良いからね。それにくわえているとなんとなく落ち着くし、目印にもなるし、火種にもなるし、緊急時の武器にもなるし、血を吸う蛭を安全に剥がせるし結構便利なものだよ。それに、これは止められない理由があるんだ」

「そうですか。あなたがパルファンを浪費する理由を並べ立てられるのはわかりましたが、あまり吸いすぎないようにしてください。一本いくらするかご存じでしょう?」


 レージュは視線を泳がせながら輝く金髪の頭を掻く。勉強を強要されている時のヴァンと同じ仕草をしているが、本人レージュは気づいていないだろう。


「あー、うん。そりゃあ、ね」


 彼女とてこのパルファンが嗜好品で、それなりに高価で、軍資金の浪費につながっていることは十分に理解している。理解してはいるのだが、パルファンを吸っていると実際落ち着くし、作戦の考えもまとまるのだ。ビブリオも、パルファンを切らしたレージュがどうなるかは知っているので、強くは言わないが、必要量以上のパルファンを吸うことは止めて欲しいと考えている。


「先日のキメラとの戦い前後でも大量に吸われたと聞いておりますが、そのような浪費が続くようでは――」

「そ、それじゃ、城門に行ってくるね」


 ビブリオの小言が始まりそうになると、レージュは部屋から逃げるようにでていく。

 そういうところも似ている二人だ、とビブリオは一人で呆れたような笑みを漏らす。


               ☆・☆・☆


 蒼天の下、城壁で哨戒しているスーリは考える。


 あいつは別れたとき脂汗をかいていた。目も少し潤んでいたし、顔も青くなっていたような気がする。そして、別れて離れたフリをした後に聞こえた、液体が地面に落ちる音。もしかして嫌々あの拷問を行っていたのではないだろうか。無理をしているのではないだろうか。スーリの鋭い観察眼は、レージュの隠そうとしていた感情をおぼろげだが読みとっていた。


 あの時も、あいつは……。



 思案するスーリの意識は友の呼びかけで現実へと戻された。


「スーリ、俺はやったぜ。レージュ様にお褒めの言葉をいただいたぞ!」


 先ほどレージュに報告をした若い兵士は、頭上に広がる青空のように意気揚々と同期の友に自慢していた。しかし曇り空の髪色をした同期の友の反応は冷たいものだった。


「お前の持ち場はここじゃない。戻れ」


 スーリの冷たい反応を気にも止めず、あの報告の時をうっとりとして彼は思い返す。


「億千万の策略を紡いで敵を陥れ、指揮を振れば必ず勝利をもたらす。その知略もさることながら、比喩ではない天使の笑顔と、純白の羽と時刻で変化する幻想的な瞳を持っている。そして、敗北をきっしてもなお気高い精神を持って俺たちを導いてくださる。ああ、本当に伝説の天使様が再臨されたようだ」


 スーリは嫌っているが、レージュは他のマルブルの騎士たちからは絶大な人気がある。だからこそ勝利の女神と呼ばれているのだ。特に若い騎士たちにとってはアイドル的な存在であり、彼女との個人的な会話を夢見る者もいる。よって、彼は今後一週間はこの話を仲間たちに自慢して聞かせるだろう。


「お前ばっかりズルいよな。この前の作戦の時にもレージュ様に選ばれてさ」

「早く持ち場に戻れ。隊長にどやされるぞ」


 しかしまだまだ自慢し足りない若い兵士は、スーリのそばを離れようとせず、さらに話を続けようとする。そのとき、彼は視界の端に伝説の天使の姿を捉えた。


「あ、俺が呼んできた(・・・・・・・)レージュ様だ。やっぱり美しいなぁ……」

「どこがだ? ただの翼の生えた傷跡だらけの生意気な子供じゃないか」

「……お前ってホント変わってるな」


 蒼天の軍師が正門側の見張りの兵士と何か言葉を交わして、指さされた方を見ている。


「なにかあったのか?」

「ああ、なんか変なジジイが周辺の村人を連れてやってきたんだよ。フード被ってて白い髭しか見えないチビの……スーリ?」


 老人の特徴を聞くと、スーリは何も言わずにそのまま飛び出すように走り去ってしまう。


               ☆・☆・☆


 正門側の城壁の上に着いたレージュに、見張りは敬礼してから正門前に集まった人々を見やる。


「武装している訳でもなく、兵糧を持ってきた訳でもなさそうです。追い払いますか?」

「その決断はまだ早い。知っている顔もいるし、とりあえず話を聞いてみよう」


 城壁から身を乗り出してレージュが叫ぶ。


「あたしを呼んだのはあんた?」

「いかにも」


 集団の先頭にいるフードを被った白い髭の老人が低くしわがれたしかしよく通る声で答える。


「儂らにも何か手伝えることはないかと思うてな。村を救ってくれたお礼がしたいのじゃ」


 聞けば、カタストロフがデビュ砦を支配していた際、彼らは無闇に食料や酒などを要求し、村は貧困の危機にあった。しかしレージュらがデビュ砦を取り戻し、余剰な徴収品を村人に返したので感謝のお礼がしたいという。


「ありがたいけど、兵糧を入れてもらっているだけで十分助かっている。ここもまたじきに戦場になるから早く村に帰った方が良い」


 本当は諸手を上げて歓迎したい所なのだが、話がうますぎる。間が良すぎる。爺さんが胡散臭すぎる。世の中は都合良く行かないことを熟知している彼女は、この様な話には強く警戒する。


 確かに、後ろに控えている彼らは正真正銘のただの村人なのだが、この老人はどうにも怪しい。デビュ砦奪還前に村を訪れた時にはいなかったはずだ。


 警戒するレージュを、地面に付きそうなほど長い髭を風にはためかせながら老人は笑う。


「ひぇっひぇっひぇっ。なるほど。噂通り、蒼天の軍師様は思慮深くていらっしゃる。しかしの、儂は負ける戦いを黙って見過ごす事はできんのでな」

「――なんだって?」

「ひぇっひぇっ。中で座って話そうじゃないか。立ちっぱなしは老体にはきついのでな」


 どこまでも胡散臭い爺さんだ。しかし、軍事の情報を知るはずのない老人が、どのようにそんな結論を導き出したのか興味がある。どうせこちらの気をひくためのハッタリだろうが、ここでこの老人を帰すのは何か良くない気がした。


「わかった。正門を開けよう。あんたとはじっくりと話がしたくなった」



 レージュが兵士に門を開けて来賓室へ案内するように指示すると、後ろからスーリがこちらへ走ってきた。

「どうしたの?」


 珍しく慌てた様子のスーリを疑問に思うレージュには目もくれず、彼は城壁から身を乗り出して老人の姿を確認する。


「あいつ……」

「なに? 知り合いなの?」

「……お前には関係ないだろ」


 口悪く答えるスーリに、レージュはいつもの不適な笑みで彼の嘘を見抜く。


「嘘だね。あの爺さんは、あたしに大いに関係あるって顔してるよ」


 隠しもせずにスーリは舌打ちする。この翼を持つ少女は相手の嘘を正確に見抜くのだ。


「おい、お前――」


 不敬な行為をいさめようとする見張りを、レージュは手を挙げて制する。


「言ってごらん?」


 先ほど地下牢で彼女に嘘をついたものがどうなったのかを思い出したスーリは無意識に体に力が入る。


「……赤い光のあの日、あの爺さんにお前とオネット隊長の居場所に案内してもらった」

「へえ……」


 今度は嘘をついていない。しかもその真実は興味深いものがあった。


 マルブルに赤い光が降り注いだ後、あいつ(・・・)に敗北して死にかけていたレージュは、どのようにして焼け落ちるマルブルから脱したか覚えていない。後でオネットに聞いた話では、どこからともなくスーリが駆けつけ、自分たちを連れてマルブルから逃げ出したと言う。しかしレージュはこれを疑問に思った。なぜなら、あの日はスーリの所属する部隊は近隣の砦を防衛しており、マルブル王都にはいなかったからだ。赤い光の襲撃を受けてから馬を飛ばしても絶対に間に合わないはずなのに、彼は王都にいる自分たちを助け出せた。例えば彼に翼があり、レージュ以上に早く飛べるのだとしたら、実行できる可能性はあるのだが……。スーリにどうやったのか聞いても「よく分からない」以上の答えは出てこなかった。


「じゃあスーリも一緒に話を聞く?」


 レージュの問いかけが普段より薄ら寒く感じる。まるで逆らってはいけない神の言葉のように。

 あの地下牢に連れて行った本当の理由はこれか。凄惨な場面を見せつけることで、自分に恐怖を植え付け、レージュに逆らおうとする意志を潰しにきたのか。


「……聞かない」

「そう?」


 だが、それぐらいで押さえ込まれる自分ではない。レージュの真意は不明だが、自分に何かをさせようとしていることは確かだ。


 俺は、絶対にお前の思い通りにはならない。

 必ずお前の正体を確かめてやる。

 そして、ジャンティー隊長を見殺しにした事を、決して許しはしない。

16/09/29 サブタイトル変更「旧:謎の老人と見殺し軍師」

16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)

17/03/27 文章微修正(大筋に変更なし)

17/07/09 煙草削除(大筋に変更なし)

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