第三〇話 「悪魔軍師」
傍らで控えるスーリが顔を背けたくなるほど凄惨な尋問は滞りなく終わった。
血と涙が入り交じった汁を、指に伝わらせながら引く抜くと、レージュは無感情に手を振ってその汁を飛ばす。そして、解放されたフクスが崩れ落ちるのを見向きもせずに、小さな藁半紙と羽ペンとインクの小瓶をどこからともなく取り出し、床に座ってペンにインクを付ける。
「オルテンシアに駐留している敵兵は二千五百。内訳は騎兵が三百と歩兵が二千二百。騎馬は全部クラーケの部下か。騎兵が思ったより少ないね。まあ前線に取られてるんだろうけど。指揮を取るのはおそらくクラーケだね。ヴェヒターは足を怪我しているから戦場には出てこないだろうし、クラーケは手柄が大好きだしね。で、そのクラーケ将軍は古代遺産の力を使って腕を六本に増やし、その増えた腕で勝ちまくっていると。うーん、後でリオンには対六本腕の練習でもしてもらおうかな。あとは人材不足のためなのか、クラーケ将軍がよほど優秀な指揮官なのか、他の将軍と仲が悪いのか、小隊長はいるが副将軍などはいないっと。さらに――」
聞き出した様々な情報を喋りながら藁半紙に書き込むと、それを眺めて十字架のサークレットを手に持ってくるくると回す。
「そこの三人」
レージュが向かいの牢に入っている三人の兵士に呼びかける。すると、彼らは体を震わして怯えた目で返事をする。
「は、はい」
「今フクスが言った情報に間違いは無い?」
「た、たぶん……」
「たぶん? はっきりと答えて」
「わ、私たちは詳しい事は何も知らないのです。ですが、オルテンシアには三千程の兵力がいるとは聞いたことがあります」
「……ふうん。嘘じゃないみたいだね。嘘ついたらここで転がっているのと同じ目に遭わせてたところだ。正直者は救われるってね」
そしてレージュはもう三人には興味が無くなったのか、再び藁半紙に目を落とす。
「逃がした捕虜も加えると三千か。ちょっと多いな。全部の兵力をオルテンシアから出してくるわけは無いだろうけど、それなりに大軍で来るだろうね。少なく見積もっても千五百、多くて二千五百、いや、二千二百ぐらいかな」
この時のレージュらは知りようもないが、デビュ砦から逃がした捕虜の殆どが謎の消失に遭い、オルテンシアにはたどり着いていないのだ。
敵は千五百を超える。対してこちらはわずか三百人しかいない。五倍以上の戦力差だ。こんな戦いは、常識で考えたら……。
「勝てるのかって思ってる?」
心の不安をピタリと言い当てられてスーリはドキリとする。
「大丈夫。そこを勝つようにするのがあたしの役目さ」
にひひと笑ってレージュは立ち上がり、尻に付いたほこりを手で払う。
「例えば二千の兵を三百の兵で殲滅するのは余程条件が良くないと不可能に近い。峡谷で挟み込みこんで岩を落としたりとか、こっちが一本道しかない山の城塞に引きこもってるとかすればいけるかもだけどね。そうでなかったら古代遺産でも使わない限り無理だ。あとは援軍とか来れば話は別だけど、確約されていない援軍は存在しないのと一緒だし、そもそもそんなのいない。でもね、戦いに勝つことなら今のあたしたちでもできるよ」
倒すのは無理でも勝てるとは一体……?
灰色の髪のスーリは考える。もしも自分が軍師だとして、三百の手勢で二千の敵兵を撃退するならどのような策を練る? さっきレージュが言っていた隘路なんてこの辺りにはない。レージュの古代遺産も当てにならない。野戦をするにしても兵力が違いすぎる。獅子将軍リオンとオネット将軍の強さは知っているが、それでも自信を持って勝てるとは言えない。犠牲も多くでるだろう。やはりこの砦によって戦うしか考えられないが、この砦の防衛力はそこまで高くない。大軍に包囲されてしまうと、補給も受けられずに負けてしまう。
どう考えても勝てないが、一体レージュには何が見えているんだ?
考え込むスーリを見てレージュは内心でほくそ笑む。彼はまだまだ成長する逸材だ。多くのことを学び、自分で考えて力にして欲しい。そのために、彼にはなるべく自分の近くにいて様々なことを体験させたいとレージュは考えている。
「し、死神……レージュ……」
「助けて……助けて……」
自分たちの元城主の惨たらしい姿を見て、もしかしたら自分たちも同じ目にあっていたかもしてないと考えた向かいの牢に入っている三人の男たちは身を寄せ合って震えている。
悲鳴に似た彼らの声にスーリははっとして我に返る。まただ、またこいつのペースに乗せられてしまった。レージュと話しているとどうにも話に引き込まれてしまう。拳を強く握ってレージュを見る。
「何か良い案を思いついた? 聞いてあげるよ」
「お前は、俺をどうしたいんだ?」
「にひひ。さて、どうしたいと思う?」
後ろ手で組んで体を左右に揺らしてはぐらかすレージュにスーリはイライラする。
こいつはいつもそうだ。こっちの質問にはいつも答えず、自分で考えさせようとする。
しかし答えられないと、それはそれで負けたような気がするので、舌打ちをしながらも答えるスーリであった。
「お前は俺を何かしらに育てようとしているようだが、俺はお前の思い通りにはならないぞ」
「にひひ。結構結構。その反骨心がスーリの良いところだ」
クレースを頭に乗せたまま回してレージュは笑う。結局またかわされてしまった。
「あとは場数かな。その震えている足をなんとかするには」
ハッとして自分の足を見ると、微かだが震えている。気づかなかった。まさか、ビビっているのか。この自分より年下の子供に。だが、先ほどの尋問には鬼気迫るものを感じた。悔しいがそこは認めざるを得ないだろう。
すでに彼女の隻眼は元の青空の色に戻っているが、スーリの鋭い洞察力は、地下牢に来る前の青い瞳との微妙な色の違いに気づいた。
「……」
違和感を覚え、じっと見つめていると、半分の天使は不敵に微笑む。
「あんまり見つめられると照れるねぇ。惚れられちゃったかな?」
「だ、誰がお前なんかを!」
「にひひ」
白いワンピースを着ていて見た目は天使のようにあどけないのに、戦争の才に溢れた悪魔のような残虐な一面も持っている。
勝利や敗北以前に、この半分の天使を頼っても本当に良いのだろうか。もしかしたら、本当の死神なのではないか。
この死神の真意はどこにある?
風なんて吹くことのないこの地下牢で、気持ちの悪い薄ら寒い風がスーリを撫でた。
☆・☆・☆
「どう? 勉強になったかな」
地下牢へと続く扉を閉めると、彼女は笑顔でそう言った。スーリは吐き捨てるように答える。
「俺は拷問官になるつもりはない」
「別にいつも拷問しなくちゃいけない訳じゃないよ。あ、拷問じゃなくて尋問だからね。まあ、必要な情報を素早く聞き出す手段の一つとして考えてくれればいいよ。時間や金が豊富にあったり、味方に加えた方が有益なら別の手段をとるしね」
つまりフクスにはその価値は無いということらしい。
この部屋は地下にあり、窓も無いが、さっきの牢の中よりは何倍もましだ。フクスは文字通り酷い目にあったが、死んではいないだろう。
しかしフクスの喋った内容は驚異的だが重要だ。嘘を見抜くレージュが疑いもせずに情報を書き留めたのだから、あの時フクスは真実のみを口にしていたのだろう。もっとも、あの状態で嘘を言える度胸など奴にあるわけがないだろうが。
ともかく情報は手に入った。後はこれをどう活かすのかが最も重要だ。その仕事は、この小さな天使に全てを任されている。
「付き合ってくれてありがとね。もう行っていいよ」
いつもは何かとレージュに反発する彼だが、この言葉には素直に従った。レージュと離れることができて、どこかほっとしていることに気づくのは少し後だった。
16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/27 文章微修正(大筋に変更なし)
17/07/09 文章微修正(大筋に変更なし)