前へ次へ
20/136

第二〇話 「舞踏軍師」

挿絵(By みてみん)

「馬鹿め!」


 レージュが十字架でできた弓に手をかざすと、大弓はまばゆい光に包まれ、壁のような大盾と鋭い長剣へ一瞬で変化する。左腕の大盾を一流の剣士のように巧みに扱い、襲いかかる爪の攻撃を逸らす。目標を見失った爪の一撃が城壁に沈み、キメラの動きが一瞬止まる。その隙をついて、風を切った長剣がキメラの喉笛を切り裂く。

 キメラは紫の血と泡を吐きながら城壁の上に倒れ込み、激しく暴れたかと思うとそのまま動かなくなる。それと同時に術者も同じように喉が裂け、こちらは赤い血を吐いてキメラと重なるように倒れる。


 すると、動かなくなった彼らの体は徐々に形を変え、古びた十字架の山になってしまった。そして一陣の風がなでると、十字架は灰となって吹き飛び、跡形もなく消え去ってしまった。


 古代遺産の力を受けたキメラと術者は一心同体であり、どちらかが倒されれば、片割れもまた同じように倒れるのだ。


「貴様に空を飛ぶ資格は無い」


 十字架の長剣に付いた血を払い、大盾で地面を軽く叩く。すると、十字架たちはパッと霧散してバラバラになり、レージュの周りを飛び回ったかと思うと、彼女の頭に集まって元のサークレットの形に戻る。


 向き直って間抜けな格好で固まっているヴァンの元に、オンブルが半ば呆れたようにやってくる。


「あの嬢ちゃん、とんでもねえ食わせ者だぜ。最初に矢を放ったときから、俺たちも奴も嬢ちゃんの作戦に飲まれていた」


 最初からレージュの狙いはそれだった。

 キメラにも有効な弓矢だという事を初撃と言葉で印象付けることで、相手に遠距離攻撃しかできないと思わせておき、さらに自分が一番危険度が高いことをアピールする。もしもレージュ以外を狙おうものならば、彼女の放つ矢が自身を貫くことは明白だった。そうなれば当然、キメラはレージュを狙ってくるはずだ。そして相手は、レージュが近接攻撃もできるなどつゆとも思わない。さらに絶好のチャンスでレージュが矢を落とすという痛恨のミスをする。相手も演技していると気づかなかった彼は、誘われた事も知らずに空へと舞い上がった。

 空へ飛びさえすれば、これまでの自分たちの必勝パターンにハマる。負けるはずがない。弓の一撃を避け、いつものように爪を立て、血の雨を降らせるはずだった。その油断と慢心と決め付けが、戦場では死を呼び起こすということを、彼女は最初から知っており、彼は最後まで知らなかったのだ。


「そんでもって、あのサークレットは――」

「古代遺産、だろうな。俺も実物は初めて見るが、案外そう恐ろしい物でもなさそうだがな」


 噂話では、古代遺産は天を裂き、地を割り、海を蒸発させると聞いていたが、レージュのサークレットではそんなことはできそうもない。精々、手妻てづま(手品)を少し進化させた程度だ。


「どうだかねえ。ま、俺もあのサークレットよりは、嬢ちゃんの方が危ない感じはするがね」

「同感だ。あれは迂闊うかつに逆らわん方が良い」


 笑いあう二人を余所に、レージュはゴミを見るような目でキメラの死体を眺めている。

 吸い終わって短くなったパルファンを吐き捨て、空という聖域をおかしたキメラの死体を睨みつけた。

 そして満面の笑みで再び城主に向き直る。


「チェックメイトだ。これでもう邪魔は入らないね。じゃ、目ん玉取っちゃおうか」


 完全に万策尽きたフクスは、迫ってくる隻眼片翼せきがんかたよくの天使に、命乞いすらできず、恐怖のあまり泡を吹いて失神してしまう。


 ここでヴァンは、先ほどレージュがフクスにチェック(王手)と言った意味を理解する。あの段階では、まだフクスに打つ手があった。キメラだ。だからレージュはチェックと言ったのだ。自分はうっかり忘れていたが、レージュは当然ながら考慮しており、次にキメラが飛んでくるのも想定していた。しかし、キメラが上空から攻撃してきた時、レージュは避ける素振りを一切見せなかった。


「……信用されてる、という事にしておくか」


 レージュには確信があった。キメラが攻撃してきても、ヴァンが必ず助けるという確信が。それは信頼か、はたまた駒の定石通りの動きなのか、折角なのでヴァンは良いほうに考えておく事にした。


                ☆・☆・☆


 城門が完全に開き、外にいた騎士たちが砦内に流れ込んでくる。それでも、油まみれのカタストロフ帝国の兵士たちは土下座したまま動かなかった。彼らは待っているのだ。この砦の主の言葉を。


「投降して。変な気を起こさず、彼らの指示に従って。そうすれば本国に帰してあげる」


 兵たちがまず感じたのは安堵。敗北の屈辱など微塵も考えつかなかった。反抗する気など、とても起こらなかった。


 砦内をオネットたちに任せ、失神しているフクスはオンブルが縛って連れて行き、城壁の上にはレージュとヴァンだけになる。


「唐揚げ作戦完了、お疲れさん」


 またもパルファンを取り出して吸い始めたレージュがヴァンを労うが、彼のほうはなにか考え込んでいるようだった。


「……こういう戦い方もあるんだな」


 五百人いる砦を二百人程度の人数で陥落させたが、死者はキメラと術者だけという極小規模なものだった。そもそも運用されたのはほんの数十人だけである。

 戦わない戦い。それこそが至上なのだとレージュは豪語する。


 この砦を奪還するためにレージュが取った行動は、キメラとの戦闘を除けば城主に偽の計画書を見せて言葉だけで敵兵の士気を削いで降伏させる、と非戦闘行為ばかりである。


 キメラとの戦いでも、その策謀は光るものがあった。相手に巧みにプレッシャーと油断を与え、結果を見てみれば終始意のままに操っていた。意表をついた初撃から空を飛ばせたくないような牽制、わざと矢を落として空へと飛ばして勝利を確信させて油断したところを打ち倒す。まるで、指南書にでも書いてあることをそのまま実戦で実行したように見事なものだった。


「勉強になった?」

「頭が痛くなるほどな。レージュがいたなら、白き翼が数年で大陸最強になれたのも、マルブルが奮闘したのも分かる。その策略と戦闘力、見事だ」

「にひひ。これからいくらでも見せてあげるよ。あたしとクレースのコンビは最強だからね」

「クレース?」


 聞いたことのない名だ。それに、レージュは戦闘中ずっと一人であった。どこのいるのかと問うと、パルファンを揺らしながら笑ってレージュは自分の頭の上を指す。


「この子だよ」


 膨大な数の戦略が詰まっている小さな頭の上にある十字架のサークレットを取り外す。


「砦を奪還したら話すって約束だからね。ちょっとだけ話してあげる。この子はクレースっていうんだ。察しの通り古代遺産だ。あたしが捨てられていた時からずっと持ってる」


 レージュは、クレースと呼んだ十字架のサークレットをいじりながら話し始める。


 赤ん坊である彼女が、古代遺跡の前で傭兵団『白き翼』に拾われた時からそれは身につけていたそうだ。レージュは絶対に手放そうとせず、どこへ行くにも持っていた。そしてレージュが成長し、一人で馬に乗れるようになった頃、傭兵団がキメラに襲われるという事件が起きる。レージュはその事件を詳しく語らなかったが、その時にこのサークレットの力に目覚めたという。以後はクレースの気分次第で変形し、武器として使えるようになったという。


「クレースの気分次第とはどういうことだ。使用するお前が、弓だの剣だのと自由に形を変えられるんじゃないのか」

「違うよ。クレースの声が聞こえないときは、どうやっても形が変わらないんだ。やり方も分からなくなる。そんでもって、古代遺産相手にしか使えない。古代遺産を持っていない人との戦闘時は変化できた試しがないんだ。戦闘以外なら変わるけどね。今もこうやっていじってるのは、クレースがそうして欲しいって言ってるからなの」

「ほう?」


 それを聞いて耳をクレースに近づけるヴァンを見てレージュはにひひと笑う。


「なにも聞こえないが」

「あたしにしか聞こえないみたいだからね。それに、クレースの声っていったけど、明確な言葉になってるわけじゃない。なんとなくの感覚でわかるんだ」


 目まぐるしい早さで次々とクレースの姿が変わっていき、そのうちレージュも踊り出すようにクレースと遊び始める。小さな十字架たちが小魚のように飛び回り、無骨な革の胴着を着た天使が、髪を結んだ赤いリボンで軌跡を描きつつ、その輪の中で踊りながら指をさすと、十字架たちは様々な物に形を変え、また分かれて飛び回る。


 いにしえの時代の天上の天使が遊ぶ光景とは、このようなものなのだろうか、とヴァンは感嘆する。


「ヴァンは古代遺産を見たことはある?」

「いや、ないな」

「だろうね。もし見たことがあるのなら、クレースを見てひどく驚くだろうからね」

「どういう事だ?」


 レージュが指を弾くと、踊っていた十字架の一つが伸びて剣の形になる。


「古代遺産ってのはね、使用する時と携帯しているときでは形が違うんだ。使うときはそれこそ様々な形になるけど、持ち運んでいる時は全部同じ形になっているんだ」


 レージュの周りには無数の十字架が飛んでいる。レージュが踊りながら指を弾く度に、小さな十字架たちは武器や生き物やよく分からない形に変化する。


「……まさか」


「そう、古代遺産は十字架から変化するんだ。どうしてかは知らないけど、そういう物らしい」

「じゃあそのクレースとやらは一つ一つが全部古代遺産なのか!?」


 クレースと呼んでいるサークレットを構成する無数の小さな十字架は今、レージュの周りを魚群のように飛び回っている。


「にひひ。古代遺産を知っている人は皆そういう反応をする」


 レージュはくわえているパルファンを上下に揺らしながら笑う。


「でも安心しなよ。クレースにはたくさんの十字架がついているけど、一つ一つが別の古代遺産じゃない。全部でクレースなんだ」


 細い煙をまといながら彼女は自慢げに言った。


「もしそうじゃなかったら、あたしの心がもたないよ」


 基本的に古代遺産を持つ者は一人一つだけだ。当然、所持していればいるほど強いのだが、そんなことはできない。なぜなら、古代遺産を使うと精神力をとても消耗するため、複数の古代遺産を使用すると、その精神の負荷に耐えきれず心が壊れてしまうのだ。もしもクレースの十字架一つ一つが別の古代遺産だとするならば、レージュは古代遺産を大量かつ同時に保持して操っている事になる。そんなことをすれば、操る以前に廃人になってしまうだろう。


「確かにそうだな。その眼帯もクレースなのか?」

「そうだよ。だから大きさは自由に変えられる」

「ふうむ」


 顎に手を当てて納得したようにうなずく。


「クレースは今はなんと言ってる?」

「んー? 楽しい、かな。心地よさそうだよ」

「そうか。俺からもよろしく言っていると伝えておいてくれ」

「にひひ、やっぱりあの爺さんの子だね。同じ事言ってる。クレースによろしく言ったのは爺さんとヴァンだけだ」


 レージュが、踊る足を止めて手を叩くと、先ほどまで元気に泳ぎ回っていた十字架たちが一斉に動きを止めて地面へと落ちる。金属の雨の演奏が終わった後、辺りには静寂のみが泳いでいた。


「さてと、続きはまた今度話してあげるよ。今は色々やらなきゃいけないことが多いからね」


 人差し指を立てて、指揮者のように振るうと、落ちた十字架たちは、風に飛ぶ蒲公英たんぽぽの種子のように飛び立ち、天使の輪へと戻っていく。


「まずは獅子を檻から出そうか」

「獅子将軍リオンか。キメラよりは大人しいといいんだがな」

「んー、似たようなものかな」


 城主から返して(・・・)もらった鍵の束を持って、少女と王は地下牢へと向かう。

16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)

17/03/27 文章微修正(大筋に変更なし) ロゴ追加

17/05/09 文章微修正(大筋に変更なし)

17/07/09 煙草削除(大筋に変更なし)

前へ次へ目次