第二六話 「蛸軍師」
ヴェヒターが死神討伐をクラーケ将軍に命じると、城内は出兵の準備で騒がしくなる。唐突な出兵に驚く兵たちをよそにクラーケ将軍は倉庫の出入り口付近で嬉々として兵たちに指示を出していた。
「ヴェヒター殿からは全ての戦力を使って良いとの仰せだ。よって我らは全軍で出撃して敵を撃滅する。ここからデビュ砦までは約五日かかる。その分の輜重(武器・食糧・衣服など軍隊が輸送・補給すべき軍需品の総称)を用意しろ。迅速にだ。日が暮れるまでに積み終えろ。日没後に出立する」
すると、小隊長の一人が不安そうな顔でクラーケ将軍に尋ねた。
「将軍、ひとつお聞きしたいのですが」
「何だ」
「これから我らが戦う相手は連合軍なのですか?」
彼は、まるでそうあってくれという風に言ってきた。デビュ砦から瀕死の仲間がかつぎ込まれた所は多くの兵が目にしている。なぜデビュ砦が襲われたのか、連合軍が決死の覚悟で包囲してこようとしているならまだ良い。もしも、元マルブルの砦を取り戻そうとするものがいたとしたら……。
「そんな雑魚ではない。相手はあの死神だ。デビュ砦を奪還し籠城しているようだ」
「し、死神が生きているのですか!」
小隊長の恐怖の叫びは、出兵の準備をしている彼らの手を止めるには十分すぎるほどの声色だった。
「あの、死神が……」
「そんな……嫌だ……」
彼らは死神生存の事実に明らかに狼狽し、運んでいた荷物を落としてしまう者もいた。
「狼狽えるな。貴様らそれでも誇りあるカタストロフの兵士か」
「しかし、将軍……」
「確かに赤い光を受けてなお生きていることには儂も驚いておる。だがな、奴とて無傷とはいかなかったようだ。目と翼を失い、いま従えているのは僅か三百人ばかしの木っ端兵しかおらぬようだ。叩き潰すのならば今が好機だ」
「ですが、デビュ砦が奴らに奪還されたとなると、獅子将軍リオンも戦列に加わっているのでは?」
「獅子将軍がなんだというのだ。儂には古代遺産の力がある。たとえ大陸最強だろうとこいつの前では無力だ」
六本の剣が巻かれたベルトを腰に佩きつつ、クラーケ将軍は異様に膨れた外套に隠されていた腕を誇らしげに見せつける。
「おお……」
二刀で有名な獅子将軍であろうと、六本の剣を同時に受けたのならば防ぎきれないだろう。その禍々しくも心強い力は兵たちを少し安心させる。
「今一度言うぞ。我らは全軍、二千の兵力で出撃する。万全の死神ならばいざ知らず、ようやく立ち上がれるだけの虫の息な小娘など恐るるに足らん。それにだ、死神を討ち取った者には望むままの褒美が約束されるだろう。それこそ、我らがレシュティ姫殿下のお膝元であろうとな」
姫殿下の名を聞くと、兵たちの表情が一変する。
姫殿下とは、カタストロフの現皇帝であるレシュティ姫のことだ。先帝が病に伏された後、唯一の血統であるレシュティ姫に王権が移ったのだが、姫はまだ幼く、当時は弱冠十歳の女王となった。レシュティ姫は、政に意欲的であったが、まだまだ未熟なため、宰相役を立て、姫と宰相の二人で国を支えている。
通常、このような宰相は経験豊富な老賢人などを据えるのが一般的だが、姫が選んだのはまだ若い美形の騎士だった。しかも普段は執事の真似事の様なことをやらせているという。これには重鎮たちも「色男を侍らせたいだけか」と呆れかえったが、美形の若い宰相は実力もあり、知識も豊富であり、政治的手腕も見事なものであった。国内の混乱も瞬く間に鎮め、財政を再編してインフラを整備し、カタストロフは以前より住みやすい国へと変化していった。
また、幼く美しい姫は実力主義であり、戦果をあげた者には惜しみなく褒美を与え、寵愛を受ける栄誉を与えるのだ。騎士として名をあげれば、家族も貴族として成し上がり、一生贅沢な暮らしが約束される。先のマルブル大戦でも、何人もの兵士が成り上がり、今も豪勢な生活を続けている。
しかし、此度のマルブル侵攻には疑問の声もある。多くの者が、不必要な事ではなかったかと考えているのだ。吹けば飛ぶような小国への侵攻なのに、三年経っても落としきれず、その間は軍事に財政を割いていたため、国民の生活はかなり圧迫され、苦しい日々を送っていた。最後には古代遺産の力に頼り、勝利を収めたが、得られる物は少なかった。そして、古代遺産の力を使ったことで、世界から孤立し、より大きな戦争へと身を投じるはめになったのだ。
あの戦いは本当に必要なことだったのか。
だがそれを口にする者はいない。いや、声にする者はいたのだが、彼らはもういないのだ。
「これは幸運なのだ。確かに死神は生きている。だが、それは我らに報奨を与えるだけの存在だ。我らが祖国カタストロフのため、姫様のためにも、死に損ないの疫病神を、今こそ我らの手で血祭りに上げるのだ!」
「オオー!」
大半の兵は意気揚々と声を上げるが、一部だけ、ほんの一部だけだが、過去にレージュの戦を体験した者たちだけは絞り出すような声だった。
「日が暮れてから順次出発する。レジスタンスどもに気づかれぬようにな」
☆・☆・☆
朝の街道を踏み荒らしながら進む一団があった。彼らは黒と金を基調とした甲冑に身を包み、重々しく威圧的な印象を与える。今、二千の兵士たちは、携えた剣に誓いを立て、地獄より這い出てきた死神を討ち滅ぼすために足を進めているのだ。
先頭を行くは総大将のクラーケ将軍だ。兜には、将軍だと証明するための赤い毛のクレスト(兜飾りのこと)が付いている。
しばらく行軍を進めていると、後方より小隊長が問題が発生したことを告げる。
「将軍、後続の徒の兵と輜重隊が徐々に引き離されていっています。どうやら荷馬車の車輪に異常があるようですが、徒の兵の力を借りて進むことはできるようです」
「普段の整備を怠るからそうなるのだ。だが、進めるのならば今は構わぬ。この作戦は早さが命だ。死神の戦力が整う前に包囲してしまえば、こちらの勝ちなのだからな」
敵は籠城している。籠城とは、援軍が来るのを頼みにするときに取る戦法だ。国を失った奴らだが、多くの兵はまだ逃げ延びている。その兵が集まるのを待っているのだろう。奴らは外に出せる戦力など無いのだから必然的にそうなる。ならば、その頼みの綱の合流部隊が届かないようにしてしまえば良いのだ。輜重隊など戦闘ではなんの役にも立たない。彼らを待つよりも、多数の兵力で迅速に包囲して、ゆっくりと死神の最後を見届ける方がよっぽど有益だ。
かくして、強行軍は天使を飲み込む長い蛇となり、大陸を南へ縦断していた。
最初は休息を取りながらの進軍だったが、この速度ではデビュ砦まで六日はかかってしまう事がわかり、これではいかんと足を早めた。
オルテンシアを発って五日目の夕暮れ、デビュ砦まで数キロという所で彼らは疲れた足を止める。クラーケ将軍は偵察隊を派遣し、街道の先の様子を確認させる。
「死神の事だ、一本しかない街道には罠が張ってあるだろう」
クラーケ将軍の予想通り、街道には落とし穴や柵が設置されており、日の沈んだ夜ならば気づけなかったかもしれない。まもなく日が沈む、このまま騎馬で街道を進むのは危険と思われた。しかしここまで来て敵の時間稼ぎに乗ってやる必要はない。クラーケ将軍は森の中を進むことを決め、長蛇は深い森の中へと入っていく。
その時、デビュ砦の城壁で小さな光が煌めいたが、彼らは誰も気づかなかった。
15/12/06 最後に一文追加
16/09/29 サブタイトル変更「旧:天使を食う蛇」
16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/28 文章微修正(大筋に変更なし)
17/07/09 文章微修正(大筋に変更なし)